「変化の背景」2004/1/3
「変化の背景」
2003年を一言で言えば「変化の年」でした。まぁ一番大きかったのは、島根のチームコーチをしたことだろうな。最初はどこのチームコーチもするつもりがなかったし、いやむしろ私のスケジュール的にもできると思わなかったし、初めて観戦して終わるリーグになるんだろうなってホントに思ってました。コーチとしての野望はあったけど、その難しさも感じてきていたのも確か。島根にはちょくちょく合宿とかにコーチしに行ってて、懐かしい風景や、懐かしい人と出会ったりしました。変わらない松江にほっとしたり、少し活性化してる部分を嬉しく思ったり・・・。だから、私に松江に行く機会とコーチングの場を与えてくれた母校の選手たちには感謝してます。もちろん、長い間私のコーチングを必要としてくれた川崎のみんなにも感謝しています。もともと私は学生の時から川崎のファンでしたから。今でも川崎ファンであることに変わりはないし、私をコーチとして育ててくれたのは川崎の最初の6人だったと思ってるし、みんなとバカ騒ぎしたり、泣いたり笑ったりしてきた23歳(若いころってこと)からの思い出はやっぱり他に変えられない大切なものです。ありがとう。
今私が島根に戻るのは「初優勝」という野望もありますが、島根への貢献というところもあります。3年生の私は強いチームを作ることだけを考えて突っ走る主将でした。結果1部リーグ3位でシーズンを終えたけど、残ったのは14人そこそこ。1年生はたった3人。チームはバラバラになってしまった。4年のとき2部落ちし、そこからチームは2部最下位まで落ち込んしまった。1年生を育てられなかったこと、チームの規模を大きくできなかったこと、なによりチームを好きになれなかったこと、ふがいない自分を感じましたね。それが今の地区代表として活動の教訓にもなっているんです。みんながチームが好きになれるように、たくさんの友達が出来るように、ラクロスを楽しめるようにって。その島根が4年ぶりに自力で1部に帰ってきたときには、いつのまにか「大和魂!」とか叫ぶような「気合い系」のチームとして生まれ変わっててびっくりしたんですけどね(笑)でも、ほっとしたのも確かです。ちなみに、中四国リーグでは優勝経験チームは過去、川崎と岡大しかないんです。えーと、川崎が7回で、岡大が4回。準優勝はファイナル3が始まってからは広大と島根以外が1回づつで、あとは岡大か川崎なんですよねぇ。まぁファイナル制度は第7回大会からなんですが・・・。今年はここに島根が名を刻もうってことです。
さて、去年は中四国が確実にレベルアップしていることを痛感しました。ちょっとやる気になったくらいじゃ勝てないってこと。最初っから全国を見ているチームがあるってことと、目標に向かって確実に行動できるチームがあるってことです。あのころの川崎でやりたかったことを見事に岡大にやられたなぁって思いました。4地区で圧倒的な強さを示せなければ、全日の勝利は見えてこない。私もそう思ってました。それには自信となるくらい努力しなければいけない。当たり前だけど、それを文武両道でやりきる岡大はすごいと思います。でも、今年関東で東女体が復活したように、川崎で育った熱血コーチが帰ってくれば常勝川崎も復活するかもしれない・・・なぁんてちょっと思ったりしてます。そうなると勝つのが難しくなるけど・・・。島根はまずアスリートとして本物になります。可能性は無限大。だって運動経験からいってもトレーニング量からいっても、まだまだ全然MAXじゃないんだもん。これをMAXでやりきったらどんなチームになるんだろうってちょっと楽しみです。
さて、本題からずれてきたので、ここらへんで終わります。