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Selfishly

Selfishly

Forty Nine Days  p2


~~~  Forty Nine Days  p2 ~~~




 *****

「足りないな」
 そんな真理の吐いた言葉が落ちる。

 寒さも暑さも感じない空間の中に存在する筈なのに、エドワードは酷く震え悴む身体をどうにも出来ずに、
 茫然と立ち尽くしている。
 悠久の時を渡り続けている真理にとっては、その時間は然程の意味も持たないのだろう。
 凍りついたように立ち尽くすエドワードを気にする事もなく、ただただ何も存在しない空間に浮かんで漂っている。
 どれ程の時が流れたのか。もしかすると、ほんの瞬き一つの時の狭間程だったのかも知れないが、
 エドワードは張り付いたように動かない舌を使って、問い返す。

「た…り・・ない…だと?」

 絞り出した地を這うような低い応えにも、真理は極々あっさりと返してくる。
「ああ、そうだな。足りないようだ」
 肩を竦めてまで見せる真理の様子には、緊張感の欠片もありはしない。
 まるで、落ちた木の葉の数を数えているようだった。
 それまで、緊張感を張り巡らせて、我慢をし続けていたエドワードの精神も、
 ふざけているとしか思えない真理の様子を目にして、プッツリと切れる。

「っざけんなぁー! お、俺らがどれだけの思いをして、捜し求めてきたと思ってんだ! それを…足りないだと!
 お前らは…、どれだけのものを、俺らから盗れば気が済むって言うんだ!」
 怒の感情で相手を滅することが出来たのなら、今のエドワードの憤怒は間違いなく真理を潰せていただろう。
 が、真理はそんなエドワードの怒りを受けても尚、泰然とした態度は崩さず、気の無さそうな返事をする。
「別に、俺が盗るわけでもあるまいし…。
 何? 発動した練成を止めればいいのか?」
 と、更にエドワードを震撼させる返答をしてくる。
 エドワードは荒くなった息と、煮えたぎる感情に引き摺られまいと、呼吸を落ち着けようと試みる。
 ――― 落ち着け! 冷静になるんだ。 
 怒りは思考を誤った方向へと捻じ曲げる。ここは冷静に考えろ。
 頭を冷やして、相手の言葉の意図を読め! ―――

 数度、深く息を吐き出し、エドワードはギッと真理を睨む。
「何がどうして、どれだけ足りないんだ!
 俺らが準備した賢者の石は、蘇生には十分な代価のはずだ!」
 そんなエドワードの問いかけに、真理はおや?と面白そうに片目を上げ、無遠慮にエドワードを眺め回してくる。
 そんな真理の仕草も苛立ちに拍車を駆けるが、エドワードはぐっと耐えて、黙ったまま相手を睨みつける。
「ふーん。少しは賢くなったようだな。
 教えるのは少し干渉が過ぎる事になるが、まぁ、お前の血族は度々愉しませてくれるから、ちょっと位はいいだろう。

 練成に必要な代価は、お前達が差し出した賢者の石で補える。
 失われたモノを造るわけでもないから、門さえ開けて呼び戻す程度からな。
 ――― が、理を覆すには不足だ」
 その真理の回答に、エドワードは愕然と立ち尽くす。
「・・こ・と・・・わり?」
 ザッーと頭から血の気が引いて行く。
「ああ、当然だろ? 一旦終わった理を変えるのに、まさか無償でと言うわけがないだろうが。
 無から有も作れないのと同様、終わったものを元に戻すにも代価は発生する」
「…理の代価…?」
「ああ、そういうことになるな。度台、人にとっては大きすぎる錬成だ。当然だろ? 
 いいじゃないか、お前だけ戻れば。お前の方が代価は低い。余った分は返されるから、
 それを使って楽しく可笑しく寿命をまっとうできるさ。弟の方は、ちょっと高くつくから、戻ったところで完全とはいかないしな」
 その真理の言葉に、エドワードはピクリを反応を返す。
「完全…とはいかない?」
「ああ、身体は戻せる。が、一旦終わった理を覆すのには足りないから、身体は戻っても精神は不安定で定着できるかは賭けだな」
「賭け…」
「そうそう。そんな危険なことをするんなら、最初からお前だけ戻ったほうが賢いだろ?」
 良い助言をしてやっただろうとばかりに、真理は得意げな表情を向けている。
「………………っざーけんなぁ!」
 エドワードの抑えに抑えていた怒りが爆発する。
「そんな事の為に、俺らは…俺らは…! くっそー」
 怒りでブルブルと震える拳を握り締めながら、エドワードはフル回転で頭を働かせる。
 真理に詰め寄っても、嘆いても何の解決にもならない。彼はただの門番なのだ。永久の。

「…どうすれば、いや、後どれだけの対価があれば良いんだ」
 怒りを体中に漲らせながらも、賢明に先を探ろうとするエドワードを、真理は面白そうに見物している。
 どうしようかと思案の素振りを見せた後、真理が口を開く。
「理も覆し、弟も無事に安定させて戻るなら…。
 もう一人分の、扉を開く鍵を持つ人間が対価に要る」
 さあ、どうする? とけしかけてくるように、真理は楽しそうに尋ねてきたーーーーーー。




 ***



 コトコトと湯気が立つ鍋を前に、エドワードは真理との邂逅を思い出していた。


 ――― 真理が言っていた鍵を持つ人間 ―――
 それは錬金術師のことだ。しかも、扉を開く事が出来る術師となると能力も、相当高くないと難しい。
 開いた扉から、対価交換のエネルギーが引き出せる能力で術者の力量が決まると言っても過言ではない。
 通常の者は漏れ出てるエネルギーを使う位しか出来ないが、鍵を持つ者は開いて取り入れ使いこなせる。
 だから、錬成も大掛かりなものが可能になるのだ。が、そのことを知る者は、扉を潜った者だけだろう。
 知ったからと、出来るようになるわけでもない。
 鍵は元々、持って生まれ、備わっている。無い者は、どう足掻いても得れることもないのだから。
 そんな人物は、エドワードの知る限り数人しかいない。
 対価として差し出せば、戻ってくる事も出来ないだろう…。



 ジュッーと激しい蒸気を巻き起こして、火が消える。
 エドワードは、その消えた火をじっと見つめる。
 ……… 消えた火は、二度と元には戻らないのだ ………





「ただいま」
 暗闇の中の家に戻ると、途端に灯りが灯される。
「お帰り。お疲れさん」
 そう返事を返しながら、奥からエドワードが迎えに出てくる。
 ロイが不在中には、不審がられない為にも、家の灯りを消しているのだ。と言っても、エドワードが居る場所では、
 彼自身が錬成で漏れなくして点けて過ごしているので、特に不自由は感じていないようだ。
「良い匂いがするな」
 迎えに来たエドワードが差し出す手に、ロイは脱いだ外套を渡す。
「うん。あんたが配達頼んでくれてたから、早速使わせてもらった」
 ロイが嬉しそうにキッチンを覗こうとして、着替えが先だとエドワードに追われて、自室へと入る。
 きちんと整頓された部屋は昨日までの様子とは様変わりしている。ロイが軍で仕事をしている間に、
 エドワードが片付けてくれていたのだろう。
 そんな事に、くすぐったい思いを抱えながら、エドワードが待っていてくれるダイニングへと足を運ぶ。
 一歩踏み込んでみると、広いテーブルには色とりどりの料理が並んでいて、美味しそうな匂いが充満していた。
「これは、凄いな。全部、君が?」
 目を白黒させて、料理を眺めているロイに、エドワードは笑いながら椅子を勧める。
「まぁ、時間、あったから。どんなのが好きか判んなかったから、取り合えず色々と作ってみようと思って…さ」
 ヘヘヘと嬉しげに笑うエドワードに、ロイも微笑んで返す。
「嬉しいよ。これだけ素晴らしい料理が待っている思えば、家に帰ろうと頑張る気にもさせられるな」
「そうかぁ?」
 ロイが席に着くと、その向いにエドワードも腰掛ける。そんな不思議な光景が、今目の前で現実に起きている事だとは、
 少し前の自分達の関係からは想像も出来なかった事だ。
 夕飯を自宅でゆっくりと取るなど、ロイのここ最近の生活ではなかった事だ。
 独りで適当に持ち帰りで済ませるか、酒で誤魔化して終わるか。後は外食が主な食事事情。独り者なら、同様の事情だろう。
「好き嫌いないんだ」
 自身には、どうしても好きになれない物があるだけあって、エドワードが感心したように返してくる。
「好き嫌いとか言うより、食べれるか食べれないかで判別してると言った方がいいだろうな。
 軍で鍛え上げられれば、誰しも同じさ。選んでる余裕があればこその好き嫌いだろ?」
「う~ん、確かにそうかも。俺もアルも島の特訓の時には、何でも食べたもんな」
「だろ? 野営の訓練なら、食料は持参するから少しはマシだが、実戦の時には、そんな余裕をかましていては、
 始終腹を空かせていなくちゃならなくなる」
「まあな。でもさ、それで普通の時にもそれで良いってのも、淋しくない? っうか、侘しいだろ」
「改めて君にそう言われると、そんな気にさせられるな」
 確かに、今目の前に並んでいる料理を堪能していれば、元の食生活を過ごしたいとは思わなくなってくるだろう。
「だろ? ちょっとはサバイバル以外の料理も覚えたら?
 美味いもの食べて、食事が好きになれば作ろうって気にもなってくるぜ?」
「そうだな…、君が居てくれる間にでも、教えてもらうのも悪くないな」
 それは別段、料理に限ったことではない。エドワードが居てくれ、自分に教える事で時間を割いてくれると言うのなら、
 炊事でも洗物でも掃除でも、何でも好きになれそうだ。
「OK! そうしようぜ。別に忙しい時に、やれとは言わないからさ。余裕がある時にでも、何か一品だけでもマスターしようぜ!」
 エドワードが余りにも嬉しそうに言ってくるから、然程興味がある事ではなかったロイも、何だか気持ちが浮き立ってくる。
「ああ、じゃあエドワード先生、宜しくな」
「任せなさい! マスタング君」
 そう返し合って、二人で噴出し笑いをした。

 エドワードが戻った日の夜は、ロイにとっても楽しい日々の始まりを予感させてくれるものだった。


 *****


「最近、良いことでも有りましたか?」
 平素と変わらぬ素振りで書類決済をしていると、長年付き従ってくれている副官から、そんな言葉を掛けられた。
「…特には無い・・な。それは君にも判っているだろ?」
 四六時中一緒に居るのだ。今のロイの勤務状態では、良い事も起こる機会さえないのが丸判りだろう。
「そうなんですが…。何だか、雰囲気が華やいでる気がして」
 別段、追求しようと思って言ったことではないらしく、そう告げると決済の書類を預って、部屋から姿を消す。
「さすが、鋭いな…」
 ロイが如何に平素と同じにしていようと思っていても、ふとした瞬間に零れてしまう表情や雰囲気までは誤魔化しきれない。
 エドワードをロイの自宅に匿ってから、そろそろ一週間が過ぎようとしていた。
 朝には、エドワードの笑顔と手料理の朝食が待っていて、夜には「お帰り」の言葉と温かい部屋が待っているとなると、
 健康、精神面の双方とも充実して満ち足りてこないはずがない。
 そんな基本となる生活習慣が、ロイを支えて、力を与えてくれてるのだろう。
 気をつけなくてはと、吐息を吐き出す口元さえ、微笑を象っている。
 こんな事では、後1月ほどの期間。部下達に隠せと押せなくなってしまう。
 ロイは両手で頬を挟むように叩くと、緩みがちになる気持ちを引き締める。



「もし君が戻ってきているのが、他の人にばれたらどうなるんだい?」
 それはエドワードと自宅で寛いでいる時に、ふと気になって尋ねた質問だ。
「う~ん? どうなるのかな? そこまでは聞いてなかったけど」
 あやふやなエドワードの答えに、ロイは拍子抜けする。
「結構、大雑把だな」
 あれだけの大掛かりな錬成をした時の取り決めだから、余程重要な要素を持っていると思っていたのに。
「どっちかって言うと、これは真理の気まぐれの範囲で起こってる事だからだろ」
「気まぐれ?」
「そう。長い時を門番で過ごしているから、退屈してるんだろ」
「…じゃあ、余興みたいなものだと?」
「そう、錬成についたオプションみたいなもの?」
「オプションねぇ…」
 呆れたような反応を見せるロイに、エドワードが苦笑しながら言葉を続ける。
「そう、オプションだ。けど、仕掛けた相手が相手だけ有って、効力は半端じゃない」
 気まぐれであろうと、遊び心であろうと、門の番人をしている相手だ。その言動には、扉を護るだけある力が秘められている。
「オプションが無ければ、どうなると?」
 そう聞いてくるロイに、エドワードは肩を竦めて返してくる。
「何も」
「何も?」
 余りの返答に、ロイはガクリと肩から力が抜ける。
 それにエドワードが微笑みながら返してくる。
「何も無し。俺は錬成が終わる期間まで、門の傍に居座わるしかないってだけだ」
 その言葉に、ロイは唖然としてしまう。
「49日間も?」
「そう、その間ずっと」
「しかし、それでは…」
 ロイの疑問の数々を察して、エドワードが説明をしてくれる。
「時の流れからは切り離されてる空間だから、別に腹も減らなければ、眠くもならないんだ。
 普通なら、錬成が発動している間に術者が不在するなんて、出来ないことだろうけど、前にも話したとおり、
 俺とアルフォンスは繋がっているから可能だったわけ」
「じゃあ君がここに来なければ…」
「そう、今も扉の傍で、いけすかない真理と口論でもしてたさ」
 それを聞けば、ここでエドワードと過ごせる日々は、本当にラッキーだったと言うことだ。
「良く来てくれたよ…」
 感謝に近い気持ちで、ロイがそう呟けば、エドワードは少しだけ恥かしそうな表情で俯く。
「いや…、そのぉ。あ、あんたには世話になったしさ。ぼっとしている位なら、挨拶でもして来ようかと思っただけで・・さ」
 時間を惜しむ彼だから、それも間違いではないだろうが、それでも大切な弟の錬成中に、
 こうしてロイを尋ねて来てくれたこと。それだけでも、ロイにとっては大きな喜びだ。
 だからこその不安もある。
「じゃあ、最初に戻るが、もし戻っているのがばれた時には?」
「…やっぱ、戻らなくちゃいけないんだろうな」
 はぁーと嘆息を吐くエドワードを見ながら、ロイの心臓がギュッと詰まるようだった。
「やはり、そうなるのか…」
「うん…。この世界には居ないことになってるからなぁ」
 しょうがないさと、苦笑を浮かべるエドワードを見ているロイの表情が深刻だったのか、気にかけたように慰めてくれる。
「っても、別に特に困るわけでもないんだぜ? 俺と言う存在を意識されなけりゃ、問題ないわけで。
 ここに来るまでも、変装して来てる分、何も問題なかったみたいだしさ」
 大雑把だよなぁと、呆れ返った声で話すエドワードに、ロイも諦めたように笑みを向ける。
  どちらにせよ、その契約はエドワードと真理とかいう輩との間に交わされた事で、
 ロイの力に及ぶことでも、何か出来るわけでもない。
 今のロイに出来る事は、エドワードが指定した日まで、隠し通すことだけなのだから。


 そんな会話を交わした時を思い出しながら、ロイは気を引き締める。短い期限付きの日々なのだから、
 それが更に短くなるような愚かなことはしたくない。
 そう心に誓いながら、不自然にならない程度に仕事を早めて片付けていく。


 ***


「おーっし、完璧」
 味見用の小皿の中身を確認して、エドワードは満足げに声を上げる。
 色々と料理していく内に、少しずつロイの好みも判ってきた。
 本人は特に意識してはいないようだが、肉は良く焼いた物より、少し生ぽいのが好きだったり。
 魚は蒸すよりも焼いて作られた方がいいようだとか、そんな小さな事が見えてくる。
 エドワードはコツコツとロイの反応から、彼の好みを見つけては喜ぶ料理を作ろうと頑張っている。
 相手も気づいていない本人の癖を知るのは、一歩間違えば悪趣味になりそうだが、嬉しい発見でもある。
 旅ばかりの頃では、決して知りえなかった事ばかり。些細でも、大切な記憶になる。
 毎日、同じ日々の繰り返しのように思えても、本当に同じ日々など有り得ない。
 その意味が真実理解できるようになるまで、人は自堕落な日々を繰り返してしまう。
 手の平からすり抜ける砂粒の行方が判らなくなる様に、過ぎた時も何も成さずとも消え去って、費やされてしまうのだ。
 だから、一日一日、一分一秒大切に記憶して生きたい。そうやって蓄積された記憶は、愛しい思い出となるだろうから。


 
 エドワードがロイへの恋心を自覚したのは、然程最近のことでもない。
 最悪の出会いからして、強烈な印象を植え付けられた相手だ。
 最悪な印象だからこそ、少しの事で驚きを持って塗り替えられていくのも速かった。
 厳しい姿勢を見せる割には、懐が深く、情に厚い処や。
 皮肉や嫌味を色付けさせた言葉の裏には、常にエドワード達兄弟を心配しての事。
 出世・出世と口で言うほど、媚び諂いもせず、正義感が強いとこ。
 ポロポロと、エドワードの創り上げたロイ・マスタング像のメッキを剥がしてくれる相手に、
 気づけば信頼を寄せるようになり、知れば惹かれてる自分に驚かされていたのだ。
 恋と言うものが、どんなものかと問われれば、今だはっきりと自覚が持てないエドワードだが、
 真理の前で彼の元で過ごしたいと願った後で、これが人を想うと言う事で、そんな状態のエドワードを、
 恋をしていると人は言うのだろうと、遅まきながらにも自覚をしたのだった。


 出来上がった料理を置いて、戻ってくるまでに家の中を磨き上げようとリビングへと足を向ける。
 初めてここに来た時には、何もない殺風景な部屋で邸だと思った。エドワードが居つくようになって、
 留守中のエドワードが快適に過ごせるようにと、ロイが思いつく限りの色々な買い物をしてくるようになって、
 部屋は明るい彩と、快適な家具や小物で溢れかえっている。日に日に、このリビングで一緒に過ごす時間が長くなってきている。
 ダイニングで食事を済ませた後、大抵二人は他愛無い話を交わしながら、ソファーで寛いだり、
 毛足が長いふかふかのカーペットやラグの上で寝そべっていたり。時には疲れているロイが転寝しているのを見守って時を過ごし。
 逆に待ち疲れて眠ったエドワードを、ロイが用意した部屋へと運んでくれていたり。
 僅かな間に、二人の生活が日常へとなっていく。


 エドワードは、ポスンとソファーに座り込むと、置かれてる大き目のクッションにうつ伏せに転がる。
 転がった拍子に漂ったのは、ロイの使っているコロンの香りだ。体臭の薄い彼らしく、淡いグリーン系の香りがエドワードを包んでいく。
 こうやって目を閉じれば、まるでロイが傍に居て包み込んでくれているような気持ちを味わえる。
 家で待つ時間の長いエドワードにとって、そうしている時間はお気に入りの過ごし方だ。
 思いに浸っている間に、帰宅の時間が近付いてきてたのだろう。表で車の止まる気配が伝わってくる。
「おっと、いけないっと」
 起き上がって、迎えをと用意をして待つ。戻ってきている事が秘密なので、ロイが入って来ない限り、玄関までは行けないのだ。
 表で挨拶らしき声が聞こえ、直ぐに玄関の扉が開くのが判る。
 そして。
「ただいま」と、声を掛けられたのを合図に、エドワードは足早に迎えに出る。
「お帰り」
 そう挨拶を返すと、ロイはいつも嬉しそうに、再度「ただいま」の挨拶を返してくる。なのに、その日は少し違って、
 嬉しそうに笑っていた表情が、気忙しそうな表情に変わって、足早にエドワードに近付いてくる。
 どうしたのだろうかと問いかけようとして、頬に触れるロイの手の平の温もりで、思わず言葉が止まる。

「どうしたんだい? 何か困った事でも?」
 真剣に問いかけてくるロイの行動が、エドワードに自分の状態を気づかせることになった。
 ロイの手が、躊躇いがちにエドワードの頬を拭う。
「どうしたんだい? アルフォンス君に何か有ったのか? それとも、ここに居る事がばれたりするような事でも?」
 そう問われて、エドワードはゆっくりと首を横に振る。
「別に…。何も…何もなかったんだ」
 拭っていた手の平が、両手になってエドワードの頬を優しい力で包む。
「そんな訳はないだろう? …泣いてたようじゃないか。何があったんだ?」
 怒るのではなく、心配して問い詰めてくるロイに、エドワードは微笑んで小さく呟く。
「何も、本当に何もなかったんだ」
「だが…」
「ただ……、幸せだな…って」
「幸せ?」
 エドワードの伝える意味が解らず、困惑しているロイをじっと見つめながら、エドワードは嬉しそうに笑う。
「ん。こうやって、あんたが居る気配を感じられる程、傍に居れる日々が嬉しいなぁって」
「エドワード…」
 エドワードの笑みと反対に、ロイの表情が難しげに顰められる。
 そんな反応を返すロイを、エドワードが不思議そうに見つめてくる。
 琥珀の中に映る自分は、戸惑いと動揺で変な顔をしているなぁと、妙に冷静な頭の片隅で、そんな事を考えていたりして。
 けれど、行動は素直に気持ちのまま動いてしまう。
 頬を包んでいた片手は、そっと顎まで落とされ。もう片方の手は、ゆっくりと細い項の後ろへと回りこむ。
「ん…」
 驚くように洩らされたのが、エドワードの吐息だと気づかぬまま、ロイは思いのたけを伝えるように、
 エドワードに深い口付けを落としていく。

 ずっと秘めていた。彼…、彼らが悲願を叶えて、無事に戻るまでは決して表さない様にと。
 まだ、完全に叶えれたわけではない。そんな事はロイにも解っている。まだ、早いのだと。
 それでも、彼が、エドワードが余りに嬉しそうに笑うから。
 切なそうに語るから。
 ロイの箍も外れてしまった。
 もっと傍に居ると。もっともっと、幸せな日々が過ごせると。
 それを知って欲しかった。与えたかった。
 全ての欲を、最愛の弟に譲った彼は、自分の幸せに本当に慎ましやかな人間だ。殉教者のような彼の暮らしぶりに、
 ロイがどれだけ心を痛めてきたか。出来ることなら、全て、ロイが思いつく限りの喜びや愛情を与えてやりたかった。
 そう願ってきた思いが、漸く叶える事が出来るようになる。
 ロイは持てる愛情全てを移し変え様とするかのように、深く熱い口付けをする。熱い吐息が耳朶を打つ。
 それはどちらが吐き出したものかも解らないほど、互いが互いの熱に当てられている。

 ピー ピピピー

 可愛らしい音が、キッチンから鳴り響き、浮かされていた二人の思考を引き戻してくれる。
「…… そうだ! 時間だ!」
 抱きかかえられていた腕を振り解く勢いで、エドワードがキッチンへと走りこんで行く。どうやら、料理の最中だったようだ。
 ロイは淋しくなった腕の中を感じながらも、元気を取り戻してくれたエドワードにホッとしながら、後を追って行った。
「ふぅー、完成だ」
 鍋の中身に材料を混ぜ合わせながら、エドワードはホッとしたように額を甲で拭う。煮炊きの時間が狂うと、
 味の濃さに支障が出るし、加える手順が狂えば火の通りが悪くなる。
 折角、朝から丁寧に煮込んでいたのだ。最後の詰めの段階で失敗しては、目も当てられない。
「料理は大丈夫だったのかい?」
 ホッとし過ぎていて、背中から掛けられた声に、迎えに行っていた相手を思い出す。
「ん、大丈夫、大丈夫。最後の仕上げに、間に合った」
 くるりと振り返り、相手の顔を見た途端、先ほどまでの自分達の行動が思い出されていく。
「そうかい、それは良かった。……エドワード?」
 真っ赤な顔で、自分を見てくる様子に、ロイは苦笑して着替えてくると告げて、その場を立ち去る。
 相当、混乱させてしまったようだから、落ち着いた頃を見計らって顔を出す方が良いだろう。
 そして、部屋に備え付けられている鏡に映る自分の表情に、ロイはペシリと頬を叩く。
「全く…。これじゃ、余り大きな事は言えないな」
 そう自嘲の笑みを浮かべながら、赤味のある自分の面から目を背けたのだった。



 そして、エドワードの渾身の料理を食べながら、何とか話し掛け会話を繋げようと頑張ってみるのだが、
 エドワードは始終俯き加減に皿ばかり眺めている。怒っているとか、悲しんでいるとかでない事は、
 真っ赤な耳で一目瞭然だが、彼の表情が見えないのは淋しい。
 どうしようかと考えあぐねていると、まだ一匙も食べられていないエドワードの皿を見て。
 トントンと、ノックするようにロイはエドワードの旋毛を突く。
 そんなロイの行動に、当然ながら驚いたエドワードが、ビックリしたように顔を上げて、ロイを見てくる。
 その隙に、ロイは一匙シチューを梳くって、エドワードの口元に運んでやる。
「ほら、美味しいよ? 食べないと、折角の君の料理が冷めるぞ」
 そう笑って、スプーンを揺らせてやれば、呆気に取られ過ぎているエドワードは、
 茫然としたまま差し出されたスプーンを銜えこむ。
「美味しいね」
 ニコニコと、エドワードが咀嚼しているのを嬉しそうに見ているロイにそう言われて、
しゃべれない状況のエドワードは、コクコクと頷いて返す。
「これはテールシチューなんだね」
「…そう。以前食べた時、凄く美味しかったんで…」
 漸く口の中の物を飲み込め終えたエドワードが、言葉を返す。
「作るのが結構大変だと、聞いた事があるが」
「んー、作るの自体はそこそこだけど、マメに見てやら無いと駄目だから、根気はいる料理だよな」
 一口食べたおかげで、エドワードの食欲も戻ってきたようだ。パクパクと美味しそうに食べ始めたのを見届けて、
 ロイも食事を続ける。
 それからは、いつもと変わらない食事の時間を過ごす。
 デザートはロイが買ってきたケーキを食べる。エドワードの様子がおかしいと慌てたせいで、
 玄関の棚に忘れ去られていたのを思い出したのだ。自分用には甘さ控えめのゼリーを取り出し、エドワードには箱ごと渡してやる。
「買い過ぎだろー。こんなに食べれないって」
 ゴロゴロと入っている箱の中身を見て、エドワードは抗議の声を上げるのに、ロイは愉しそうに笑い、
 明日にでも食べれば良いだろ?と、反省する様子も無い。
「全く。どうせあんたは、対して甘いものは食べない癖にさ」
 生菓子を翌日持ち越すなんて、作った人に対する暴挙だとかぶつくさと呟きながらも、
 エドワードはせっせとケーキを口に運んでいる。
「別に食べない訳ではないさ。君が食べさせてくれるなら、喜んで頂くが?」
 そうロイが告げてくるのに、エドワードは呆気に取られて相手の顔をまじまじと眺めてしまう。
 そう言えば、先ほどはロイがシチューを口に運んでくれたんだった。
そう思い返しながら、恥かしさ全開の自分の気持ちを押し殺して、「ん」と自分の食べていたケーキを差し出してやる。
 ロイは瞬間、驚いたように目を瞠るが、次には嬉しそうに口を開けて、差し出された物にパクンと口に頬張る。
 そして、美味しそうに咀嚼しながら、飲み込み終わるとエドワードに感想を告げてくる。
「うん、美味しいな。君が食べさせてくれるなら、私の好み以外でも食べれるようになりそうだよ」
 そう告げては、また強請るように口を開けるから、エドワードはついつい、ケーキを切り分けて口に運んでしまう。
 そして今度は、フォークを差し出すエドワードの手ごと掴むと、先ほど同様に美味しそうに、嬉しそうに口に頬張る。
 口の物を食べ終わると、ロイはエドワードに礼を告げ。
「ありがとう、美味しかったよ。出来ればこうして、ずっと君に食べさせて貰いたい位にね」
「………恥かしい奴だな! 飯、飯くらい自分で食べろ」
 真っ赤になって手を引こうとするのに、ロイはしっかりと握って離す素振りもない。
「ちょ、ちょっと…。もう良いだろ!」
 引こうとした手の平は、逆にロイへと引寄せられて、彼の頬に添わせられる。
「エドワード、君の事が好きだ」
「大佐!」
 何をと続けようとした言葉は、持たれた手を額に当て祈るように瞳を閉じるロイの行動によって止まる。

「舞い上がっての言動なのは否定しない。君が…、君が私の口付けを拒まなかった時から、私の気持ちは舞い上がりっぱなしだ。
 君の事がずっと好きだった。愛していると言わせてくれるなら、何度でも言おう。
 迷惑なら言ってくれ。これ以上、君には触れないと誓うから…」

 そう告げ、手の甲に寄せられたエドワードの手を握るロイの手が、微かに震えているのを、エドワードは感じている。

 ――― 自分だって、ずっと、ずっと好きだった ―――

 そう伝えれれば、どれだけ楽で嬉しいだろう。けど、そう答えるには………。
 長い躊躇いの時間が、ロイの胸中に翳りを生む。
「解っている…。いきなりこんな事を伝えられても、君だって困るだろう。
 私も…、私も、君らが悲願を達成するまで、待ち続けるつもりだったんだ」
 そう呟きながら、自分の性急さに嘆息を吐く。
 そして、諦めたように目を開いて向けた先を見て、慌てふためいてしまう。
「す、すまない! 気に触ったのかい?」
 そう窺うロイに、エドワードは小さく首を横に振る。それにホッとして、もう少しだけ窺ってみる。
「嫌だったんじゃないか? こんな事を言い出されて?」
 それにも、エドワードは小さく首を振る。相変わらず涙を溢れさせているが、そこには嫌悪の光は浮かんでいない。
 それに勇気付けられ、ロイは囁くように問いかける。

「君は…、私の事が嫌いじゃない…?」
 それには、コクリと頷いて返される。

「好き…?」
 その呟きにも、エドワードは意を決したように躊躇いながらも、はっきりと頷いて返してくれる。
 ロイは、まだ握り締めていたエドワードの手に力を籠める。そうして…。

「それは、……… 私と同様の気持ちで…?」
 震える声が自分でも滑稽な程だが、そんな事を気にかけてなんかおられない。
 ずっと温めてきた思いが叶うか否かの瀬戸際で、己の無様さを気にしていては、何一つ手にすることは出来ない。
 ロイの祈りに近い告白に、エドワードは涙ぐみながらもはっきりと頷き返してくれる。そして、震える唇で。

「…好きだ。俺・・も、ずっとあんたの事が…好きだったんだ」

 掠れて、涙声で聞きづらかったが、ゆっくりと途切れ途切れになりながらも、エドワードはそう返してくれた。
 ロイは湧き上がる喜びに突き動かされるまま、テーブル越しにエドワードを抱きしめる。
 驚いたエドワードが僅かな抵抗を示すが、あっさりと引っ張り込まれて、
 テーブルを跨ぎ終わる頃には大人しくロイの腕の中に納まった。

 抱きしめられている腕の中で、エドワードは不思議な感覚に戸惑っていた。
 温かく、ロイの想いが伝わるような腕の中はのぼせそうな位暑く感じる。
 乱れて早くなっている鼓動は、寄り添うことで同化したように相手の心音も上げていく。
 落ち着けるはずがないと思いながらも、小さな深呼吸をすれば、自分を包むように取り巻いている相手の匂いが鼻腔をくすぐっていく。
 安堵と高揚。相反する思いが混ざり合う空間は、狭いのに少しも窮屈に感じなくて、逆にどこまでも広がって行きそうにも感じられる。

 ――― 恋をしてるんだな、俺 ―――

 そんな言葉が、ストンと自分の中に落ちてきた。
 理屈では理解できなかった思いだったが、こうして自分が感じていることを知ることで、
 理由など解らなくても自分の中に育っていた思いに言葉を付けれる。満ち足りた空間を感じていると、
 そっと顎に添えられた手が、エドワードを上向きにさせるのにも、逆らう事無く従う。見上げた直ぐ傍には、
 自分同様にこの空間に酔っているのが判る熱を孕んだ黒い瞳がエドワードを映している。

「…エドワード…」
 艶を濃くした声が自分の名を呼ぶと、エドワードは意味も無く込上げてくる不安に、身をふるりと振るわせる。
 熱っぽい視線。
 高揚して上気した頬。
 甘く零れる吐息。
 触れそうなほど傍で息づくそれらに、互いが感じ、感覚を分け合っている…と、そう思える空間。
 そんな空間に心地良さを感じるというのは、恋に酔っている者同士だからこそ。

 ゆっくりと落ちてくるロイの唇を受け止めながら、エドワードは瞼を閉じる。
 恋人同士が口付けの時に互いの目を閉じるのは、後ろめたさからかもしれない。
 欲望に塗れた自分が映る相手の瞳を見たくない為の…。







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