4283109 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

わたしのこだわりブログ(仮)

PR

X

Keyword Search

▼キーワード検索

Archives

Category

Freepage List

2009年06月14日
XML
カテゴリ:歴史の旅
星​摂政フィリップ2世の所追記しました。​​​
写真の入れ替えや書き直した所に「新」を入れさせてもらいました。

​​大陽王ルイ14世は1715年9月1日77才の誕生日まで後4日を残して亡くなった。
壊疽(えそ)だったと伝えられているのでおそらく持病であった糖尿病によるものと思われる。
※ルイ14世(Louis XIV)(1638年~1715年) (在位:1643年5月~1715年9月)

ルイ14世の長い治世は(人口5/6が農民)度重なる重税と不況、凶作や疫病が絶えず民衆の生活を圧迫。「偉大なる世紀」は農民側から見れば危機と悲惨な時代でしかなかった。

それ故、王が亡くなった時、民衆は神に感謝して歌い、踊り、過ぎる葬列をののしったとも伝えられる。

ヴォルテールは評価したらしいが、後の歴史家達の評価は低い。戦争を好んだ事もあるが、当然ベルサイユ宮殿の莫大な建築費による浪費が大きい・・。

​また、ルイ14世は宮廷儀礼をたくさん造り複雑化させた。宮殿での礼拝のみならず起床着替え、飲食までことごとく儀式化。それら儀礼を回りの者に課す事により彼らの立ち居振る舞いをがんじがらめに縛ったのである。
儀式ずくめの国王の宮廷生活をルイ14世自身が造りあげ、俳優のようにそれらを死の直前まで演じたらしい。

 今回「メルキュールの間」を改め、「王のアパルトマン」としてそれら儀礼の部屋を一括紹介してしまいます。かつては写真4枚程度までしか載せられませんでしたが今回はその5倍以上のせました。

 

ベルサイユ宮殿 8  (王のアパルトマン)

寝御の間​​
閣議の間
摂政フィリップ2世
アポローンの間
メルクリウスの間
フルーリー枢機卿
マルスの間
ディアーナの間
ヴィーナスの間

少年王、ルイ15世の肖像  ウイキメディアから借りてきました。

​1723年、アレクシス・シモンベル作。ルイ15世13歳
ルイ15世(Louis XV)(1710年~1774年) (在位:1715年9月~1774年5月)

1722年10月、ルイ15世はランス大聖堂で成聖式を終えた。これにより形式的には摂政政治が終わった。
それにしても美少年です。スマイル
彼は先王、ルイ14世のひ孫。父が天然痘で急死し、わずか5歳で即位している。

ところで、亡くなる直前ルイ14世はひ孫を呼び出しこう諭したと言う。
「私は戦争を大変好んだが、あなたは隣国と平和を保つ事を心がけなさい。人民の苦しみをできるだけ軽減するように。もはや私がしたような浪費はできないのだ。」
火の車状態にしたのは誰のせいだ? 何をか言わんや・・である。ぽっ

​​また位置の確認で宮殿の写真です。
ピンクの囲ったところが王の寝台がある所です。

寝御の間 ​​(No18)
全体写真の撮影が難しいので。上はウィキメディアから借りた写真です。
王の正式な盛儀寝台

現在の寝所は鏡のギャラリーが造られてからなので1701年からここに存在する。
上部の金箔の飾り物はクストゥの作品で、「王の眠りを見守るフランス」とタイトルされている。

​​王は、医師と外科医により、朝の健康チェックを終えるまでこのカーテンは開かなかった。次に理髪師とかつら師が、髪を整え終えた時、初めてベッドから降りたと言う
それは王が小柄な事。また晩年の1648年には病気により毛髪の大部分を失っていたのでカツラをかぶっていたからだ。
加えて言うと、小柄な王はハイヒールを好んだと言う。カツラ同様にかさ上げして身長を高く見せたかったらしい。
また王に着替えのシャツを渡せる人は、入室順位一位の王族系の一番偉い人(皇太子)であり、皇太子がその場にいなければ、次の位の王族、というように、宮廷儀礼が、権力分布の象徴的な意味を持っていたと言う。​


先にふれた宮廷儀礼では、王の起床、就床に諸侯は参列せねばならず、最盛期で100人以上が並んだ。
これはルイ14世が創始したが、ルイ15世もルイ16世もこの儀式を遵守したと言う。​​

寝御の間の装飾の修復は1980年完成。夏の内装となっている。
絢爛たる錦織が再現され、壁、扉、寝台のカーテンなどに使用されている。
金糸が強くて撮影がちょっとぼやけ感があるのが難ですが・・。

リュエル(ruelle)

世話係やごく親しい者だけが入る事が許されたベッド脇のスペース

閣議の間​ (No19)
寝御の間に隣接して閣議の間がある。​
ルイ14世はこの部屋を絵画と珍品の蒐集に使用していたそうだ。
ルイ15世は居室用に改造。

金箔青銅の振り子時計はルイ15世の為に1754年に造られた。
シンメトリーに置かれたトミール青銅像をのせた2点のセーブル焼き。

​摂政フィリップ2世​
​​​​1715年、ルイ15世がブルボン朝第4代の王となったのは僅か5才の時。
※ ルイ15世(Louis XV)(1710年~1774年) (在位:1715年9月~1774年5月)
当然摂政がついた。それがルイ14世の甥オルレアン公フィリップ2世である。
※ ​オルレアン公フィリップ2世(Philippe II)(1674年~1723年)​​​​​​
​摂政による政治(摂政時代)は9年。(1715年~1723年)​
その摂政の間、王の居城はベルサイユを離れ、パリのパレ・ロワイヤルに移っている
。​
ルイ14世が亡くなり、自分の時代を感じたオルレアン公フィリップ2世は徴税を減らしたり貴族による集団政治を企画したり、25000人もの兵士を解雇。
また高リスクの政策を認めて失敗。​政治にも経済にも疎い人物であった。​
傍目(はため)には自由で、世俗的、享楽的、遊技的な、摂政時代が展開。
141カラットのダイヤモンドをフランスの王冠につけるために購入したりしているが、ルイ14世の言葉通り、もはやフランス王家は公事にも私事にも破産状態の危機を加速させていた。
ソルボンヌ大学の聴講を無料とし、王立図書館を公に開放。教育を奨励するなど評価点もある。
​​自身はパレ・ロワイヤルでサロンを開き、絵画の膨大なコレクション(オルレアン・コレクション)有し且つ芸術を奨励していたようだが、それらコレクションはフランス革命後に多くがロンドンで競売にかけられたようだ。
​追記​
​​彼の政治評価は分かれるが、結果的に彼はフランス革命の大きな要因を造る大失態をした
1720年財務総監にスコットランドの経済学者で銀行家のジョン・ローを呼んだ。
ジョン・ローの革新的経済政策は大失敗し、パリの株価が暴落する一大事件をおこしたのだ。リーマン・ショックならぬミシシッピー・ショックである。ジョン・ローはすぐに退任どころか暮れには国外逃亡している。

アポローンの間
戦争の間の隣である。こちら正殿は1673年~1682年.の間ルイ14世の住居であった。
1682年、王は現在の寝所に移るので、以降諸室は宮廷レセプションに使用される。

これから紹介する正殿の名前は全て天井に描かれた絵のモチーフに由来している。
当然、この「アポローンの間」の名前も天空翔るアポローン(Apollōn)に由来する。​​

アポローンは朝、東の宮殿で目覚め、黄金に輝く馬の引く大陽の戦車を御して天空を駆け西の地平に没するのが日課。
大陽王であるルイ14世は、当然アポローンのイメージに重ねられる。
この部屋は大陽神に捧げられた部屋であると同時に、大陽王ルイ14世はこの部屋で使節団と謁見。そこに意味があった。

それ故、当時はここに銀の玉座が置かれていたと言う。

天井画はル・ブランの門下シャルル・ドゥ・ラフォスの作品。
四季を従えた早駆け馬車の上のアポローン。その下にいる婦人は「フランス」と、「王の偉大」を象徴した擬人である。



タペストリーの前にはルイ15世様式の椅子。閣議の間の椅子のようです。
ベルサイユ宮殿に納めている家具屋さんを知っているが、座椅子のクッションにはワラの他に馬の毛が使われている。

ルイ16世、マリーアントワネットと子供達の肖像画が飾られている。
もっとも、部屋の家具調度、絵画も度々変えられているようだ。

メルクリウスの間​
1678年に開始された鏡の間の造営にあたり、王のと王妃のアパルトマンからそれぞれ二つの広間と新城館の角部屋が削られた。
それによりアポローンの間にあった寝所(国王の盛儀寝台)は、今度はメルクリウスの間に移動。

天井は全てジャン・パティスト・ドゥ・シャンバーニュの作品。
中央の主題は「明の明星(みょうじょう)に先導され芸術と、学術に伴われ、二羽の雄鶏(おんどり)の引く戦車の上にいるメルクリウス」

メルクリウスの間で、ルイ14世が崩御した時に遺体が安置されていた寝台らしい。
​もとは銀の境柵の奥にあったらしい。調度品も銀製であったが、1689年に熔解された。
確か、王妃の間の銀の調度品も熔解されたと聞いた。財政難の為だったと思われる。

この寝台についての説明が無いが、ゴブラン織りのカバーだと思う。
しかし、意外にチープで驚いた。ゴブラン織りはもともとベルギーからぶんどった技術である。技術的には当時のベルギーの足下にも及んでいない気がする。土産物にしか見え無い。
以前ベルギーのタペストリーを紹介した時にフランスのゴブラン政策にもふれた。
ルイ14世の財務総監のジャン・バティスト・コルベール(Jean-Baptiste Colbert)(1619年~1683年)によってゴブラン織りは国策となり、ベルギーの市場を奪ったのに・・だ。
リンク ​サンカントネール美術館 2 (フランドルのタペストリー 他)


1730年、イアサント・リゴー作 ルイ15世の肖像 
ルイ15世20歳。より美青年になっています。


​フルーリー枢機卿​
1723年、フィリップ2世は12月にヴェルサイユ宮殿で突然逝去。14歳のルイ15世の親政が始まる。
落ちたフランスであったが、優れた政治家であるフルーリー枢機卿の登場(執政)によりフランスは持ち直しを計る。
元々フルーリー(Fleury)枢機卿 (1653年~1743年)は当初イエズス会系の聖職者としてルイ14世の妃に仕えていた。
ルイ14世は幼いルイ15世の教育者に彼を任命し、フルーリーはルイ15世から全幅の信頼を受けていた
彼は1726年から死去する1743年まで若いルイ15世の宰相を務め結果的に政治家になるが、アカデミー・フランセーズの一員でもあった。​

枢機卿任命 1726年9月11日
彼の宰相時代(実際は宰相にはなっていない)、ルイ15世の治世下で最も平和で安定? 
ルイ14世期の戦争による人的物質的損失からの「回復」の時代(gouvernement "réparateur")となる。​

​​彼は宮廷で常に控え目であったと言う。その人柄は肖像画からもうかがえるが、何より彼を紹介するのは​、逼迫した財政からフランスを救ったのが彼の経済政策なの​である。​​

フルーリー枢機卿は大蔵郷と連携して1726年に貨幣を安定化させ、1736年には収支の均衡に成功。
国立土木学校が創立され、土木事業が進められて、フランス各地に近代的な道路が舗装。​

​また1738年にはサン・カンタン運河を開通させてオワーズ川とソンム川をつなぎ、後にスヘルデ川とネーデルラントにまで拡張。海上交通も急成長して、フランスの貿易額は1716年から1748年までの間に8000万リーブルから3億800万リーブルに増加したと言う。​

マルスの間

最初は衛士の間として造られたので天井には戦いの題材が使用されている。
マルスは軍神である。
続いて舞踏会や賭博場として利用されていた。





ルイ15世と妃マリー・レクザンスカ(Marie Leszczyńska)(1703年~1768年)の肖像画

​ディアーナの間
ガブリエル・ブランシャール作の天井画はアポローンと双子のディアーナを現している。



​ジャン・ロレンツォ・ベル二ーニ(Gian Lorenzo Bernini)(1598年~1680年) ルイ14世の胸像 

イタリアの彫刻家であり、建築家。画家でもあるバロック芸術の巨匠。ルーヴル宮殿の改築計画では設計案を出している。
ローマでは、サン・ピエトロ広場の設計にたずさわり、完成後1668年、ルイ14世に招かれパリに来た時、大理石の彫刻は彫られた。
1685年、この部屋に彫像を置かせたのは王自身らしい。

シャルル・ド・ラフォス作「イーピゲネイアの犠牲」
まさに犠牲に捧げられようとするイーピゲネイアをデイアーナが連れ去ろうとする図。
※ シャルル・ド・ラ・フォッス(Charles de La Fosse)(1636年~~1716年)シャルル・ルブランの弟子。

ヴィーナスの間
ルネ・アントワンヌ・ウアス作  戦車に乗ったヴィーナスが三美神から花冠を授けられている図。
ヴィーナスの間と名がついていますが、天井画の全てはルイ14世治政下の出来事をオリンポスの神々に例えた寓意画となっている。

ジャン・ヴァラン作ローマの皇帝に扮した青年王ルイ14世の彫像
左手に持っているのはメドゥーサの付いたアテナイ女神の楯。
正殿の夜会の時には軽食が用意される部屋であったらしい。
ルイ14世の時代にあった大階段がルイ15世の時代にとり壊されたが、この部屋は大階段に隣接する部屋であった。
大階段は内外からの使者らに王宮の素晴らしさを見せる為の素晴らしい物であったらしい。なぜ取り壊されたのか? 

つづく  ​​ベルサイユ宮殿 9 の前にベルサイユ宮殿番外、リアルタイムで載せています。こちら先にお願いします。
リンク ​ベルサイユ宮殿番外 サロン文化の功罪(サロンと啓蒙思想)

back number
リンク ​新 ベルサイユ宮殿 10 ルイ16世とアメリカ独立戦争とマリーアントワネットの村里
リンク ​新 ベルサイユ宮殿 9 (ポンパドゥール夫人とロココの意匠
リンク ​ベルサイユ宮殿番外 サロン文化の功罪(サロンと啓蒙思想)
リンク ​新 マリーアントワネットのトイレとベルサイユ宮殿の事情
ベルサイユ宮殿 8  (王のアパルトマン)
リンク ​新 ベルサイユ宮殿 7 (王妃のアパルトマン)
リンク ​新 ベルサイユ宮殿 6 (鏡のギャラリー)
リンク ​新 ベルサイユ宮殿 5 (戦争の間と平和の間)
リンク ​新 ベルサイユ宮殿 4 (ルイ14世と王室礼拝堂)
リンク ​新 ベルサイユ宮殿 3 (バロック芸術とは?)
リンク ​新 ベルサイユ宮殿 2 (入城)
リンク ​ベルサイユ宮殿 1 思い出

リンク ​マリー・アントワネットの居城 1 (ウイーン王宮)
リンク ​マリー・アントワネットの居城 2 シェーンブルン宮殿と旅の宿
リンク ​マリー・アントワネットの居城 3 ヴェルサイユ宮殿の王太子妃
リンク ​マリー・アントワネットの居城 4 ベルサイユに舞った悲劇の王妃​








Last updated  2021年02月01日 22時45分18秒
コメント(0) | コメントを書く



© Rakuten Group, Inc.