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Selfishly

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久遠の輪舞(後編)act5


・・・・・『 久遠の輪舞・後編 』act5 ・・・・・



 エドワードがリンに怒鳴り込んで以来。 何かと噂をばら撒いていたリンも、
 最近ではすっかりと静かになり、エドワードにとっても、落ち着いた日々が続いていた。
 シンでの日々は、波乱に満ちた日々だったアメストリスでは考えられなかった位、平凡で穏かに過ぎていく。
 時折、こんな日々がずっと続いて行きそうで、怖くなる事もある。

 いつか戻る日の為に…。

 そう信じているからこそ、ここでの暮らしから、出来るだけ役立ちそうな事を学んではいるが、
 先行きの視えない日々が長くなる事は、辛いものだ。
 そんな思いを抱えながらも、日々はゆっくりと確実に過ぎていく。  



 ***

『ありがとうございました』
 随分と上達したアメストリス語で挨拶が交わされる。
 週3回の午後からは、皇宮宮の1画で市井からの人々の授業が開かれている。
 メンバーはリンが選んだ者達だ。 皇宮に勤めている賢者達の師弟や、商家の子息、
 学術所(エドワード達で言う学校みたいな処らしい)の優秀な者などが中心に集まっている。

「皆、大分と上手くなったよな。 次回までには、次の章に進めると思うんで、予習をしてきてくれよな」
「はい!」
 エドワードの言葉に、明るい返事が返ってくる。
 学ぶ事を生業にしている者や、必要に差し迫られている者が多い為か、午後からの生徒の覚えは大変良い。
 エドワードにしてみても、教え甲斐があるし、逆に判らない事を教えても貰えるので、
 午前の授業よりは意欲も増す。

 そして、数人のメンバーを連れて部屋を変えると、皇帝から命じられた訳本作りを行うのが、
 エルリック兄弟の日課だ。
「兄さん。3章の原稿はそっちに有る?」
 山のように積み上げられた紙の向うから、アルフォンスが覗くようにして窺ってくる。
「ああ。 それは今、コオが清書してくれてる」
 エドワードの返事に、コオと名を上げられた青年が、原稿を上げて示してくる。
「判った。 じゃあ、それの前にこのページを挟んでおいてくれる?」
 アルフォンスが回した書面を受け取り、丁寧にページに綴じていく。
 授業を受け持つ話が来た時に、リンのぜひアメトリス語の訳本をとの要望を受けて、
 二人の他にシンの者を交えて作り始めたのだ。
 膨大な作業を、こつこつと手作業で進めて行くしか方法が無い為、時間はかかってはいるが、
 着実に形を整えつつある。 シンではまだ、タイプライターや印刷技術が無い為、書くのも写すのも人が行う。 
 授業を受けている者の中から、手助けして貰えそうな優秀なメンバーを選び。
 尚且つ、皇帝からの命なので、信頼の出来る者を選りすぐっての事だ。 
 

「兄さん。 そろそろ、今日はお終いにしようか?」
 日がすっかりと落ち、室内に明かりが灯され始めた頃、見計らったようにアルフォンスが
 声をかけるのも日課なのだ。
 エドワードは昔と変わらず、没頭を始めると周りが見えなくなる。
 アルフォンスはそんな兄に付き合うのにも慣れてはいるが、他の者はそうもいかない。
「えっ…? ああ…、もうそんな時間か」
 熱心に向かい合っていた書面から顔を上げて、ゆっくりと周囲に視線を廻りながら、状況を把握していく。
「そうだな。 じゃあ、今日はここまで! 
 ご苦労さん。 いつも有難うな」
 うーんと大きく伸びをしながらエドワードが声をかけると、他の者達も微笑みながら頷いて、片付を始める。
「師父、こちらは捨てても宜しい物でしょうか?」
 エドワード達と、そう歳の変わらない青年が、丁寧に窺ってくるのに、エドワードが「悪いな」と
 礼を伝えながら、メモ書きした紙を集めて渡そうとする。
「いえ、私が片付けますので」
 青年が慌ててエドワードの代わりに紙を集めて、机の上を綺麗に片付けていく。
「ラオ、いいんだぜ、そこまで気を使わなくても」
 エドワードにラオと呼ばれたその青年は、首を横に振って。
 「とんでもありません。
 授業を受けさせて頂ける事になっただけでも有難い事ですのに、その上、無理をお願いして、
 こうして訳本作りをお手伝いさせて頂ける栄誉まで受けているのですから、当然事です」
 その恭し過ぎる言動に、エドワードとアルフォンスは苦笑して合って、肩を竦めるしかない。
 リンの過剰すぎるエドワード達の扱いが、こうして周囲の者達にも伝染しているのだ。
 ここ皇宮では、二人は賓客として皇帝でさえ気を配る人物として一目置かれている。
 ラオは元々は授業のメンバーでは無かったが、1月前ほどに皇宮に使える賢者の1人から、
 強い推薦があって受講する事になった経緯がある。 皆から遅れての勉学始めで最初は苦労していたようだが、
 さすがに推薦をされただけはあって、日々の上達は中々のものだ。
 早く上達をしたいからと、無償で訳本作りの手伝いもしてくれている。
 まだ原稿を手がける程とはいかないので、主に写しや準備と細々した事ばかりだが、
 嫌な顔一つ見せずに、一生懸命に手伝うラオの様子に、エドワード達や、
 他のメンバーからも好感を持たれている人間だ。

「さて、いいか?」
 原稿を仕舞い終えたのを確認して、エドワードが棚の鍵を閉める。
 ただの未完の原稿とは言え、皇帝から任じられた物だけあって、扱いは厳重だ。
 最後に出たアルフォンスが部屋の鍵を閉めて、それぞれの帰路につく。
 後宮に近いこの部屋は、元々はリンの執務室の1つだ。
 エドワード達の行き来がし易い様にとの配慮らしいが、その分他のメンバーには少々敷居が高い場所だろう。
「では師父、お疲れ様でした」
 衛兵に見守られる中、深々と頭を下げながら、皆が口々に別れの言葉を告げて、身を小さくして帰っていく。
 二人はそんなメンバーを見送りながら、深いため息を付き合う。
「もうちょっと打ち解けて貰いたいよなぁ」
「そうだね…。 でも、仕方ないかもね」
 二人にしてみれば、歳が近い人々と触れ合う機会は、そうそうないから、
 もっとざっくばらんに付き合って貰いたいのだが、中々最初に植え込まれた認識は、
 そう簡単には覆して貰えない様で、それが少し寂しい気持ちになるのだ。
『恐れ多い』… ここの国の人達は、人を形容する時にそんな言葉を使うが、
 元々そういう概念に乏しかった二人にとっては
 今ひとつ理解できにくく、一介の居候の立場の自分達がそんな形容を使われて扱われる事にも、
 中々慣れる事が出来ずにいる。
「まぁ、しゃーない。気長にやるしかないよな」
「そうだね。焦っても、あちらに負担がかかっちゃうようじゃ、困るものね」
 長く続く回廊を歩きながら、二人に宛がわれた宮へと帰って行く。後宮の中でも奥まったその宮は、
 一般の者ではなかなか入る事は出来ない。至る所に衛兵が立ち並び、巡回をして守られている警護の厳しい一画だ。
「こんばんは」
 馴染みの衛兵に、アルフォンスが挨拶をして通り過ぎる。
「お疲れ様でございました」
 慇懃な挨拶に、深々とした礼で見送られながら、二人は閉じられた門から中へと入っていく。

 門が閉じられると、二人は1日の緊張を解いたように、長い息を吐き出した。 この宮へは、
 二人以外ではリンしか入って来れない。後は、使用人の人々が数人が通いでやってくるだけだ。
 主が帰って来るのを待っていたのだろう二人付きの従者が、膝を付いて挨拶をかけてくる。
「お帰りなさいませ。本日も、ご苦労様でございました。
 お食事の準備が調っておりますが、先にお召し上がりになられますか?」
「ああ、ただいま、マー夫人。いつもありがとう、先に食べるよ」
 この老齢の婦人はここに住む事になってから、ずっと二人の面倒を見てくれている人だ。
 夫君共々、ここで二人の世話をしてくれている。
 シンに来たばかりの頃は、他のリンの兄弟と同じ宮で寝起きしていたが、
 この二人の宮が完成してから、移り住む事になった。身の回りの従者もぐっと減り、
 マー夫妻で手が回らないような時だけ、手伝いが来ているようだが、
 エドワード達が宮を開けている時にしか来ないので、顔を合わせる事も無い。

 ーーー 兄さんは、どう思ってるんだろう ーーー

 夫人と穏かに話している兄を横目で見ながら、アルフォンスはそんな事を思い浮かべていた。
 兄のエドワードは、ここに来て、大人になった。
 若い頃の破天荒ぶりや、活発さは成りを潜め、物静かとはいかないが、落ち着いた言動を身に付けて…、
 いや、心がけて振舞っているように見える。
 それには勿論、エドワード達を庇護しているリンの手前も考えての事だろうが…。
 エドワードの元々の性質を知っているアルフォンスにしてみれば、そんな風に振舞い続けているエドワードは、
 不自然過ぎるのだ。

 ーーー 不自然と言えば、ここの暮らしも十分に不自然だよね ーーー

 隔離されたように世間から切り離された一画で、決まった人々としか触れ合わず、話もせず。
 延々と、来る日も来る日も過ごして行く。
 時に息抜きをしたくても、皇宮から出る事は認められていない。リンがはっきりと駄目だと
 言ったわけではないが、控えて欲しいと思っている事は、伝わってくる。
 兄はそんな生活の中、文句も言わず、不満を愚痴る事も無く、黙々と日々を繰り返し続けている。
 エドワードよりも制限が少ないアルフォンスは、時たま護衛は付いてだが、城下に降りては、
 市井の生活を覗き見したりして過ごしているのだが…。
 


「なぁ、アル、アルってば」
 エドワードの呼びかけで、物思いから覚める。
「あっ。な、何、兄さん?」
 食事中だった事を思い出して、並べられた料理に箸を付けながら、返事を返す。
「リンの奴、今日も居ないだろ? ここ最近、顔を見てないからどうしたのかと思ってさ。
 お前、何か聞いてない?」
 そう言われて、空いてる席に気が付く。
「そう言えば、今週は全然食べに来なかったよね」
「そうだろ? いつもなら、どんなに忙しくても1日1回は顔出してたのにな」
 そうなのだ。皇帝となったリンの忙しさは、並ではない。
 そんな中でも、僅かな時間を作っては、ここへと顔を出すようにしていたのだが。
「坊ちゃんは、何やら御用が重なってるらしくて、暫くこちらへは顔を出せないとの事でした。
 お二人が戻って来られたら、お伝えするようにと従者の方がお言葉をお持ちになられてましたよ」
 お茶を運んできたマー夫人の言葉に、納得する。
「へぇー、やっぱりあいつ、忙しいんだよなぁ」
 感心したエドワードの物言いが、アルフォンスを慌てさせる。
「兄さん! あいつは失礼でしょ、皇帝の方にさ」
 気まずげに、視線をマー夫人に向けるが、夫人はにこにこと微笑んだまま、
 エドワードに頷いて言葉を交わしている。
 この夫人は、リンの乳母にあたる人物で、リンが実の母親以上に慕い、信を置いている夫人だ。
 料理を出し終わった夫妻が挨拶をして、部屋を出て行くと、
 この宮にはエドワードとアルフォンスの二人しか居なくなる。
 食後居間へと場所を移し雑談をするか、授業や訳本作りの情報を交換するか、
 自分の勉学を進めるか位しかやる事も無い。
「そう言えば、ここの門衛の人が言ってたんだけど。奥の宮の改築が始まったんで、
 煩いだろうが許して欲しいってさ」
 アルフォンスが伝えた言葉に、原稿に目を通していたエドワードが顔を上げてくる。
「改築? 奥の宮の?」
「うん。それで、危ないから余り奥へは足を運ばない方がいいって」
「ふ~ん、判った。
 でも、あそこは使ってなかったよな?」
「そうなんだよ。誰か新しい人でも来るのかな?」
 アルフォンスの疑問に、エドワードが瞬時考える素振りを見せて、首を傾げて見せる。
「兄さん?」
「いや…、ちょっと妙だなって思っただけなんだけど」
「何を?」
「だって、奥の宮って言ったら…、皇后宮しかないだろ、あそこには」
 そのエドワードの言葉に、アルフォンスが気づいたように目を瞬かせる。
「そうだった。えっ? それじゃぁ…」
「…俺は何も聞いてないぞ」
 不満気にエドワードが顔を顰めて言葉を続ける。
「そりゃあ、あいつもいつまでも独り身じゃあ居られないんだろうけど、
 ちょっとは話してくれてても良いと思わないか?」
 友人のつれない態度が不満なのだろう。
「そうだよね。   …変だよね」
 最後のセリフは口の中で呟かれ、エドワードには届かなかったようだった。 
 今度会ったら、絶対に問い詰めて白状させてやると息巻いて溜飲を下げたエドワードと違って、
 アルフォンスは靄がかかったように、胸中に漠然とした不安が残る。
 何くれと兄に構いたがり、ここでの生活に干渉してきたリンが、エドワードに秘密で事を運んでいる。
 皇宮の仕来りには余り詳しくはないが、多くの人手がかかる事なら、
 どれだけ伏せていても何処からかは伝わってくる。
 いずれ他人から知らされるような事を、態々黙っているのも妙な感じだ。

 ーーー それに… ーーー

 リンのエドワードに対する過剰な干渉は、周囲も巻き込んで行われる。
 頭が良いくせに、妙に人の機微に疎い兄は気づいていないか、関心が余り無いかなのだろうが、
 この宮にしても、マー夫妻にしても、エドワードが人と触れ合うのを最小限にする為としか思えない。
 行動の殆どは、リンが知るところばかりで、会う人選もリンが仕切っている。
 そこまで考えて、ふと熱心に写本を読んでいる兄へと視線を止める。
 腰まで届くようになった黒髪は、本来の兄の持つ色ではないが、白磁器のような白い肌には良く似合っている。
 肌に黄みがかるこの国の人々の中では、羨ましがられる程の肌色だろう。生身に戻ってから徐々に成長し、
 今では青年のしっかりした体躯を持ったアルフォンスとは違って、少しだけ伸びた身長と華奢な身体は、
 すらりとした美しさを見せている。
 弟のアルフォンスが言うのもおかしいが、綺麗になったと思う。 
 そう、どこか性別を超越した美しさが、今のエドワードには醸し出されているのだ。
 おかげで人の多い後宮の宮で、皆と寝起きを共にしていた時には、男女ともに兄に憧れを抱く者も少なくはなかった。
 まぁ、それが原因でこの宮に移されたのだろうが、エドワードがその事に気づくことは、これからもないだろう。
 漠然とした不安が、刻一刻と形を象って行きそうな先行きに、アルフォンスの心配は深まっていくばかりだった。


 ***

 アルフォンスに挨拶をして、エドワードは自分の部屋へ戻ってきたが、寝る準備をするでもなく、
 窓際に置いてある椅子に座っては、硝子越しに見える風景を眺めている。
 が、実際見えているものは、目の前に広がる手入れの行き届いた庭園などではないのだろう。
 ここに来てからと言うもの、独りの時間が出来ると、エドワードは今のようにぼんやりとする事が多くなった。
 昔はそれこそ、寝る間も惜しんで動いてばかりだったから、何もしないという事には慣れない。
 日毎、自分の中から何かが流れ出して、気概が薄れていくのを感じてはいても、
 今の自分に打てる手など無い事は、判りきっている。 
 離れる事を決断したのは自分なのに、まるで嫌がる感情のままの自分を置き忘れて来てしまったように、
 心の半分が凍っている。
 眠れば夢で恋しい相手に出会い。
 覚めれば、相手の不在を心の芯から痛いほど実感する。
 それでも、ひと時のまほろばと判っていても、どれほど辛くなろうとも、一目で良いから逢いたいと、
 声を聞きたいと眠りに付く。
 優しく温かい夢ばかりが訪れてくれるわけではない。
 胸を刺す痛みで飛び起きるような時や、起きて枕元を濡らす時もあるのだ。
 それでも、何も感じれない現実よりは、ずっと良い。
 自分は弱くなった…。
 そう思う。
 アメストリスでは、常に立ち向かい、進み続けてきた。
 兄弟の悲願を叶える為。叶えた後は、恩に報いる為。
 でも気づいてしまったのだ…。
 常に自分が前を向いて進んで行けたのは、後ろから見守り続けた存在が居たからこそだと、そう…。

 ーーー 必ず、戻る時が来る ーーー
 その想いが、エドワードを生かし続けている。
 過去、自分は動いて動き回って運を掴み取ってきた。
 が、今は待つ時なのだ。
 下手に動けば、あの頃の皆の努力も消えてしまう。
 ーーー ロイは必ず約束を守る ーーー
 その信頼が、エドワードの我慢と忍耐を支えてくれているのだ。



「ロイ、今、何してる? また無茶ばかりしてるんじゃないのか? いい歳なんだから、無理すんなよ」
 窓の硝子に映る幻影に、そう呟きながら、エドワードは優しさと切なさを混ぜ合わせた微笑を送る。

 今のエドワードには、祈る事位しか相手にしてやれる事が無いのだから…。

『待つ』事を自分に強いて、エドワードは大人になった。
 子供だった頃、その意味の本当の辛さが理解できてなかった、自分の傲慢さを思い知ったのだ。





 ***




「判ってる! そう何度も聞かされれば、嫌でも覚えるって!」
 激しい音をさせて受話器を叩きつけるように置くと、後ろで控えていたアルフォンスが、
 心配そうに様子を窺ってくる。
「兄さん、大丈夫? 大佐、怒ってたんじゃないの?」
 その弟の言葉に、ムッとして言い返す。
「はん! 怒ってたって、構うもんか。
 全く、毎度毎度同じように、『無茶はするな』『余計な事に首を突っ込むな』って。耳にタコだぜ。
 べーっに、俺らが好き好んで、首を突っ込んでるわけじゃないつーの!」
 東方への移動中に巻き込まれた事件で足止めをくい、遅れる事を連絡した方が良いと
 弟に諭されて連絡をしてみれば、事件の事を根掘り葉掘り聞かれ、
 まるでエドワードが加害者のように説教をされて、腹正しいことこの上ない。
 それで無くとも、今回の旅も空振りで、しかも遠距離移動の時間を取られた上だったから、
 エドワードの疲労と、苛立ちはピークに達していたのだ。
 確かに、通りすがりに捕まえたこそ泥を憲兵に引き渡して、
 その後に、不満の発散とばかりに、泥棒の元締めのアジトに乗り込んで一網打尽までしたのは、
 やりすぎだったかも知れない。

 ーーー でも、おかげで速攻解決したんだしな ーーー

 エドワードにしてみれば、次の被害者を出さずに済んだのだ、褒められはすれこそ、
『余計な事に首を突っ込んだ』等と、叱られる覚えはない。
 むしゃくしゃする気分のまま、ずんずんと駅へと歩いて行く。
 出来ればこんな気分で、東方の司令部には行きたくもないが、行くと伝えてあるものを反古にすれば、
 相手がどんな報復に出るかも薄々判っている。以前から、同様の事で何度と無く煮え湯を飲まされた経験があるのだ。
 ふと、生身の方の手で持った荷物の重さに、手を持ち替えようとすると。
「…つぅ」
 ズキリと痛む鈍痛に、思わずくぐもった声が洩れる。
「兄さん?」
 後ろから付いて来ていたアルフォンスが、不思議そうに窺ってくる。
「…何でもない。
 さっさと司令部に顔を出して、次に行こうぜ、次に!」
 ズキズキと訴える痛みを振り払うように勢い良く、進んで行く。

 移動の列車に乗ると、幸いな事に人気もまばらで、エドワードはごろりと座席に転がると、
 仮眠を取ると告げて寝る振りをする。

 ーーー 拙い…。あん時に、どっかやっちまったかな ーー

 全身にじわりと広がる痛みの感触は、列車の振動も堪える。
 エドワードは丸くなりながら痛みに耐え、嫌な汗が身体に滲むのを我慢する。
 ーーー 痛くない。こんな痛みなんか、対した事無い ーー

 どれ程痛かろうが。
 泣きたいほど辛くとも。
 誰も代われる者などいはしない。
 自分達の抱える痛みは、元に戻らない限り、延々と続いていくのだ。
 優しさは要らない。
 同情なんて、クソ喰らえだ。
 この痛みから解放されるまで、そんな甘い事を望んでなんかいられない。
 必死に痛みに堪えての浮かんでくる思考は、グルグルと暗いマーブルの螺旋を描き続けていく。




「ねぇ、兄さん? どっか調子悪いの? 顔色、悪いよ?」
 漸く着いた列車を降りる頃になると、具合の悪そうな様子にアルフォンスが心配そうに聞いてくる。
 痛みは既に鈍痛ではなく、息をするのにも辛い。
「だ・・いじょうぶだって。ほらもう少しで…」
 額に滲んでいた汗が目に入って痛い。拭おうと手を上げようとして、視界が一転する。
「兄さん!」
 アルフォンスの驚く声が聞こえたと思った後は、もう何も聞こえも、考えも出来なかった。



 暗い室内で、声を潜めた話し声がエドワードの耳に入ってくる。
「大分痛かったんじゃないかと思います。
 お医者様が言うには、良く我慢してここまで移動できたなって、呆れてらっしゃいました。
 はい、特に異常は見当たらないんで、暫く安静にしていれば問題ないっておっしゃってました。
 ただ、当分は痛みが続くらしんですけど、僕を誤魔化そうとした罰と思って我慢してもらいます」
 アルフォンスの言い様に、微かな笑い声が返されている。
 ーーー 誰だ? ーーー
 弟の声ほど聞き慣れてはいないが、覚えのある声に主を思いつこうとするが、
 薬が効いているせいか、酷く眠たい。
 浮上した意識が、またまどろみへと引き込まれ始めた頃。
 額に触れる温もりがあった。
 数度、前髪を撫で付けるように感じたかと思うと、ぎこちない動きで頬を撫でてくる。
 その手の温もりが酷く心地良くて、相手を確かめようとする意思がサラサラと砂のように流れていく。
 そうして意識が更地になってしまう間際に…。
 ーーー 大佐・・だ ーーー
 ふいに生まれた答えが、浮かんでは消えていった。




 ***



「全く、君くらいだな。報告をするのに、態々上司を呼びつける人間は」
 呆れ返った表情で、そんな嫌味を投げつけてくるのは、いつもの上司だ。
「呼びつけてなんかないだろうが!
 報告書の提出を待ってくれって連絡したら、間に合わないって勝手に来たくせに。
 全く、大佐くらいだぜ、怪我人にも仕事を強制するような人間は」
 ベットの上で定期報告をさせられながら、悪態をつきあう。
「どうせ、暇だとか喚いて、アルフォンス君を困らせていたんだろ?
 暇じゃ無くなって、丁度良かったじゃないか」
 エドワードの嫌味など、全く気にした風もなく、そう返しながら、
 エドワードが渡した報告書に目を通している。
 その様子を眺めていると、どうしても手に目が行ってしまう。

 
 優しいばかりの手ではない…。
 最初に逢った時には、身体の不自由になった自分の胸倉を掴んで引き摺り出した手だ。
 叩かれた事も有った。
 諦め目を閉じようとしていた自分に。
 座り込みそうになると、容赦なく引き起こして立たせ。
 そして…。
 ふいに、酷く優しく自分に触れてくる。
 それは本当に極稀な事だったが、エドワードが驚く程の優しさを籠めて、触れて通り過ぎていく。
 だから、あの夜の手の温もりが、誰か判ったのだ。
 
「鋼の? 鋼の」
 続いて名を呼ばれ、はっとなって落ちていた視線を上げる刹那に、ロイの移り行く表情が目に入る。
 酷く気ぜわしげな表情から、いつものすかした表情へと。
「何をぼっとしてるんだね、報告の時に。
 あばら骨以外にも、打った処があるんじゃないのかね」
 嫌味な物言いの中にも、エドワードの身体を気遣う思いが透けている。
「悪い。ちょっと他の事、考えてた」
 そう返すと、目の前の男は目を真ん丸にして、見つめてくる。
「…何だよ?」
 不可解な相手のリアクションに、思わずそう聞き返すと。
「いや…、そうだな…。
 たまに怪我をするのも良い事なんだな、とね」
 その答えに、思わず不満の声が飛び出す。
「はぁ? 何だよ、それ!
 あんた、俺が痛い思いをするのを喜んでんのかよ!」
 思わず上げた声が大きすぎたのか、胸に響く。
「いてててっー」
 痛みで前屈みになったエドワードの背を、ロイが宥めるように擦りながら聞いてくる。
「痛いのか?」
 当たり前だ!と告げようとした口が、開かれずに終わる。
 何故なら、ロイが余りに真剣な表情で、エドワードを見ていたからだ。
「その痛みを覚えているようにしたまえ」
「大佐…?」
 痛みに浮かんだ涙に霞むロイの表情は、酷く苦い表情だ。
「痛みを知るから、それを回避する事が出来るようになるんだ。
 回避する事と、逃げる事は違う。
 同じ轍を踏まない為に、頭を働かせ、経験を積む。
 二度と自分が、同じ過ちを起こさない為にな。
 人はそうやってしか、生きてはいけない生き物だ。
 君は君の痛みを、大切にしなさい」
 語られた言葉に、茫然となってロイを見つめる。


 エドワードは痛みから解放される為に、がむしゃらに進んできた。
 でも、ロイはその痛みを覚えていて、大切にしろと言う。
 不思議な事に、全く逆の意見なのに、エドワードの中にすんなりと入り込んでくる。


 痛みは罰ではないのだ。
 二度と繰り返さない為の証…。


 大きく見開かれた瞳が、瞬きも忘れて、目の前の相手をじっと見つめ続ける。 
 そんなエドワードの様子に、ロイが小さく苦笑して見せる。
「君は、まだ子供だ。痛みを我慢するのは程ほどにしなさい。
 君を案じて待つしか出来ない人達に、余計に辛い思いをさせるだけになるからね」
 そう告げ、ポンポンと軽く頭を撫でると、言葉を詰まらせたままのエドワードを置いて、病室を出て行った。




 
 ***



 あれからも、何度も無茶や怪我をして、ロイや他の人々にも心配をかけてきた。
 その度に、厳しい叱責や叱咤を飛ばされたが、それでも彼らは…ロイは、
 エドワードを見捨てるような事はなかった。
 無茶をして、叱ってくれる人達が居ること。
 怪我をして、気遣ってくれる人達が居ること。
 そして、それをし続けてくれる人が居ることが、どれだけ有り難い事だったのかを、
 遠く離れて漸く、その重みに気づき。
 同時に、それがどれ程の辛さを伴うのかも、理解できるようになった。

 待つこと。案じるしか出来ない辛さ。
 苛立ちや、焦燥、不安に胸潰れそうになる程の痛み。
 そして、それだけの痛みを抱えて尚、相手を思う想いの強さ。
 今なら、素直に謝れる…ごめんなさい、と。
 そして、感謝を伝えられる…ありがとう、と。


 何一つ伝えられず、届かない処まで来て漸く、待つ事がとても深い愛情が必要な事が解ったから…。






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