978739 ランダム
 HOME | DIARY | PROFILE 【フォローする】 【ログイン】

Selfishly

Selfishly

追跡者 1章

 
 敵でもなく、かと言って100%味方でもない。
信頼は出来るが、心を預けきるのは難しい …。 

 上司と部下と、簡単に言い切ってしまうには、
今続けているこの状態は、不自然すぎる。

 だからと言って、恋人同士のように、甘い感情があるでもなく、
友人のように、気安くなれるわけでもない。

 この俺らの関係を、一体何と言えばよいのだろう…。








    ~ 追跡者 ~






 照明を控えられた室内は薄暗く、ほのかな光源が、
ぼんやりと室内に陰影をつけている。
それが余計に、部屋に漂う空気を、気だるげに感じさせている。
「今度は、いつまで居るんだい」
 うつぶせに横たわる、白い肢体を鑑賞しながら聞いてみる。
汗ばむ肢体は、情事の名残りでほのかに紅く色づき、暗い室内の中でも、
くっきりと浮かび上がっている。

 ロイは思わず、先ほどまで散々と手触りを楽しんだ肌に、
名残り惜しむように、手のひらを滑らせる。
 吸い付くような感触を与える肌は、触れていると、
不思議と安堵感を与えてくれる。
 背から上に辿れば、白い肢体を飾る豪奢な金糸が覆い、
多くの女性と関係してきたロイをしても、『見事な』と思わせる。

 髪をいじる手を、煩わしそうに頭をもたげて振り切ると、
顔を背けていた相手が、ごろりと寝返る。
「う~ん、情報次第かな。
今んとこ、別に有力な情報も、文献もないからな」
 情事の相手に、全く恥じる気がないのか、それとも、
散々、晒している相手だからなのか、堂々と裸体を晒し、
自分の身体に這わされている視線も、関知せずに寝転がっている。
 恥じらいなど、今更言うだけ野暮というものだ。
 二人の間に、そんな感情は持ち合わせてもいない。
 
堂々と披露してくれる裸体を、遠慮なく視感し楽しませてもらう。
 確かに、彼の肢体は、鑑賞に値するもので、華奢に見えても、
バランスよく付いた筋肉に引き締められており、すらりとした手足は、
少年期特有のアンバランスさが、危うい色香を醸し出している。
 手足の片一方ずつが、鋼の無機物なのも、完璧よりも不完全な方が、
より人を惹きつけるものだと知らしめている。
 遠慮のないロイの視線を鬱陶しく思ったのか、不機嫌そうに、
眉をしかめて見上げてくる。
「何だよ?
今、やったばっかりってのに、物欲しそうに見んなよ」
 色気も素っ気もない彼らしい口調に、ロイの頬が緩む。
「いや、折角のご披露だから、鑑賞しないと申し訳ないかと思ってね」
「減る」
 そう言い返して、さっさとシーツを胸まで引き上げる。
 子供らしい、色とは関係ない、損得のみの言動が、
更にロイのツボにはまり、笑いを込み上げさせてくる。

「減る・・・ねぇ。
なるほど、見られて減るような体質だから、君は相変わらずな体系なわけだ」

 然も面白い発見をしたとばかりに頷きながら、同様に身体を横たえてくる
相手とは逆に、エドワードが勢い良く上体を、はね起す。
「なにぃ~。」
「あっ、そんなに急に動いたら・・・」
 ロイの言葉が最後まで呟かれるのを待たずに、呻きながらエドワードが、
先ほどと同じようにベットに撃沈する。
「っつつ・・・」
 涙目になりながら、襲った痛みを我慢しているエドワードに、
ロイは呆れた表情を浮かべて、話しかける。
「さっきの後で、そんなに急に動いたら、痛いに決まってるだろう? 
 少しは、学習したまえよ」
 痛みを与えた原因の人物に、そんな事をのんびりと返され、
エドワードは、キッと鋭い視線を投げつける。
「あんたが、がっついてるから悪いんだろ!
もうちっと、相手を思いやるとかしたらどうなんだよ」
「私が?  私はいつもどうり、十分親切にしたつもりだがね。
 まぁ、久しぶりだから、君の身体が忘れてたんだろ」
 悪びれないロイの返答に、腹から込み上げてくる怒りをぶつけたくとも、
所詮、口では敵うはずもない。

「俺は、忘れたままでよかった」
 ぶっすりと返された言葉に、ロイは内心苦笑する。
確かに、エドワードにとっては、なくても構わない程度の事だろう。
誘いをかけるのも、いつもロイの方なのは間違いない。
 どちらがと言われれば、相手の身体に執着している度合いが大きいのは、
多分、自分の方なんだろうとは思う。
青臭い餓鬼でもないのにとは思うのだが、どうにもはまってしまったようで、苦笑を禁じえない。
 が、誘えば乗ってくるのだから、エドワードとて、
それなりに楽しんでいるのだとは思うが。

 が、余り機嫌を損ねたままなのは拙いだろう。
いつでも、どんな理由でも、彼はすぐさま飛び出していける立場だ。
 今回は戻ってくるのに結構な時間が経っていて、
エドワードに言われるまでもなく、少々、熱が入りすぎていた事は
わかっている。
 数少ない楽しみなのだから、チャンスを減らすのは忍びない。
 エドワードには、わかりにくい事なのだろうが、
ロイとエドワードの身体の相性は、すこぶる良いようだ。
 同姓を抱いたのは、エドワードが初めてだったので、
一概には言えないだろうが、ひょんな事から始まった関係が続いている事から考えて、間違ってはないだろう。
『だからと言って、他に男を抱く気にはならないがな』
 あくまでも、エドワード対象の気に入った遊びであって、
男色に走ると言う程まではいかないし、そんな気にはならない。
 エドワードが不在の時には、相変わらずの華々しい女性との交流が
続いていてて、それはそれで不満はない。
 聡明で美しい婦人達の相手は、心を弾ませるものがあるし、
肉体的にも十分満足するものも得れる。
気を張る分、やや疲れる事があるのには辟易させられる時もあるのが、
難点ではあるが。

 その点、エドワードとの関係は、気を張ることも、遣うこともなく、
余計な事を考えずに済むのが、気軽でいい。
 関係を持つようになってからも、別段、二人の仲には特に変わりもない。
 エドワードは相変わらず、自分だけ突っ走って行くし、 
ロイも、情事の相手だからと手加減する事もない。
 この関係にどんな言葉をつければよいのか。
そんな風にも、別に考える事さえない。

 ただの、利害関係が一致した二人の遊びなのだから。

 ***

 司令部の書庫も、一般の閲覧コーナーを過ぎると、
段々と人気も少なくなり、際奥の扉の向こうの専門書の部屋は
人がいないのが普通の状態だ。
 ロイにとっては、絶好のさぼり場所でもある。
 今日も、ホークアイ中尉の冷たい視線を感じながら専門の資料が
必要だからと、息抜きに出てきたのだ。

「おや、珍しく先客がいるようだな」
 先客も珍しいが、居た人物も、これまた珍しい。
足音を控える必要もない相手なのは、ロイも何度も経験していたので、
そのまま近づいて行く。
 足元にうず高く分厚い本を積んで、途切れる事のない集中力でページを
繰っている。
 この小さななりのどこにそんなに力があるのかと、
不思議に思わせられるが、彼の貪欲な知識欲の根源になっているものを、
ロイは知って、理解している。

「鋼の。  戻ってきてたんだな」
 どうせ、声をかけても無駄だろうとは思ったが、
一応は声をかけてみる。 予想どうりに相手が気づいた様子もなく、
集中が揺らぐ事もない。
 ロイは、ため息と共に、相手同様、床に腰を下ろす。
通常の時なら、野生動物並みに気配には敏感に反応する癖に、今は、
これだけ傍に寄っても全く気づく様子もない。
 傍に積まれている書籍に目をやると、どうやら今は生体組織に関心が
あるらしいのが見て取れる。
 特に興味が湧いたわけでもないが、手持ち無沙汰の解消に1冊手に取り、
パラパラと流し読みをしてみるが、専門分野外と言う事もあり、
関心もすぐに失せる。
 膝に肘を付いて頬杖をつくと、無心に読書をしている相手を、
しげしげと眺めてみる。
 俯いている顔には、いく筋かの金糸が解け落ちて華やかさを添えている。
 瞬きさえ忘れているのではと思わせられる瞳は、
中に納まっている宝石だけが、微かに揺れている。
 時折、読んでいるかのように動かされる唇は、朱を刷いたような色づきを
見せており、白磁器の面にはくっきりと浮かび上がっては、
思わず目線を惹きつける。
『綺麗な子だな』
 それが素直なロイの感想だ。
 普段は、粗暴な言動で容姿を気にするような事もないのだが、
こうして、大人しくしていれば、綺麗と形容しても、何ら世辞でもない。
 まぁ、本人には、全く価値も関知もない事なのだろうが。

 後になって、何度も考える。
『何故、あの時要らぬちょっかいをかけてしまったのか?』と…。

「鋼の、いい加減にしなさい。
 久しぶりに上司に会ったと言うのに、挨拶もしない気か?」
 ロイは、頬杖をついているのと逆の手で、ちょうど
ページを繰ろうとしていた面を、手のひらで抑える。
 普通の反応なら、知らぬ間に横に人がいて、急に手を突き出されれば、
驚くものだろうが、エドワードの反応は違っていた。
 キョトンと、置かれた手を眺め、緩慢な動作で掌から、
手の持ち主を手繰るように視線を上げていく。
 無意識の行動なのだろうが、掌から這い上がる視線に、ロイの神経が、
ゾワリと疼く。
 視線の到達点に辿り着いたエドワードの瞳が、ロイを映し出すのを、
ロイは何とも言えない気持ちで見返す。

 書物の世界から、まだ戻って来れてないのか、あどけない表情で
ロイを見つめている。
ポカンと薄く唇を開き、夢から覚めやらぬ貴石がロイを見て、
戸惑いを現すように揺らしながら。
 その視線を受けて、ロイは思わず息を飲む。
これだけ、無防備な姿を晒すエドワードを見たこともなく、
これ程、あどけない表情を浮かべる人間も見たことがない。
 『純粋無垢』   この言葉が、今のエドワードには一番似合う。
 初めて間近で見たエドワードの表情に、惹き込まれるように見入る。
 エドワードは、ゆっくりと瞬きを繰り返すと、開くたびに瞳に強い輝きを
戻していく。
 そして、焦点が絞られ、横にいる人物を、漸く認める。
「・・・なんだよ、邪魔するなよ」
 ぶっすりと返された言葉に、ロイは苦笑を浮かべる。
先ほどまでのエドワードの纏う雰囲気とは、天と地程も違う。
 いかにも、彼らしい不遜な態度だ。
「開口一番がその言葉かい?
 その前に、何か言い忘れてやしないかね?」
 不敬と取られても仕方ないエドワードの態度にも、動じる事無く
返される相手の態度に、さすがにエドワードも自省する。
「オヒサシブリデス」
「ああ、本当に久しぶりだな。
 前回、報告書をもらったのは、確か半年前だったかな?」
 エドワードの、棒読みの挨拶にも、にこやかに返事を返してやる。 
もちろん、嫌味を匂わせながら。
 それ以上の言葉はなく、目以外、にっこりと笑いながら自分を
見ている相手に、さすがのエドワードも、気まずい気分を
持たずにはおれなくなる。
「…えーと、そのぉ……」
 口ごもりながら、引き攣った笑みを見せるエドワードに、
ロイは『それで?』と言うように、無言の圧力をかける。
 エドワードは、深いため息を吐くのと同時に、諦めをつけて、
潔く頭を下げる。
「すんませんでした!」
 ロイは、その様子にクスクスと笑いを零しながら、目下に見えるつむじに、ポンと手のひらを乗せる。
「宜しい。 子供は素直なのが1番だ」

 言ってからも、笑いを収めない相手に、エドワードが恨めしげに見上げて、そっぽを向く。
 どうにもこうにも、この男に勝てた例がない。
 つかみ所がないと言うか、狡賢いのか、策略家なのか、
のらりくらりと話を逸らせられているかと思うと、結局は、
最後にはこの男の意図する方向に押しやられている事が多い。
 苦手だと思う反面、自分達に甘い事はエドワードとて解ってはいる。 
 だから、無下には嫌えないが、かと言って、心底好きにもなれない。
 人種が違うと言うところか。
 相手を理解するなど、どだい若年のエドワードには難題過ぎる。
悔しいが、経験値が違いすぎる。
 理解できない相手のことを追求するのは、時間の無駄だ。 
そう思考を切り替えて、先ほどまで自分が没頭していた書物に
意識を戻そうとする。
「今は、生体組織かい?」
 そんなエドワードの考えなどお見通しのロイは、せっかくの暇潰しの
チャンスを逃す事無く先制を打つ。

 どうやら、書物の世界には戻してもらえない事を察し、不承不承、
相手に付き合う為に、返事を返す。
「う…ん、そう。
構築をする上で、知っとかないと不味いだろ?
 形状をなぞるだけじゃあ危ないからな」
 入れるだけの容器が欲しいわけではない。
元に戻る事が重要なのだ。
 エドワードの語らない言葉まで、正確に理解した相手は、
「確かに」と言いながら頷いて聞いている。
 おかしな事に、相手が理解して聞いていてくれると感じると、
言葉は、端から流れ出してくる。
「んで、今は神経系の働きを考えてるとこなんだ。
 例えば、俺の機械鎧のこの手だって」
 そう言いながら、右手を上げて拳を握ったり開いたりする。
「こうやって、俺の意思を、神経がパルス信号で伝えて動かすよな?
  でも、そこには体感までは感じられないだろ。
 という事は、神経には動きを指示し、伝える以外の働きも
兼ねているってわけだ」
「神経伝達物質の構成とか?」
「そう、5感を動かし感覚を持たせる。
 それが、人体に影響を与えるのが大きいってのは無視できないだろ?」
「確かに。  感覚や感情がある事が、人を器と大きく区分けする事になる」
「んで、現在、それをお勉強中ってわけ。
 だから、邪魔はなしな」

 暗に、邪魔者はさっさと去れと伝えてくる相手を見やれば、
付き合う義務は果たしたとばかりに、書物に目を落とし始めている。 
 自分から離された視線の先には、当然、自分はいない。
その事に、何故だか物足りなさを感じる。
 先ほどの妙に感じた気持ちが、後を引いているのだろうか?
「鋼の。 五感の感覚機能はわかるか?」
 ロイの質問に、エドワードが呆れたような視線を向けてくる。
「何聞いてんだよ? 当たり前だろ。
 視覚・聴覚・触覚、味覚、嗅覚」
 さも、めんどくさそうに返された答えに、ロイが頷く。
「では、感情は?」
 続けて質問される単純な問いを出す目的がわからずに、
エドワードは、視線を相手に戻す。
「感情って・・・、喜怒哀楽だろ?」
 戸惑いながらも、一般的な答えを律儀に返す。
「そう、代表的な感情の分類はそうだな。
 では、その中でもっとも、人に強く与える感情は何だと思う?」
「1番強く与える感情?」
 ロイの質問に、エドワードが沈黙する。
 自分の中にある『最大の感情』。

 「・・・恐怖」

 ポツリと出された答え。
 それは、エドワードが経験した中でも、最大のものだ。
全てを失う恐怖・・・、それは、もう既に知っている。
そして、それに付き従う『罪悪』。
エドワードの根源に痛いほど刻み付けられた感情だ。
 何故、今更こんな話を持ち出したのだろうか?
 この男は、全て知っているはずだ。
 自分の犯した罪も、そして、今も抱えている感情も。
 エドワードは知らずの内に、ロイを見上げる瞳に脅えを滲ませる。
 ロイは、眼前で目まぐるしく変わっていく瞳の彩を見つめている。
 いつもは、不遜でしたたかな強い輝きを放っている瞳が、
今は、不安そうに揺れている。
 多分、本人は気づいていないのだろうが、瞳に映るロイに
縋るような色を浮かべて。

 先ほど、無心に自分を見上げていた彼を見たとき、
小波のように広がった感覚が、今度は、はっきりと感じられるほどの強さで、ロイの中に広がっていく。
 その感情のまま言葉を続けようとしている自分を、警告するように、
頭の隅では警鐘が鳴り始める。
 感情に刺激される悪戯心を嗜めるように、理性の声が頭に響く。
『立ち入りすぎだ、そのまま引け』と。
 攻防を繰り返す感情の波が落ち着き、自嘲しながら引こうとした矢先、
エドワードがロイを呼ぶ。
「た・・いさ?」
 緊張して吐かれた声は、弱く掠れて、躊躇いが、
たどたどしく名を吐かせる。
 その声がいけなかったのか?
 自分を呼ぶ、エドワードが悪いのか?
 滅多に隙を見せないエドワードが、弱さを晒したことが?
 その隙を見咎めて、突こうとする自分が?
 ロイは、抑え、落ち着き始めた感情が、一斉に噴き出すのを、
自分の中で知覚する。
「君は・・・子供だな」
 妙に間の空いた返答を返す自分の声は、内心の動揺を現す様に、
掠れている。

 構えて待っていた答えが、エドワードの頭に浸透するのには、
回転の速い彼らしくもなく、やや時間がかかった。
「はっ?」
 エドワードは、まじまじと相手の顔を見る。
 そして漸く、相手の言った言葉が頭に入ってくる。
 普段なら、即、怒鳴り返すところだが、今は虚脱の方が激しい。
 真剣に、意味深な事を聞いてくるから、何かと思えば・・・。
「あのさぁ、あんた何が言いたいわけ?」
  呆れた風を装いながら、安堵のため息を吐きながら言い返す。
「そのままだよ。 君の感覚機能も感情の幅も、ナリ同様に、
成長がゆっくりなのだなぁと」
「なにぃ~」

 気色ばむ相手にも動じる事無く、逆に、それを煽るように、
憐れみの表情を見せる。
「いくら知識を詰込んだとは言え、まぁ、まだ幼い年齢だ。
 知らなくても仕方ないな」
 わざとらしく、同情するように何度も頷きながら言われる言葉に、
エドワードの悋気と負けん気が膨れ上がる。
「ちょい待て!  じゃあ何か、俺が物知らずだとでも言いたいわけか!」
「でも、ではなく、そうだと言ってるんだ」
  しらっと言い返す相手に、むっとなる感情を少しばかり、否、
かなりの努力を使って宥めながら、頭の中で自問自答する。
 ロイは確かに胡散臭いヤローだと思う時もあるが、嘘は言わない。
 少なくとも、自分達には。
 という事は、本当に何か、自分の気づき落ちている所に
気が付いたのかも知れない。
「……んじゃあ、お年を召したアナタ様なら、ご存知でない事はないと?」
 素直に教えを請うのには矜持が邪魔をし、嫌味で返す。
「いやいや、さすがの私もそこまで褒められると困るな。 
老齢の聖賢者のようにとは行かないよ。
 まぁ多少は君より上なんで、若輩に教える程度だがね。」
 ふふんと嫌味たらしく自慢する相手を、エドワードは噛み付きたい衝動を
抑えるのに苦労する。
『くっそー、口では勝てないヤローだからな』
 心で毒づきながら、知識欲には勝てないエドワードが、渋々ながら、
教えを請うことにする。
 が、エドワードは、先ほど相手に浮かべていた認識の1つを、この時、
忘れていた事に気づいていない。
『のらりくらりと交わしながら、最後には相手の意図に嵌っている』 
 先ほど、自分でそう思っていたと言うのに…。

「ふ、ふん! まぁ、たいした事でもないとは思うけど、一応、
上司の顔を立てて、聞いてやるぜ」
 負け惜しみの引き攣った笑みを張り付けながら、
そんな風に返すエドワードに、ロイは内心、あんまりにもあっさりと引っかかる相手に苦笑を洩らす。
「さて、どうした方がいいかねぇ。
 まだ、君には早すぎる気もするしね。 
そんなに、急いで学ぶ必要はないんじゃないかな?」
 考え込む素振りを見せるロイの態度も、短気な相手の目には、
もったいぶっているようにしか映らない。
「いいから、教えろよ! 学ぶのに歳は関係ない。
 早いのにこしたことないだろ」
 噛み付かんばかりの勢いで詰め寄るエドワードに、
ロイは、さも仕方なさそうに、大仰なため息を付いて、念を押してくる。
「やれやれ、君は本当にせっかちだね」
 ふぅーと、肩を落として息を吐き出すと、ロイはピタリと視線を
エドワードに合わせて凝視してくる。
 その目の中に見え隠れする闇の色に、エドワードは思わず
後じさりそうになるのを、必死で堪える。
「どうしても? 今すぐ知りたいと言うわけだね?」
 考えを読み取れない不透明な笑みを浮かべ、ゆっくりと
確認してくるロイに、気後れする自分を叱咤しながら返すエドワードは、
確実に闇色の網の中に足を踏み込んでいく。

「くどい! 俺の言葉に二言はない。
 勿体つけずに、さっさと教えろよ!」
 あくまでも、強気に言い切るエドワードに、ロイはにこりと笑いながら
了承する。
「わかった。 君がそこまで言うなら、教えてあげようかな」
 漸く答えを返す気になった相手に、エドワードが無意識に居ずまいを正す。
 人には頭を垂れるのを由としない彼だが、知識には素直に反応をする。 
 そんな彼の様子に、どこまでも、自分に素直で正直なエドワードを、
本の少し羨ましく感じる。

「命令、指揮系統を伝達する神経と、感覚や感情が密接に繋がっているのは、君も知っているとうりだ。
 人が、感覚や感情に大きく影響を受けて動く生き物だという事も」
 ロイが確認するように話し出した事に、神妙に頷きながら
エドワードが聞いている。
「特に負の感情は、人の言動に大きく影響を及ぼし、
その後の行動や、思考にも翳を落とす事も多い」
 ロイがそう語ると、エドワードの瞳に一瞬、闇らい陰が浮かぶ。
 それに気づかぬふりをしたまま、続ける。
「君の言った恐怖もそうだ。
 恐怖は人の生存本能に繋がり、怒りは自身の存在価値に繋がって
人を動かす。
 よく言われてるだろ?
 喜びは一瞬だが、憎しみは永遠だと。
 おかしな事に、人は陽の感情よりも、負の感情の方に
大きく影響を受けるんだな。
 君も、忘れて欲しくない人が出来たら、好かれるより憎まれてみるのも
1つの手だよ」

「大佐?」
 にっこりと笑って、そんな言葉を告げる相手を見返して、
エドワードは不審そうな表情を浮かべて、呼びかける。 
何やら、話が逸れてきている気がするのは、自分の理解力が
悪いからなのだろうか……?
「それと、君には思いつかなかったようだが、もう1つ。
 陽でも、負でもないが、人を左右する大きな感覚と感情がある」
 そこで言葉を切って自分を見てくる様子に、どうやら
今までの話は前置きだったのかと思い直し、聞き漏らさぬように
耳に意識を集中する。
「情欲だ」
「……はっ?」
 エドワードは、自分の耳がおかしくなって、何か大きな聞き間違いを
犯したのではないかと疑ってしまう。
 短い単語の語句だから、よもや聞き間違うはずもないとは思うのだが…?
 いや、この男の事だ。 言葉の額面どうりに
受け取ってはいけないのかも知れない。 その裏に潜む真意を考えろと
言う事なのだ、きっと…。
 
 真剣に思考を走らせているだろうエドワードの様子は、
彼が何を探っているのかを聞かずとも、表情を見ていれば、
手に取るように読める。
 あくまでも、自分の納得のいく答えをはじき出そうとする姿は、
本当に専門馬鹿の学者らしいと言えるだろう。
 ロイは、呆れと、込み上げてくる笑いとを抑えるのに苦労しながら、
エドワードの思考を中断させてやる。
「鋼の。 君が何を考えているかは、だいたいわかるがね。
今言った言葉には、裏はないよ。そのまま、それが答えだ」

 澄ました表情で、そんな事を告げる相手を、茫然とした表情で、
マジマジと凝視する。
 驚きに瞠られていた瞳が、はっきりと見て取れるほどの落胆の色を宿し、
その後、痛烈な怒りを含ませる。
「アンタなぁ……!」
 何か怒鳴ろうとしているのか、わなわなと震える唇が数度、開きかけるが、どうやら、余りの怒りのせいか、はたまた厭きれすぎてか、
言葉を発することも出来ないようだ。
 気を静める為にか、何度か深呼吸をするエドワードの頬は、
紅潮して色づいている。
「おやおや、やはり君には早かったようだな。
 こんな言葉位で、うろたえて紅くなっているようでは」
 笑いを堪えることは止めて、クスクスとからかいを含んだ言葉を
投げつけてやると、やっと動揺がおさまったエドワードが、噛み付いてくる。

「あんたなぁー! 人が真剣に聞いていれば…。
 ったく、大体、じょ、情欲が強い影響を与えるってのは、
あんたみたいな人間だけだろ!
 人を皆、あんたと同じの女好きばかりと思うなよ」
 語気強く、言い終えると、フンと鼻息荒くそっぽを向く。
 そんな予想どうりのエドワードの反応は、ロイにとっては面白くて
仕方がない。
「失敬な君。 私は、女好きではなく、フェミニストなだけさ。
 麗しい女性を褒めないのも、愛でないのも、男として失礼じゃないか」
 堂々と言い切る男に、エドワードの視線は冷たい。

「あーあ、損した。 貴重な時間を勿体ねえ」
 もう、ロイには関心はないとばかりに、周囲の本を物色し始める。
 そんなエドワードの態度を、気にする事もなく、
ロイはゆっくりと語りだす。
「情欲は、生存本能に深く関わっているし、陽からも発生すれば、
負からも発生する。
 食欲が落ちれば生命力に影響し命を失うはめにもなるし、
睡眠欲が満たされなければ、人は3日と正気を保てなくなる。
 そして、性欲が満たされない場合も、人の心身のバランスが
おかしくなる事があるのは、知っているだろう?」
 ロイの言っている事は、エドワードも読んだ気はする。
「まあな」と渋々返事を返すのに、満足そうに頷きながら、講釈を続ける。
「だいたい、情欲を無視してては、子孫繁栄が成り立たなくて、
人類がここまで栄華を極めるなど無理な事だろう?
 では何故、そこまで人が、それに縛られるのかがわかるかい?」

 禅問答のように繰り返される答えと問いに、疲れたようにエドワードは、
ぶっきらぼうに返事を返す。
「知らねえ」
 もう、どうでもいいとばかりに返される言葉に、ロイは薄く笑いを
張り付けながら囁く。
「快楽だよ」
 ロイの言葉に、エドワードが盛大に顔を顰めて、侮蔑を露にする。
「おやおや、そんなに、露骨に馬鹿にする事はないだろう?
 君だって、多くの文献を読んできているのだから知っているだろう?
 名君と呼ばれる君主が、美貴にのめり込んで国を傾ける話や、
人に敬われ、尊敬を集める賢者や聖者が、色欲に身を滅ぼす話は。
 それらが、如何に多く存在した話で、今も存在し続けているか。
 愚かだと人は哂うが、その愚かな人のなんと多いことか。
 行動は神経系の伝達で行われるが、そこで体感した感覚は、
神経を伝ってある種のものを生み出す。
『脳内麻薬』、君も、この言葉位は知っているだろう?
 その感覚を得た者は、それに溺れるようになる。
 麻薬とは、よく言ったものだな。
 それを生み出す事が多いのが、快楽を生み出す情欲行動だ。
 子供の君には難しすぎるだろうが、全く知らないと言うわけでも
あるまい?」
 揶揄を含んだ問いかけに、エドワードは見透かされたような気になって、
居た溜まれずに頬を染めて俯く。
 そんなエドワードを笑っている気配が癪に障り、眦険しく相手を睨む。
「だ、だけど、そんなにあんたがもったいぶって言うほど、
ご大層な程のものじゃないだろ!
 たかが…」
 思わず、自分の得た感覚を口走りそうになって、慌てて口を噤む。
 そんな、 羞恥にうろたえた反応が初々しい。

 ロイは、子供に噛んで含むように話してやる。
「鋼の。 それは、君が、たかがたいした事ない感覚しか知らないと
いうだけだよ。
 君の知っている感覚も快楽も、独り善がりの結果に得ただけのもので、
私が言う快楽の生み出す快感の、数百分の一にも及ばない。
 要するに、入り口の手前位だな」
 ロイの訳知り顔で語られる話に、エドワードが、唖然とした表情を
浮かべて驚いている。
 瞳には、真偽を問うような色を浮かべて。
 知識を得るのに貪欲なエドワードだ。 しかも、机上の卓論で
済ませられないのが、錬金術師の性でもある。
 その上、エドワードの年齢では、いくら関心を払わないように
していたとしても、興味を持たずにはおれない年齢だ。
 ロイは、獲物が、罠に仕掛けられた餌に食いつこうとしているのを
見ていた。
 用心深い獲物は、罠の周辺で様子を伺いながら、踏鞴を踏んでいたが、
どうやら、その中にある禁断の果実に気が付いたようだ。
 興味も関心も誘われるそれは、なまじ少しでも嘗めて味を知っているだけに、心惹かれる要求が募ってくる。
 手を伸ばそうか伸ばすまいかと悩んでいる獲物の背を、押してやる為に
言葉を吐く。
「知っているかい? 快楽は、この世でもっとも絶ちがたい鎖を肉体に
打ち込むと言うのを」

 唆すように囁かれた言葉に、エドワードは、躊躇いながらも返事を
返してしまう。
「本当に?」
 誘惑には、目を閉じ、耳を塞ぎ、口を紡いで答えねばならない。 
そうでなければ、ほんの僅かな隙も逃さすに己の中に忍び込んでくるからだ。
 どこかで読んだ内容が頭をよぎる。
 そして、その意味を、その後何度となく思い起こす事になる。
 ロイは、獲物が餌を手に取ったのを見届けて、艶やかに笑って答えてやる。
「ああ、本当だとも。 君にも教えてあげよう」

1章end

《あとがき》
うわぁ~!うわぁ~!
オフ本第1作・・・。 読み直すと、拙いのがバレバレですね・・・。
修正も手直しもせず、アップしておりますが、
お許しください!!
日々精進致しますので。
サイト3周年記念&販売終了致しましたので、
順次、WEB上にアップさせて頂く事に致しました。
平行して、新作も勿論アップして参りますので、
読まれて無い方は、オフ本のこちらも。
読まれた方は、新作アップを。
お読み頂ければと思います。
支えて来て下さいました皆様に、感謝の気持ちを込めて。



  ↓面白かったら、ポチッとな。
拍手




© Rakuten Group, Inc.