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2015年12月10日
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カテゴリ:歴史の旅

Break Time(一休み)

タイトル変更しました

欧州のポスト 1 郵便事業のルーツと黄色いポストの由来

公的な書類の輸送から発展した郵便事業
庶民向け郵便サービスの始まり
黄色のポストのルーツは黄色い馬車から

いつか黄色のポストの特集をしようと写真を撮っていたが、驚いた事に日本でも最近わざと黄色いポストを設置する所が出てきたらしい。
日本の場合は、「黄色い幸せのハンカチ」に引っかけたのか? 幸せを運ぶ黄色いポストとして縁起担ぎと観光誘致が目的らしいが・・。

欧州の場合、長い歴史の結果が今の形を作ったわけで、そこに至った理由はまさに必然。
今回は元祖欧州の黄色いポストに由来する欧州の郵便事業のルーツを再度紹介。
以前紹介した内容に加えて編集しました。
2009年07月07日「 馬車と駅馬車 」
リンク ​馬車と駅馬車
2009年12月07日 「クリスマス臨時郵便局 1 (クリストキンドルと郵便ポスト) 」
リンク ​クリスマス臨時郵便局 1 (クリストキンドルと郵便ポスト)

フランス シャルルドゴール空港ゲート前のPOST
pict-フランス ポスト 1.jpg

pict-フランス ポスト 2.jpg

公的な書類の輸送から発展した郵便事業
15世紀まで馬車は王侯、高位聖職者、豪商の私有物に限られていたそうです。
実際初期の郵便のルーツは神聖ローマ皇帝マクシミリアン1世( 1459年~1519年)のもと、皇帝の領地間などの文章の輸送業務の為に開かれた定期便が初め考えられています。

その時に皇帝マクシミリアン1世に郵便主任を命ぜられたのがフランチェスコ・デ・タシス1世( Francesco I de Tassis)(1459年~1517年)
最初のルートは皇帝の弟であるブルゴーニュ公フィリップ(美公)が統治していたブルゴーニュとネーデルラント地域間の物資輸送。
補給拠点や馬の交換の中継拠点をルート途中にもうける事で長距離輸送をも可能にしたのである。

フランチェスコ・デ・タシスが郵便主任として開拓たルートはブリュッセル=インスブルック、パリ、レンヌ、リヨン、グラナダ、トレド、ブルゴス、ローマ、ナポリ。それは神聖ローマ皇帝を世襲にしたスペインハプスブルグ家とオーストリーのハプスブルグ家をつなぐルートである。

「これは商売になる」と考えたフランチェスコ・デ・タシスはマクシミリアン皇帝の許可の元、独占権を獲得。商業ベースでの駅馬車郵便事業を立ち上げたそうです。

時は1516年。それは公用郵便をタダで運送する代わりに、民間郵便の独占権を認めてもらう契約だったと言います。西はスペイン、南はイタリア、北はドイツ各地を広範囲に網羅する神聖ローマ帝国内の独占権を1805年まで一人締めです。(18世紀になると各国が国営化。)


庶民向け郵便サービスの始まり
手紙や小荷物を運ぶ・・と言う庶民の郵便のルーツは駅馬車の登場につながります
中世が安定して商業や手工業が発達。商いが広域に拡大してくると、水路を利用する輸送から、陸上輸送の方にも需要が生まれてきたようで一般庶民も乗る事のできる乗り合いの駅馬車の需用も増えたようです。

最初は注文要請された場所まで行くチャーター便だけ。そのうちに一定の区間、(街道や街、港等の往復)を走るようになり、運行時間が決まった、定期輸送便へと進化。

長距離便では、何泊もするものも登場。パリ~リヨン間を結んだ駅馬車(Diligence)は、夏は5日、冬なら6日もかかって両都市間をつないだと言われています。

※ 以前 「ロンドンバス(London Buses )」で紹介しましたが、ロンドンではこの辻馬車の屋根に椅子を乗せて乗客を増やした・・と言う2階建ての駅馬車の発想が、2階建てバス(ダブルデッカー)の誕生となっています。(ロンドンに辻馬車が登場したのは欧州本土より遅れる事、1625年)

フランチェスコ・デ・タシスはこれに目をつけ、もとは手紙だけを配送する荷馬車から客の乗れる少し高級な駅馬車に発展。あるいは、路線が既にできていた他社の駅馬車に
手紙を一緒に運ばせたりして事業を拡大して行ったようです。
考えれば、これが郵便車のルーツ
となります。

今に残るクレムスのポスト・ホテル(Post Hotel)
pict-ポスト・ホテル 2.jpg
また、駅馬車は各都市の主要ホテルを発着場所にしたので、当時郵便物はホテル止まり、あるいはホテルで委託を受ける・・と言う形になっていたようです。
それがポスト・ホテル(Post Hotel)とばれる存在です。
pict-ポスト・ホテル 1.jpg
上の写真は前に「ヴァッハウ渓谷 (Wachau) 9 (クレムス)」の所で紹介したものです。
pict-ポスト・ホテル 3.jpg
郵便自転車の色も黄色だったびっくり
スイスでは現在も郵便バスが存在している。
これは郵便物を運ぶ車に登山客を乗せてあげる為にバス化した珍しいパターン。
pict-ポスト・バス 1.jpg
スイスのPOST
pict-スイス  ポスト 1.jpg

オーストリーのPOST
pict-オーストリー ポスト 1.jpg

スペインのPOST
pict-スペイン ポスト 1.jpg
スペインのPOST
pict-スペイン ポスト2.jpg
ドイツのPOST
pict-ドイツ ポスト 1.jpg
スウェーデンのPOST
pict-スウェーデン ポスト 1.jpg
スロバキアのPOST
pict-スロバキア ボスト 1.jpg
ギリシャのPOST
pict-ギリシャ ポスト 1.jpg

黄色のポストのルーツは黄色い馬車から
フランチェスコ・デ・タシスは御者に華やかな制服を与え、馬車は全車美しい黄色に塗って走らせたそうです鮮やかな馬車は宣伝効果も満点で、片手間の辻馬車メールから定期便の配達馬車に変え、さらに、ホテル止めのメールを地元の飛脚に顧客の家まで配達させたと言うことで現代の郵便事業そのものの基礎を作った人なのです。

現在に観光で復刻され走っているニュールンベルグの黄色の郵便馬車
pict-ポスト馬車 2.jpg

pict-ポスト馬車 1.jpg
長く欧州での庶民の郵便物を配送していた黄色の馬車。
それ故、「黄色い馬車=郵便」 のイメージは強く、欧州のほとんどの国のポストは黄色になった

そして、御者が馬車の到来を告げる為に鳴らした角笛は、今も郵便のシンボル・マークとなって現在に継承されている。
pict-ポスト馬車 3.jpg

因みにイギリスではポストは赤です。日本はそれを真似したわけですが、イギリスがポストを赤に変えた理由は、その方が霧のイギリスで目立ったからのようです。

現在赤いポストに変わっているのは、イギリス、イタリア、ノルウェー、アムステルダム、ベルギー、モナコは確認済みです。
アイルランドはグリーンです。

容量オーバーなので赤いPOSTは次回。

2015年12月「欧州のポスト2 赤色-ポストの誕生と緑のポスト」

リンク ​「欧州のポスト2 赤色-ポストの誕生と緑のポスト」






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Last updated  2020年02月02日 00時05分21秒
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