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Selfishly

Selfishly

二人の関係 8

Vr ~少将Rと愛され人Eの物語 1~



 ―: Recent dream situation

 Side R

「―――――― んっ・・・」
 陽光を遮断している暗闇の中。寝起き前の浅い夢の淵に居るロイが、密やかな吐息をその閉じられた口元から零す。
 切なげに寄せられた眉にも大人の魅力が有ると、街の女性達なら嬉しそうに云うのだろう。
「あ・・・あぁ・・・」
 うっすらと開かれた唇からは、睦言を囁くように甘い声が続けて零れた。
「ま・・ってくれ・・・。後、少し・・・―― エド・・・」
 焦れたように身を捩り、シーツが皺に成る程強く握り締められる。
「あぁ・・・―――」
 陶酔したような吐息が空気に溶け込む前に。

 ジリリリリリィ―――!

「はっ!?」
 大音量で喚き散らす目覚まし時計の音に、ロイは慌てて飛び起きるようにして身を起こすと。
「・・・煩いっ! もう後少しだったのにっっっ」
 手元の枕を怒り任せに投げつけてやる。

 ガッシャーン

 派手な音と共に、使命を全うした目覚まし時計はその音を止めた。

「しまった・・・。またやってしまったか・・・――」
 はぁ~と重い嘆息を吐きながら、ロイ・マスタング少将の朝が始まる。
 
 これが近頃の彼の起床状況。
 


 Side E

 うつ伏せに眠っているエドワードの目覚めは近いのだろう。
 シーツの波が中の彼の動きと共に、ゆっくりとその皺の紋様を変化させている。

「・・・・・・っ」
 声にもならない程の微かな声音が、薄く開いた口元から滑り出てくる。
「――― あっ・・・」
 くんと喉を逸らして何かに耐えるように、小さくその身を震わせた。
「―― まっ・・・て、だ、めだ・・・止めろ―――ロイっ!!」
 自分の叫んだ声で、エドワードはぱっちりと覚醒する。
 目覚めた瞬間に室内に変わりがないことを確認すると。
「はぁ~~~~」
 額にしっとりとかいた汗を手の甲で拭いながら身を起こす。
 恐る恐る自分の状態を確認し、先ほどの溜息と同じ位、長々と安堵の息を吐き出したのだった。
「――― 良かった・・・。ギリ、セーフ・・・」
 
 落ち着いた途端、頭に浮かんでくるのは、今しがたまでどっぷりと浸かっていた夢の記憶だ。さすがに寝起き前に見ていただけあって、今日の記憶は鮮明でリアル過ぎる。
 
 プルプルと頭を振って記憶を振り落とすと、エドワードは起床後とは思えない重い足取りでバスルームに向かう。

「・・・ったく、いい加減に忘れろよ俺・・・」
 そんな愚痴めいた呟きが思わず漏れる朝。
 これが近頃、起床時の彼の口癖になっている、そんな情況。

 ―: Reason for the sigh

 ここは1日24時間、慌ただしい場所だ。
 事件が起きている無いに関わらず。

「先週の事件の報告書はどうした? 何、まだ上がって無いだと? 寝惚けたことを言うのは寝てる時だけにしろ!」
 引切り無しに上がってくる報告書に通達をと捌きながら、ロイは部下に叱咤激励を飛ばす。精力的に仕事をこなしている上司を盗みしながら、部下達は苦笑いを交し合ってみせる。
「―― どうしたんだ、あの人?」
「ついこの前まで、この世の終わりみたいな顔してたんだがな・・・」
 首を傾げることしきりのメンバーの中で、この状況を嬉々として喜んで受け止めているのは、勿論、副官のホークアイだ。
 追加の書類も瞬く間に決裁され、デスクの上は今だかってなかったほどクリーンな状態を見せているのだから。
「閣下、明日の会議内容の資料が上がって参りました」
 つぃっと差し出された書類は束と言っても差し支えない量が有る。
「・・・明日の資料が」
 嫌な予感が胸を過ぎるが、一応確認の為に訊ねてみる。
「はい。明日からの御前会議の進行は、マスタング少将にお願いすると・・・」
 そんな事だろうと思ったと一瞬眉を顰めるが、小さな嘆息1つ吐いて頷いて受け取る。
 ロイはつい先頃、准将から少将へと昇格した。
 最年少での就任で巷を沸かしたエリート様の実情は、今までの職務に上の方々の世話役件雑用係が付随したと云うものだ。
 
 ――― こんな事では、次はいつ会えるのか・・・。

 思わず漏れた溜息に気づかないまま、ぼんやりと今思い浮かべた相手のことを想う。
 とんでもない事があって、もしかしたら修復不可能になるのではと恐れていた日々は、エドワードが許し歩み寄ってくれた事から改善された。
 あの鬱々とした日々を思えば、多少の忙しさなど何とも無い。
 やや後ろめたい事を隠し持っていたとしても、―― それはロイの意志ではどうにも出来ない夢の中のことなのだ。
 
 ――― ・・・しかし、今日の彼は一段と・・・。

 今朝方の夢を思い返せば、知らず知らずに口元が弛む。
 夢の中では都合よく改竄され、自分の望む姿で現れてはロイを愉しませてくれるのだ。それはさながらインキュバスの誘惑のように。
 理性へのストッパーが利かない眠りの世界で、自分はそんな彼に・・・。

 そこまで考えが流れてはたと気づく。
 ――― こんな事だから、いつまでも駄目なんじゃないか・・・。

 自嘲気味に口元を歪めて、がっくりと肩を落とす。
 暫し自己嫌悪に落ち込んだ後、悩ましい溜息を1つ吐いて、目の前の現実を見据える。自分の物思いに浸って入れるほど、ここは暇ではないのだ。
 片付けても片付けても舞い込んでくる仕事をしていれば、不埒な妄想などに浸る時間も無い。・・・無いはずなのだが。

 ――― 今度はいつ顔を見れるのか・・・。

 逢えない日々が続くと、どうにも思い出す回数が増えてくる気がする。
 理性では高々、男友達の一人の顔を見れない程度でと哂う反面、感情はそんな自分を否定するように相手の事を想う方向へと勢いを付けて行くから始末に終えない。
 また1つ、深い嘆息を吐いてペンを動かし始めるのだった。




「・・・なぁ? 何であんなに無駄にフェロモン垂れ流ししてるんだ、うちの将軍閣下様は」
 彼らの上司様は、開け放たれた執務室の扉の正面に座っているのだ。見ようと思わなくても目に入る。しかもいつもなら有る遮る書類の束も無い今は、それこそ一挙一動、溜息1つ吐いてるのさえ見て取れる。
 さぼりモードの時はきっちりと扉を閉めているから、今はたぶん無自覚なのだろう。
「――― 傍迷惑な」
 憮然とした表情でそう零すブレダに、周囲は大きく頷いて同意を示す。
「まぁ、幸いこの司令室には我々しか居ませんからね」
「ええ。最近は食事も部屋で済まされていることも多いようですし」
「不幸中の幸いだぜ」
  将校の時から、滅多やたらと女性に受けて来た上司を持つ部下の悩みだ。東国にあると伝え聞く誘蛾灯のようだとファルマンが喩えた時には、真剣に頷いた。が、惹かれるのは蛾などではなくて、才色兼備な蝶ばかりとなると羨ましさを通り越して、あやかりたいと心底願ってしまう。
 普段でもそんな状態の上司が、今のように何やら妖しい色香を漂わせて外に出て行けば、蝶どころか蛹に幼虫、枯れ枝さえ連れ歩きかねない。
 有る意味、仕事が滞る以上に男性陣には迷惑な状況になるのは目に見えている。
「これ以上、俺らの幸を減らしてくれるなよ」
 そんな男達の切なる祈りを呟いた。


 勿論、そんな状況下の中でも変わらぬ剛の女性も居る。
「閣下、少し一休みされませんか?」
 そう声を掛けて入って来た副官を見つめて、ロイは思わず数回瞬きをして見つめてしまう。そんなロイの反応を気にせずに、ホークアイはテキパキとデスクの上にお茶のセットを置いていく。
「・・・・・ 雨でも降るかな」
 思わず後ろの窓に視線を流した。
「これで雨が降るようでしたら、とうの前に槍が振っています」
 口元に微笑を湛えて言われた言葉が何を指しているかを察して、肩を竦める。
「それもそうか」
 妙なところで納得して、礼を言ってからカップに手を伸ばす。
「それとこちらが来ておりました」
 明らかに軍の関係書類では無い装丁の封筒を差し出してくる。
「・・・ああ、もうそんな時期か」
 それは招待状だ。―― 国立研究所設立記念日 ――
 ロイが発案し奔走して立ち上げた研究所も、これで片手を越す創立記念日を迎える。毎年招待状が届いて、年月の流れを知らされる。
 薄い封書の中には招待の文句と、出欠の連絡方法だけが書かれている。
「参加者候補のリストはこちらに」
 研究所の主だった人々から、財団のTOPに軍の高官と名士と知識人が集う式典は、当然警護も重要だ。招待されている側だからと、警護から外れられるなど甘いわけがない。特に現在のグラマン総統は、エドワードの一件からずっと根に持っているのか、国研絡みをロイに回して来る感が有る。
 自分が陣頭指揮を取れるならまだしも、招待者では指揮にも限りが有る。
「これは、やはり出席しなくてはいけないんだろうな」
 外を気にしつつ煩方々と社交を演じこなすのは、中々に骨が折れるものなのだ。
「そう、ですね・・・。断わるのは難しいかと」
「だろうな」
 参加者候補のリストをパラパラと目で追う。どうせ後できっちりと見直し対策をたてなくてはいけないのだ。仕事の合間に見る程度では終わらせられない。そんな思いがページを繰る指を粗雑にさせる。
 そして、国研の出席者のページでぱたりと動きが止まった。
 ずらりと並んだ名前から、一人の人物の名前を探そうとするのは、もう無意識の反応だ。

「――― エドワード君は参加されませんよ」
 上司が何を探しているかなど、止まったページから察せられる。
 指摘されるまで自分の行動に気づいていなかったらしい上司は、気まずそうな表情を見せ、「判っているとも」と憮然とした口調で返した後、リストをぞんざいにデスクの端に寄せた。

 ――― 今までだって、エドワード君が出席したことなんてなかったのに。
 国研の最大の功労者として、マルコー師からもそれこそこの上司からも出席をお願いしてきたが、彼は「堅苦しいのは苦手だから」と公の場に出ようとして来なかったのだ。
 ――― 判ってても探さずにはいられない、という処かしらね。
 くすりと内心で笑いを浮かべた後は、気を引き締めて伝えなくてはならない用件を話し出す。 

「閣下、その式典で少し困った点が」
 そう話し出したホークアイに目線を向ける。
「どういった点で?」
 既にその日、襲撃計画のテロからの声明文でも来ているのか、それとも爆弾の犯行予告でも。思い当たるものは幾多も有る。一体、そのどれだと彼女は話し出すのだろうか。式典が開かれる前から、騒々しいことだ。
 そんなことを頭に想い描いていたロイの推測は、全く外ればかりだった。
「実は閣下のパートナーに関してですが」
「パートナー? それは毎年・・・」
 護衛も兼ねてホークアイを連れ立って参加して来たのではないか。
「今年は先の大雨で、合同演習が延期になっていたのはご存知ですね?」
 2年に1回の割合で4つの支部と中央が親睦視察を兼ねて行われている恒例の行事だ。今年は中央が北方との演習に出向く番なのだ。
「それが・・・?」
 そう問いかけようとして思い出す。
「――― そうか、今年の指揮官はブレダだったな」
「はい、そうなんです」
 ロイの言葉を肯定する彼女の声にも気懸かりが滲んでいる。ロイは片肘をデスクについて拳に顎を乗せると、空いた手の指で机の上をコツコツと叩いたまま沈黙する。
 それがロイの思索している時の癖なのを判っているホークアイは、余計な言葉を挟まずにロイの判断を待っている。

「――― ブレダのチャンスをふいにするわけには行かないな・・・。
 君以外の他の候補は?」
 その問いにも、ホークアイは申し訳無さそうな表情を見せてくる。
「護衛だけでしたら数人心当たりが有りますが・・・、パートナーとしてとなると経験値的に考えても該当する者は・・・」
 ホークアイのように何度となくロイのパートナーとして参加してきた者ならともかく、一ヶ月足らずで護衛をしつつ社交をこなせる者となると条件が厳しくなり過ぎる。
「そうだろうな。―― 判った、パートナーは養母から適当な人材を聞いてみよう。それと当日の会場内の警護は例年よりもやや厚めに組むようにして対応する」
 それで良いなと目線を送れば、ホークアイも気懸かりの1つが消えほっとしたような表情で頷き返してくる。

 ブレダが不在となると、当日の警備の総指揮を取るのはホークアイになる。
ハボックは現場で指揮を取るタイプで、フュリーやファルマンでは力不足だ。
 それに合同演習と重なっているなると、その他の目ぼしい人材も割かなくてはいけない。高が演習と云えど、平時の昇格試験の意図も含まれており、特に今年指揮官のチャンスを掴んだブレダにとっては、将校階級に加われるか否かの重要な好機なのだ。2年後の時にまたしても彼が指揮を取れるとは限らない。今回は自分の昇格に敬意を評しての、ロイの推薦が通っただけだ。戦時でない今、家名や門閥でない者が上がって行くのは並大抵の苦労ではないことを、ロイ自身それを1番解っている。

 他支部にも一目置かれている北方の兵士と演習で成果を上げれば、彼の評価は飛躍的に上がる。
 そしてそうなるだろうと、ロイは確信も持っている。

 そのロイの英断をホークアイから知らされたブレダが、閉じた執務室の扉に固い決意と共に深々と頭を下げるのを、司令部の皆が見守ったのだった。
 
 *****

 結果待ちの時間は少々苦痛だ。
 次にかかるには時間が足りず、待つだけにしては長い。

 エドワードは結果待ちの研究レポートを、大儀そうに目を通しているしかない。読めば大概のことを頭に入れれる彼にしてみれば、自分が書いたレポートなど暗誦出来る代物だ。
 字を追っていた目線は知らず知らずの内に動きを止め、散漫な集中力が別の事へと思考を流していく。

 ――― ほぉ・・・。 
 と無意識に漏れた溜息。今朝方見た夢の記憶。体感への戸惑いに記憶への羞恥。それらが交互に浮かんでは沈み、その度にエドワードの表情を彩っている。――― 勿論、本人はそんな自分に全く気づいていないのだが。


「・・・・・ チーフ、どうしたんだ?」
 エドワードの研究チームのメンバーは、そんな彼の様子を遠巻きにして見つめている。あの様子では本人が意識しての事ではないだろうが、・・・少々、目の毒だ。いや、保養なのか。
 僅かに眉を顰め物憂げな吐息を吐いたかと思えば、視線を伏せて薄っすらと頬を染めいるエドワードの様子を目にした者は、そんな気は全然無くても心を騒がせられてしまう。
「―― あれは・・・麻疹だな」
 年長者のメンバーが苦笑しながらそう答えてくるのに、周囲の者は首を傾げる。
「そんなに体調が悪いようには見えなかったけど」
 さっきまでいつも通り、いやいつも以上に張り切って仕事に取り組んでいたと云うのに?
 聞いていた皆が同じような反応をしているのに、年長者の男性は「違う違う」と小さく笑ながら言い直す。
「その麻疹じゃない。―― 恋の病だ」
 楽しそうに片目を閉じてそう言えば、皆が一様に驚きそして成る程と頷いた。
「・・・チーフも人の子だったんですね」
「そりゃそうだ。―― けど、エドなら思い悩むような必要は無いだろう?」
 類稀な才能を有して、容姿はずば抜けて良く、本人の性格も研究者にしては明るく人好きされるタイプだ。本人が望まなくても、彼に惹かれる女性はわんさか居るだろうに。
「じゃ、じゃあ・・・人には言えないような相手とか・・・」
 好奇心が先にたった発言に、年長者の男が「馬鹿」と頭に拳骨を落とす。
「あの人がそんなことするわけがないだろうが」
 若い割にはモラルに厳しく堅物なエドワードだ。もしそんな恋に堕ちてしまったとしても、彼なら黙って身を引くだろう。
「あのな。―― 恋に絶対は無いんだよ。例えそれが王様や王子様でもな」

 絶対に上手く行く保障の有る恋など無い。
 好きになったら相手も・・・なんて都合の良い恋ばかりなら、傷心で嘆く者も命さえ落とす者もいるわけがない。そんなご都合ばかりなら、世界は薔薇色一色に染まっていることだろう。
 が世界は俄然、悲喜こもごもだ。

 叩かれた頭を擦りながら、「けどなぁ」と更に言い募ってくる。
「あんな状態だと拙くないか? ・・・俺らが」
 その言葉には複雑な表情を浮かべて、皆が同意したのだった。


「あ、あのぉ・・・チーフ?」
 提出のレポートを手に持って、暫し躊躇った後に声を掛けているのはこのチームの最年少のラスと呼ばれる青年だ。
 人の気配に敏感な上司が、先ほどから傍で手隙を待っている自分に全く気づいてくれない。エドワードの他人から見れば悩ましげな懊悩を間近で見つめることとなったラスは、そわそわと居心地悪そうに立っていた。
 自分を呼ばれたような気がして、エドワードは思考に浸っていた無防備な表情で顔を向ける。「ん?」と尋ねるような相槌を打つと、相手の顔が真っ赤に染まるのを不思議そうに見つめる。
「――― どうしたんだ? どっか調子でも悪いんじゃないのか?」 
 振り向いた先にいた相手を認め、その不審な様子にエドワードも今の時に戻ってくる。
「い、いえ! ぼ、僕は全然・・・。あ、あのぉ、これ、確認を・・・」
 しどろもどろにそれだけ告げると、彼は避難するように自分の席へと返っていった。
 彼の不審な言動は何だったのだろうかと思いつつも、あの青年がエドワードの事に関して大抵は過剰な反応で返してくるのも経験してきた。今回もそれの一環なのだろうと思い直すと、新しく手にした時間つぶしにほっとした。


 そんな経緯を離れたとこで見ていたメンバーは、はぁーと嘆息を吐きながら肩を落としたのだった。

 受け取った資料に目を通していると、同僚のリズに呼び掛けられる。
 いつも明るい彼女にしては珍しく硬い声音を不思議に思って視線を向ければ、その表情も心なしか精彩を欠いている気もする。
「どうかしたのか?」
 エドワードにしてみれば彼女の様子を窺ったつもりだったのだが、リズは呼び掛けた要件を伝えてくる。
「所長から内線が有ったの。少し手を開けて部屋に来て欲しいそうよ」
 電話の応対を殆どしないエドワードは、自分のデスクにかかってきた電話も気づかないことが多い。彼が不精してのことではないのは、付き合いの長くなっている者は判っているので代わりを果たしてくれるのだ。
「マルコーさんから? 判った、ちょっと行ってくるよ」
「ええ・・・」
 短い応えだけで送り出す彼女のいつもと違う様子を訝しみつつ、エドワードは他のメンバーにも声を掛けて部屋を出て行った。

 *****

「ストラストへ出向?」
 マルコーからの突然の打診にエドワードが驚きを見せる。
「そうなんだよ。私の方もチーフの君はそうそうここを離れられる立場ではないと説明したんだが、どうしたことかぜがひでも君を招きたいと先方が懇願してきてね」
「出向・・・」
 別にそれ事態は珍しいことではない。国研の開発を扱う事になった企業等へは、指導と共に教えに行くのは行っている。ただそれはエドワード達のように研究者がではなく、その下にある設備チームが殆どだ。
「―― ちなみにどの位の日程で?」
 ストラストは西方の地方都市だから、交通の便を考えても1日半程かかる。それに加えて滞在できる日数は・・・かなり少なくなるだろう。一応、頭の中で算段しながらマルコーに伺ってみる。
「そのぉ・・・」
 言い難そうに言葉を詰まらせるマルコーに、エドワードは怪訝な表情で見つめ返す。次の言葉を待っている彼の様子に、マルコーは諦めたように嘆息を1つ吐くと。
「期間は―― 1ヶ月」
「1ヵ月!?」
 エドワードの驚きにマルコーも苦笑しながら頷いて返してくる。
「私も驚いてね。が、先方の説明を聞けば、成る程と思う点も有ったんだが・・・」
 そう切り出したマルコーの話の要点を纏めると、ストラストは以前まで羊毛が主の都市だったが、近年現在の市長が近代化の先駆として頑張っており、羊毛だけでなく企業、財団と提携して工業生産工場を多数保有して経済効果を飛躍的に上げているところだそうだ。
「で先方から君の開発を導入するのを転機に、地域環境にも目を向け整えようと云う方針が決まったらしい」
 工業地帯は経済的には大きな貢献をするが、それ以上に環境への汚染や問題が危惧される。隣の地区はアメストリスの穀物庫と呼ばれている一大農業地帯だ。そちらへの影響を懸念する声も無いわけではない。
「一地方都市では難しい問題だが、近隣の地域が参加協力して行けば、地域の活性化に大きな成果が得られるだろう。
 そこで君の知識を貸して欲しいと・・・」
「俺の・・・」
「ああ。君が国家錬金術師だった頃、得意分野が鉱物・地質だっただろ? 出向の期間で、出来ればそちらの調査と、今後の示唆もして欲しいとの事なんだ」
 マルコーがそこまで話して、エドワードは一応頷いてみせる。
 が、それでも全部がすっきり納得行くわけではない。
 それ程大掛かりな調査や、門外の建設が関わってくるとなると、逆に自分一人では手に余る。国研にはその部門のチームも有るのだから、そちらに依頼するか、それこそ軍の研究・開発チームに力を貸してもらう方が、調査後もスムーズに行くのではないだろうか。

 そんなエドワードの考えをマルコーも察したらしく。
「正直、一個人の手に負えるものではないと私も思ってね。で、それとなく他の研究チームや、軍への要請も助言してみたんだが・・・。
 どうにも是が非でも君に一度は来て欲しいそうなんだ」
 マルコーの言葉にエドワードは目を丸くして驚きを見せる。
「なんでまた・・・」
 思わず頭に浮かんだ疑問が口を付いて出る。
「全くだ。―― チーフは、あちらの市長と面識でも?」
 そう尋ねられて、暫し記憶を探ってみるがそれらしいものは浮かんで来ない。
「いえ、覚えている限りでは全然」
「そうか・・・。いや、先方が偉く君の事を良く知ってるかのように褒めておられてね。てっきり以前に面識が有ったのかと」
「俺のことを?」
「ああ、礼儀正しい真面目な人柄の青年だと。若い時の経験は大切だとか何とか」
 そう話しながら、マルコー氏は苦笑しながら肩を竦めて見せる。
 エドワードも思わず眉を顰めて考え込んでしまう。
 エドワード達兄弟が若い時に国中を旅していたのは、結構有名な話なので耳にしている者も多いだろう。が、今の自分をそう例えて褒めてくる根拠が判らないから不思議だ。

 ――― ストラストなんて、アルと旅してた時に通過途中で一晩野宿した
       記憶しかないんだけどな・・・。

 そんな事を考えていると、そう云えばそんな話を少し前にした記憶が浮かんできたが、今回の話とは全く関係ないとこでだったから、思い浮かべて一瞬で流れ去った。

「現市長のクライン氏は、元々のその地方の名士でね。数年前に老齢の市長が退任されてから、市議会、市民に抜擢されて就任されたほどの人徳者だ」
 そんな説明を聞けば聞くほど、思い辺りから遠く去って行く。
「――― 全然、覚えが無いんですけど」
 困惑しているエドワードに、マルコーは笑って頷く。
「そのようだね。どこかで君の噂を聞き及んだのかも知れないな」
 エドワードは本人の自覚の有無とは関係なく、かなりの有名人で注目の時の人だ。そんな彼に、純粋な願いなら一目会ってみたい。少し穿った考えをすれば、青田買いの下見のつもりとも考えられる。
「特に強制はしない。ここには指名制は無いからね。
 ただ向こうが提示して来た条件が法外に良かったんで、君にも一応話しておこかと」
 そう言って説明された条件に、エドワードはまたも驚かされる。
 交通費や滞在にかかる費用は全て持つと云う条件から始まり、滞在期間の給与も全て持つと言ってるらしい。勿論、国研への出向の費用とは別にだ。
それと別にエドワードには出向のお礼として、別に手当ても支払う気らしい。
「しかも、将来的には国研の支部建設も応援すると」
 そこまで話が大きくなると、驚くより呆れるしかない。
 高が出向に付随するには、話が広がりすぎてやしないだろうか。
「まぁそれは、行く行くの構想らしいがね。当然、支部の建設をその地域でと云う要望も入ってくるだろうし」
 支部の建設は今後の計画には組まれてはいるが、候補地域は有る程度絞られている。ストラストのような辺鄙とはまでいかないが、田舎の都市での建設は難しいだろう。
 マルコーもその申し出には、特に意欲が無いようだった。
「返事は1週間後の期間を貰っている。ちょっと難しいかも知れないが、一応検討だけでもしてみてくれないか」
 そう話終わった彼に挨拶をして、エドワードは頭を捻りながら部屋を出たのだった。



「お帰りなさい」
 部屋に戻ったエドワードに口々に掛けられる声に、「ただいま」の一言を返してデスクに着く。
「今度は何の話だったんです?」
 向かいの席に座っているこの研究室で最年長のクラウスが聞いてくるのに、エドワードは先ほどまでの事の顛末を話してみる。

「――― それはまた・・・」
 余り前例が無い話にクラウスも返答に詰まっている。
「ひと月期間もエドに抜けられちゃ、ここも立ち行かなくなるじゃないか」 
 二人の話に集まってきた内の一人も、そう口を挟んでくる。
 彼らとて優秀な研究員だから、エドワードが不在にして直ぐに困るような事には陥らないが、ひと月に及ぶ長期間となると色々と不都合も出てくる。
「・・・だよな」
 不在の期間のプログラムを組んで出たとしても、データーや上がってきた報告次第では適時変更も加えていかなくてはならない。それをストラストのような遠方から、電話や郵送のやり取りで行うと云うのは――。

「まぁ一応、検討してくれって事だったから、その地域の資料にも目を通して考えてみるわ。丁度明後日が振り替えの休みなんで、図書館で資料になりそうなもんでも探してみるか」
 然程深刻そうな感じもなく、エドワードは後頭部に組んだ腕を回し椅子の背を揺らしながら、そう結論付けたのだった。

 そんな子供のような所作をするエドワードを見つめながら、一同は頬を綻ばす。傍迷惑な依頼だが、どうやら彼には丁度良い暇潰しになっているのだろう。先ほどの出て行く前の雰囲気とは変わって、1つの案件に集中する時の顔つきになっている。
 そんなエドワードの様子の変化に、ホッとしたのは本人よりも同室のメンバー達だった。




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