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カテゴリ:杞憂
2020年、東京五輪の開催決定に国中が湧いています。しかしなぜだか私は素直に喜べません。一つには関西に住むものとして寂しいというものがあり(維新の会・松井代表も同じことを言ってました)、一つには震災復興、原発対策がさらに遅れるという懸念、はたまた増税ラッシュなどがあります。
そして何より気になるのが、国際大会につきものであるあの独特のムードです。誤解のないように言いますと、私はスポーツ観戦は好きです。オリンピックともなると世界トップクラスのアスリートが競うわけですから、おもしろくないはずがありません。しかしいつも残念に思うのは、各種報道や世間の話題においては自国の選手の結果に一喜一憂するばかりで、スポーツ本来の面白さが蔑ろにされている点です。思うにメダル獲得の名誉は選手自身の名誉であり、国の名誉ではないのではないでしょうか。メダル獲得が国の威信などであれば、世界で最も優れた国はアメリカや中国になりますが、そういうものではないはずです。それはまるでオリンピックを戦争の昇華した形態と位置づけているかのようです。 サッカーのワールドカップや世界陸上などにおいても同様ですが、あのムードの正体は何かと考えたら、某新聞が意気揚々に表現しておりました。 「健康なナショナリズム」 コラムの筆者は50年前の東京五輪に接し、それが芽生えたそうです。健康であってもナショナリズムです。いつ不健康になるとも限りません。スポーツはあくまでスポーツ、純粋に楽しみたいと思うのは私だけでしょうか? 余談ですが、今回のプレゼンテーションで日本は「おもてなし」の文化をPRしていました。確かに日本人は来訪者に親切で礼儀正しい態度をとる国民です。しかしそれは無害でお金を落とす外国人に対してのことであって、移民や在留外国人に広く向けられていないことは、行政書士としてヴィザ入管業務に携わっている私には痛感させられます。日本は諸外国に比べて厳しく排他的な入管政策を採っている現状からすると、底の浅い「おもてなし」アピールは欺瞞でしかありません。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2013.09.10 19:54:32
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