☆ALOHA MAHALO☆

2010/07/06(火)01:24

景福宮・乾清宮 ~わたしが一番パワーを感じた場所でした~

ソウル旅行記・10年5月(37)

香遠亭を建てた高宗と高宗の后が住まわれた場所が乾清宮(コンチョングン)。 景福宮の一番北にある王宮なので、北岳山に最も近い場所に建てられていることになります。           建立時の建物は日本が占領していた間に撤去してしまい、その跡地には           総督部美術館が建てられたそうですが、1998年に撤去され、           2007年に乾清宮が復元されました。                      王宮内のほかの建物と違って、両班(貴族・上級役人)家屋の           造りになっています。                      建てられてまだ3年ほどなので新しく、           高宗と后がお住まいになっていた当時の様子そのもののような感じです。           こんな扉を開けてチャングムが出てきたような気がする~。           時代が全然違いますが。           高宗皇帝がお暮らしになった長安堂(チャンアンダン)です。           長く安らかに暮らせるように、との願いが込められています。           ですが、高宗はここに約10年ほどしか住むことができませんでした。           こちらは秋水芙蓉楼と呼ばれるもので、香遠亭がよく見えるように           他の部屋より一段高く造られています。           ここから高宗は香遠亭を眺めていらしたんでしょうね~。           王様が座られる玉座であることを示す日月五峰山図が掲げてあります。           乾清宮は一番私がパワーを感じた場所でした。           それは北岳山の気がダイレクトに届いているところだからだと思います。           けれども、ここは非常に悲しい歴史のある場所です。。。           復元直後の公開時の予約必須ツアーは韓国語のみだったそうですし、           現在も日本語のガイドツアーにはこの場所は入っていません。           朝鮮王朝最後の王でありながら最初の皇帝であった高宗皇帝は           神貞王后(シンジョン ワンフ)の養子になって12歳で王位につきました。           幼い王に代わり、養子先の皇后と父の興宣大院君(フンソンデウォングン)が           摂政政治を行いました。高宗が皇帝となって11年目に興宣大院君が退き           高宗の親政政治になりましたが、妻である明成皇后(ミョンソン ファンフ)の           一族である閔(ミン)氏一族が政治に関わってくるようになり、           高宗は父の興宣大院君と妻の閔一族の間で苦しい立場に置かれたようです。           明成皇后は16歳の時に父(興宣大院君)の妻の推薦で王妃に選ばれました。           聡明な王妃は政治にも関わるようになってきたのですが、           義父である興宣大院君と考えの方向性が違っていたため、           考え方のズレが大きくなるにつれ、つらい立場に立つことになりました。                当時の韓国は西欧諸国が進出してきており、それらの国々に対して           王妃は巧みな外交手腕を発揮していたといいます。そして、           日本に対してはロシア寄りのいわゆる親露政策で対抗しようと           したために、明成皇后は日本人によって乾清宮の中で暗殺されました。           妻を殺害された高宗皇帝は身の危険を感じてロシア領事館に逃げ込み           一年後に乾清宮ではなく徳寿宮に戻りますが、王としての権限は失われ、           退位することになりました。高宗皇帝がロシア領事館に移った時点で           景福宮には王宮としての機能がなくなりました。                      乾清宮は高宗が父の興宣大院君に内緒で建てていた建物で、           摂政政治から親政政治になったところで移り住んだそうです。           力を持ち続ける父から離れるために住居を移したかったのかもしれませんね。           長く安らかに暮らしたいと願った王宮で有能な妻であった明成皇后が           殺されてしまうとは、乾清宮建立時には思いもよらなかったことでしょう。           私は見学時に気がつかなかったのでお参りしませんでしたが、           暗殺されてしまった明成皇后のお墓は乾清宮のそばにあるそうです。           もし、この王宮の歴史を深く知っていたら、乾清宮を見学するのは           やめていたかもしれません。でも、景福宮へ行こうと思ったとき           あえて何も調べないで行きました。そのほうがその土地のパワーを           先入観がない、素の状態で受け取れると思ったからです。           この乾清宮で感じたパワーは温かく、豊かで、そして落ち着いたものでした。           今思うと、それは明成皇后の平和への強い願いだったのでは?と思います。           明成皇后は朝鮮の子孫たちの繁栄をこの土地で見守っていられると思います。           そして、争いの虚しさを景福宮へ訪れる人全てに                         教えてくださっているのだと思います。           

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