000000 ランダム
 ホーム | 日記 | プロフィール 【フォローする】 【ログイン】

レフティドラゴンのバリュー投資日記

PR

X

全11件 (11件中 1-10件目)

1 2 >

ランキング

2008年01月03日
XML
カテゴリ:ランキング


お正月気分も今日までですね。皆様いかがおすごしでしょうか?
私は年末年始は久しぶりに気合を入れて銘柄研究に勤しんでいました(個人的には今年は勝負の年になるのではないかと考えているもので)。そのせいか、例年にもましてあっという間に連休が終わってしまったような気がします・・・


今回は今年の私の投資方針について述べてみたいと思います。

今年は日本株一点集中投資で勝負してみたいと思っています。

手持ちの米国株・中国株・FX資金だけはしばらく放置するつもりですが、残りの現金は3月の権利確定時期あたりまでをめどに全て日本株に投資し、その後も株価低迷が続けば今後の追加資金も全て日本株に振り向けようと思っています。

過去二年間私の日本株投資は散々で、中国株とFXの利益でどうにか大怪我を避けてきた状況です。また、今年の日本経済の展望もお世辞にも明るいとは言えません。最近流行の国際分散投資の大切さも理解しているつもりです。

それなのに日本株集中投資ですから、バカ丸出しと言われても仕方ありません。
ですが、やはり私にはそれがベストの方針に思えるのです。これだけ賑わっている新興国市場は乗り時ではなく降り時としか思えませんし、日本株はあまりにも売られすぎに思えます。

私が本当に大きな資産を築くためにはどこかで一度リスクをとって全力で勝負しなくてはならないだろうと以前から思っていたのですが、今年はその勝負時かもしれないと考えています。
まあ、信用取引や少数銘柄への集中投資をするわけではないのでちょっと大げさかもしれませんが。

年末年始の努力の成果で、現在の持ち株以上に魅力的な銘柄を2つ見つけることができました。早速明日からその銘柄を買っていくつもりです。私としては大真面目に2年で2倍はいくと思っているのですが、どうなりますやら・・・








最終更新日  2008年01月03日 16時42分32秒
コメント(2) | コメントを書く


2006年04月15日
カテゴリ:ランキング



長きにわたってお送りしてまいりましたこのシリーズもとうとう1位を残すのみとなりました。

ずっと読んでくださった方にはぜひ1位を予想していただきたいですね。これまでのランキングから私の傾向を分析すれば的中はそれほど難しくないと思うのですが。








ではでは、勿体つけたところで(笑)発表させていただきます。



第1位 長野五輪 スキージャンプ団体(1998年)
とにかくすごい試合。どんな脚本家でも決して書く事のできない神話のようなシナリオでした。

このシーズン、日本ジャンプ陣は圧倒的な強さを誇っており、W杯の総合ポイントランキングでは船木・原田・斉藤の3人が5位以内に入っているほどでした。
団体メンバー4人中3人が世界ランク5位以内、しかも会場は日本。いくらジャンプが天候に左右される要素が大きい種目とはいえ、どう考えても金メダル以外ありえない状況だったのですが・・・

日本の一人目には岡部が起用されました。岡部はこのシーズン調子を落としていたのですが、ギリギリで五輪までに調子を戻してきました。そして、個人戦のラージヒルで大ジャンプを飛び、葛西を押さえてメンバー入りしたのです。

余談ですが、葛西は当時も世界ランク10位前後の実力はあり、当時の日本でなければありえないメンバー落ちでした。葛西は当時の悔しさを今でも忘れておらず、自身6回目となる2010年の五輪での金メダルを目指しています。日本におけるV字ジャンプの先駆者で、全盛期には頭と足先が平行になる美しいフォームから欧州で「カミカゼカサイ」と恐れられた孤高の天才葛西紀明、彼が不可能を可能にしてくれることを私は願っています。

岡部の1回目はまずまずの121.5mで、日本は2位につけます。そして2人目の斉藤が130mの大ジャンプを飛び、早くもトップに躍り出ました。あとは差を広げる一方で独走で優勝だろうと私は安易に考えていました。

しかし、3人目に入ると雪と風が激しさを増します。追い風かつ助走速度が出ないという悪条件となり、各国の選手とも低調なジャンプが続きます。
そして、原田の番となりました。4年前のリレハンメル五輪の悪夢の失敗ジャンプを払拭する時が来たのです。
ところが神の悪戯か、原田の時に雪と風が一層激しさを増したのです。テレビの画面でスタートする原田の姿が見えないほどの状況でした。後に踏み切り地点も見えなかったと語った原田の記録は何と79.5m。何もここまで、というくらいの規格外の失敗ジャンプで(笑)日本は2位に落ちます。
さらにエースの船木も110m台の失敗ジャンプに終わり、1回目を終了した時点で日本は予想外の4位まで転落してしまいました。

それでも上位チームとの差は僅かで、2本目で逆転は実力的に十分可能でした。ところが、ここで雪がさらに激しくなり、競技は中断されます。一本目まで終了しているので、このまま中止となると日本の4位が確定してしまいます。何というタイミングの悪さか!こんな事がありうるのか!私は白馬の風に翻弄され続ける状況に呆然となりました。

ここでテストジャンパー達が続行を願う選手たちの想いに応え、危険を顧みず視界不良の中で大きなジャンプを連発します。天候もどうにか持ち直し、2本目が行われることになりました。それでもいつまた天気が悪化するか分かりません。私は日本が早い段階で抜き返すよう祈るのみでした。

1人目の2回目(通算5回目)はスタートゲートが上げられた事もあり、各国選手が120m越えの大きなジャンプを連発し、日本との差を広げていきます。しかし、ここで岡部が伝説級の大ジャンプを見せます。独特の低い飛行曲線で飛び出し、最長不倒の137mを飛んだのです。この1発で日本は一気にトップに浮上しました。
ジャンプ後のテレビ向けのインタビューで岡部は「風がよかっただけです」と熱狂する会場をよそに淡々と答えました。しかし、実はコーチと抱き合い、「タイミングぴったり。今期最高のジャンプ」と涙したそうです。なんというひねくれ者でしょうか!最高です(笑)ちなみにこの時のメンバーは原田以外ひねくれ者ばかりです。

続く斉藤は124mを飛び、トップを守ります。目立つ記録ではありませんが、実はこの時不利な横風が吹いていました。不利な条件の中、卓越した技術で距離を伸ばしたのです。
斉藤は個人戦から一貫して風に恵まれず、成績も低調でした。世界トップクラスの実力がありながらこの大舞台で最後までいい条件に恵まれることはありませんでした。私は斉藤のことを思い出すたび、人間の抗えない運命というものを考えてしまいます。
せめて私だけでも斉藤がこの金メダルの獲得に最大級の貢献をしたことをずっと忘れないでいようと思っています。

そして、あまりにも有名な原田の2本目です。二転三転する戦況と上にも下にも想像の枠を大きく越える原田のパフォーマンスを考慮すると、もはや何が起きるか見当もつかず、ただ祈るしかありませんでした。
全てが予め定められていたかのように、原田は137mの特大ジャンプを見せました。
実況の「高くて・・高くて・・いった~!!大ジャンプだ原田~!!」も最高でした。記録に残る名実況だと思います。
飛んだ直後から原田は号泣です。言葉になりません。率直に言ってメチャクチャです(笑)しかし見ているこちらもただ涙。感情を揺さぶられるばかりでした。

これで決定的なリードを奪った日本はアンカー船木が貫禄の126mを飛び、見事金メダルに輝きました。実力どおりの順当な優勝では決して味わえない、天井知らずの感動を味わわせてもらいました。
近年日本ジャンプは当時が嘘のような低迷を続けていますが、あれほどの感動をもらったのですから10年やそこら低迷してもなんら文句はありません。

それにしてもこの五輪、ノーマル・ラージ・団体と続いた原田劇場は何と表現すればいいのでしょうか。規格外の大傑作でした。船木が個人戦で金メダルを取った事も、団体金メダルが岡部・斉藤のおかげで取れた事も全て吹き飛ばすインパクトがありました。
当時ある雑誌に「全ては神の化身である原田による自作自演なのではないか」という記事が出たのですが、本当にそうなのではないかと思わせるほどでした。

前回、日本最高のアスリートは伊達だと書きましたが、記憶に残るという意味では原田雅彦の右に出るものはいないでしょう。他の選手では決して許されないような大失敗までが物語の一部なわけですから、どんなに強い選手でも超えられるものではありません。



あ~マジで疲れた。過去最大の大作になってしまいました。
最後まで読んでくださった方、本当にどうもありがとうございます。







最終更新日  2006年04月15日 23時39分39秒
コメント(8) | コメントを書く
2006年04月09日
カテゴリ:ランキング


4月に入り、相場は順調のようです。もっとも私は相場が上がるほどに投資の熱意が下がっています(笑)
現在は日本株高・中国株高・円安という状況なので基本的に何もできません。
相変わらず現金比率は高いので何かやりたいのですが。
まあ、調査を熱心にやればやるほど何かしら理由をつけて株を買ってしまうのが人間の悲しい性ですので、今は怠けモードでちょうどよいかと思っています。




というわけでブログ熱も低下中なのですが、極めて少数のマニアックな支持者の方向けに、放置気味のスポーツ名場面ランキングを再開したいと思います。



第2位 96フェドカップ シュティフィ・グラフ対伊達公子(1996年)

第10位と全く同じ対戦です。しかも同じ年。1年で2回の伝説の名勝負は、おそらく私が生きている内にはもうないでしょう。

この試合はテニスの国別対抗戦であるフェドカップの準々決勝、日本対ドイツ戦の中の第3試合として行われました。ドイツは世界ランク1位のグラフと5位のフーバーを擁し、優勝候補筆頭でしたが、会場は日本の有明だったため、日本にもホームの大歓声というアドバンテージがありました。
前日に行われた2試合ではグラフが沢松に、伊達がフーバーにそれぞれ勝ち、1勝1敗で天王山のエース対決を迎えていました。
当時世界ランク5位だったフーバーを倒した伊達(当時7位)の調子はよく、グラフ戦にも期待がかかりましたが、伊達は不運にもフーバー戦で足を痛めてしまいました。

テーピングをしてなんとか試合に臨んだ伊達でしたが案の定動きは悪く、第1セットはいきなり5ゲームをグラフに連取されてしまいます。
会場の観客もテレビで見ていた私もすっかり諦めムードでしたが、そこから伊達が1ゲームずつ取り返し始めます。ポイントを取ることで足の事が意識から消えたのか伊達の動きも次第によくなり、とうとうタイブレークに突入しました。そしてこのタイブレークで伊達のダウン・ザ・ラインが次々に決まり、とうとう伊達が第1セットを先取したのです。

私は非常に興奮したのですが、1,2分のCMが明けると既に第2セットをグラフが取っていて最終セットに入っているではないですか!!なんとバレーボールのWカップでよくある時間差録画放送だったのです。
最終セットは互角の展開で進みましたが、伊達の4-5となった時点でテレビの予定放送時間は10分を切っていました。この時点で「あ~あ、このゲームを取られて伊達は負けたんだな」と悟ってしまい、テレビというスタイルに失望していました。
ところが、伊達はこのゲームを取ります。あまりの熱戦にテレビ局(たしかTBS)が放送時間を延長して最後まで放送することに決めたのです。当時野球以外では大変珍しいことでした。

最終セットはタイブレークがなく、2ゲーム差がつくまで試合が続きます。そして、両雄は一歩も譲らず、7-7,8-8,9-9とどこまでもゲームが続いていくのです。伊達は痛めた足で懸命に走り、グラフも完全アウェイのなか女王の威信を見せつけます。
私はこのゲームが永遠に続くのではとすら感じ始めていましたが、必死に伊達を応援しつつ最後にはグラフが勝つのだろうという思いを打ち消すことはできませんでした。それほど当時のグラフの実力は図抜けていました。

しかし、伊達の実力・精神力・オーラは真のワールドクラスでした。10-10から2ゲームを連取し、とうとうグラフに勝利したのです。私は感情を揺さぶられすぎ、いてもたってもいられなくなり、終了後すぐに走りに行きました。我ながら意味不明の行動です(笑)
結局この勝利がものをいい、日本は3勝2敗でドイツを破りました。


今回ベスト10入りした2試合をはじめ、伊達は96年シーズンに各大会で好成績をおさめました。輝かしいキャリアの中でも最高の1年といってよく、グランドスラム優勝も手を伸ばせば届くところまで来ているように思えました。

しかし、伊達はこのシーズンを最後に引退します。
力が衰える前に引退したいと語るアスリートは多数いますが、ここまで鮮やかにそれを実行したのは伊達一人でしょう。あまりにも惜しい引退でした・・・

私は伊達公子こそ過去20年間の日本のあらゆるスポーツ選手のなかでナンバーワンの存在であったと評価しています。
異論のある方も多いかもしれませんが、世界中の国で強化に力を入れており、ボクシングのような階級も水泳のような種目もなく、そのうえ個人種目であるテニスで伊達の残した成績と印象はイチローも中田英も荻原も北島も及ぶものではないでしょう(誰か忘れているかもしれないので、伊達よりこいつのがすごいぞ、というのがある方はぜひ教えてください)。







最終更新日  2006年04月09日 21時38分28秒
コメント(0) | コメントを書く
2006年03月27日
カテゴリ:ランキング



しばらく体調を崩しており、間が空いてしまいましたが、あと3つなのでランキングを発表しようと思います。

第3位 第21回全国大学ラグビー選手権決勝 同志社対慶應(1985年)

今回のランキングの中でも最古の名勝負であり、当時小学校2年生だった私に進学する大学まで決心させた試合でもあります。

当時の同志社は平尾、大八木らスター選手が綺羅星のごとく集まっていました。その強さは圧倒的で、この年は史上初の大学選手権3連覇を確実視されていました。
対する慶應は体格も小柄で、全国的なスター選手もいませんでしたが、狂信的なまでの猛練習で鍛え上げ、早稲田戦・明治戦を奇跡の逆転劇で連勝するなど、接戦を制し続けて決勝まで上がってきました。
当時の私は大学名もほとんど知りませんでしたが、ドラマチックな逆転劇を繰り返す慶應、特に華麗なステップをみせるウイング若林の大ファンになっていました。

とはいえ、同志社は慶應が1点差で辛勝した早稲田を27対7で一蹴するなど図抜けた力を誇っており、慶應の勝利を予想する声は皆無でした。
実際の試合も戦前の予想通りに進み、序盤で0対10となりました。その後も同志社ペースで試合が進みましたが、慶應もしぶといディフェンスで追加点を許さず、結局3対10で前半を終了します。「この点差なら十分だ。大敗はしなくてすみそうだ」と思っていたのを妙によく憶えています。

しかし、後半に入ると慶應が盛り返し互角の展開になります。同志社の突進を慶應の選手が鬼気迫る防御ではね返すのです。まさに魂のタックルと呼ぶにふさわしいものでした。その気迫にさしもの同志社も押されたのか、徐々に慶應がペースをつかみ、6対10となった中盤以降はずっと同志社陣内で試合が進みます。平均体重で10キロ以上も軽い慶應フォワードがスクラムで同志社を押しまくります。見るからに大きな同志社FWをどうしてこれほど押せるのか、私は感動しつつ不思議な気持ちで試合を見守っていました。

猛攻を仕掛ける慶應は何度も同点トライのチャンスを迎えますが、経験豊富な同志社は強いだけでなく巧さもあり、どうしても最後の一線が破れません。逆に残り10分付近、平尾が鮮やかな個人技で自陣から突破し、完全にフリーの選手へボールを回します。誰もがダメ押しの独走トライは間違いないと思いました。私も諦めました。しかし、若林は諦めていませんでした。風のような速さで追いかけ、ゴールライン寸前で奇跡的なタックルを決めたのです。

このプレーで生き延びた慶應は再度必死の攻勢に出ます。そして試合終了間際、とうとう勝利の女神が慶應に微笑みかけました。何度も練習したであろうサインプレーが見事に決まり、同点トライを決めたのです!!さらにトライ位置がゴールポスト真下だったため、トライ後のゴールキックはほぼ間違いなく決まります。すなわち慶應の大逆転勝利です。私は思わず叫びました。こんなミラクルがあるだろうか!!

しかしその直後、さらに信じられない事が起こります。審判が反則の笛を吹いています。トライ直前のパスがスローフォワード(ボールを前にパスする反則。ラグビーではパスは後方にしかしてはいけない)だというのです。
問題のパスは明らかに前方には投げられておらず、会場は騒然となりましたが、トライは認められませんでした。

結局試合は6対10のまま終了し、慶應の奇跡の逆転優勝は幻となりました。ラグビーファンの間でいまだに語り継がれる「幻のスローフォワード事件」です。幼かった私にとってもこの時の気持ちは筆舌に尽くしがたいものでした。だからこそ鮮明に憶えているというのも事実ですが。

今回この記事を書くにあたり、もう一度ビデオを見返しました(笑)
問題のシーンは何度見てもやはりスローフォワードではありませんでした。

この年同志社は史上初の大学選手権3連覇を果たし、日本選手権でその同志社を倒した新日鉄釜石はこれまた史上初の7連覇を達成しました。どちらも今日に至るまで破られていない大記録です(神戸製鋼によるタイ記録はありますが)。
しかしながら私は同志社の記録を認めてはいませんし、この時の慶應なら釜石すら倒せたのではという思いをいまだに持ち続けています。おそらく墓場まで抱えていくのでしょう。ま、それも悪くないかもしれません。







最終更新日  2006年03月27日 22時51分37秒
コメント(0) | コメントを書く
2006年03月11日
カテゴリ:ランキング



第5位 ソルトレーク五輪 ショートトラック男子1000M(2002年)

皆様はオーストラリアのスティーブン・ブラッドバリーという選手をご存知でしょうか?「神」の異名を持つスケート靴職人です。
ブラッドバリーの神業的偉業は実際に見るのが一番でしょう。動画を拾ってきましたのでまずはそちらをご覧ください。

準決勝
http://www.geocities.jp/vitaminw1977/bradbury2002_1.wmv
決勝
http://www.geocities.jp/vitaminw1977/bradbury2002-2.wmv


いかがでしょうか?幸運どころの騒ぎではありません。まさに神の域です。
当時私はこのレースからどんな教訓を学ぶべきなのかかなり真剣に考えました。「あきらめたらそこで試合終了だよ」(by安西先生)ということなのか?でもブラッドバリーは最後の周回明らかに諦めてたしな。
まさか、「レースでは後方待機に徹すべし」ということなのか(笑)
他にも色々考えたのですが、結局答えは出ませんでした。

私は思いました。「要するにブラッドバリーは現人神なのだ。凡人が神の所業から教訓を得ようというのがおこがましい。ただ拝み、崇拝していればいいのだ」と。




第4位 アメリカW杯アジア最終予選 日本対イラク(1993年)

あまりにも有名な「ドーハの悲劇」です。
最後のヘディングシュートが決まった以後しばらくの間のハッキリした記憶はありません。気がついた時には全ての番組が終了しており、小さなテレビ画面は砂嵐になっていました。現在に至るまでショック度ではこれを超えるものはないです。

ただ、冷静になって振り返ると、当時の戦力では望みうる最高の成績だったのは間違いないと思います。選手の能力の低さ、選手層の薄さを、抜群のチームワークとカズの決定力でカバーしていました。この最終予選に限らず、当時のカズの力は凄かったです。本当に頼りになりました。

そのカズがとうとうW杯には出場できなかったんですよね・・・これも神の思し召しなのでしょうか?
スポーツの極限の場面ではどうしても運命論者になってしまいますね。







最終更新日  2006年03月11日 22時05分36秒
コメント(4) | コメントを書く
2006年03月05日
カテゴリ:ランキング



第7位 2002年日韓W杯決勝トーナメント1回戦 イタリア対韓国(2002年)

これは強烈に印象に残っています。最悪の印象としてですが。イライラ度では断トツの1位ですね。

私は欧州サッカーかぶれなので、イタリアを応援していましたし、攻守に人材を揃えたイタリアが当然勝つものと思っていました。
しかし、試合が始まると、この試合がそう簡単ではないことがすぐに分かります。審判の判定が妙に韓国寄りなのです。最初はホームだし多少は仕方ないかと思っていたのですが、韓国に不可解なPKが与えられたあたりでジャッジがホームアドバンテージの域を超えているのが分かりました。
しかしこのPKはキーパーのブッフォンがスーパーセーブで止め、その後エースのヴィエリのゴールで先制したイタリアがリードして前半を終了しました。

後半に入ると判定がさらに偏りだします。韓国選手の体当たりのようなチャージが全く反則を取られないのです。それに加えて地元の大声援を受ける韓国は無尽蔵のスタミナを発揮し、ヒディング監督の素晴らしい選手交代もあり、次第にゲームは互角の展開となります。私も不安を感じだしていました。

それでもイタリア1点リードのまま試合は進みますが、ここでまたも疑惑の判定が炸裂します。司令塔のトッティが退場処分になったのです。これも不可解以外の何物でもない判定でした。
この後は韓国が攻勢となり、当然観客は大熱狂。さらに私をイラつかせたのはTV放送を担当する角沢・セルジオ・川添の露骨なまでの韓国礼賛の実況解説ぶり。いつも冷静で辛口なはずのセルジオまでもがこの露骨な判定に何も言わず、我を忘れて韓国を応援しています。お前らは韓国人かと?
この状況でもイタリアは切れることなく、全員が体を張った守備で耐え抜きます。私は苛立ちと感動で訳が分からなくなってきていました。

しかし、試合終了間際、とうとう韓国に同点ゴールが生まれ、サドンデスの延長戦に突入します。ここでもイタリアは死力を尽くして頑張りましたが、またも終了間際に決勝ゴールを決められ、ついに敗れてしまいました。私は呆然とするほかありませんでした。

その日のNHKのハイライト放送では、数々の疑惑のシーンは一切放送されませんでした。また、マスコミ報道も韓国を褒め称えるものばかりで(日本のマスコミですよ)、不可解なジャッジについて触れるものは皆無でした。スポーツの試合により大きな力が反映されてしまったようです。楽しみにしていた地元開催のW杯はここで終了してしまいました。

ただ、韓国選手の驚異的な運動量、異様なムードをつくりだした観客の熱狂的な応援、ヒディング監督のフレキシブルかつ攻撃的な采配はどれも見事で、いずれも日本にはないものでした。それは認めなくてはいけません。
なお、今度のW杯で日本は初戦でヒディング率いる豪州と対戦します。私の予想は悲観的なものです。



第6位 アトランタ五輪 アジア最終予選 日本対サウジアラビア(1996年)

今日は両方ともサッカーです。こちらは日本が28年ぶりの五輪出場を決めた嬉しい思い出の試合です。
今では考えられませんが、当時は日本にとってアジアの壁は非常に高く、主要な世界大会への出場は皆無という状況でした。それがこの大会以降、全てのW杯と五輪に出場しています。この予選こそ日本サッカーにとってのターニングポイントだったと思っています。

本大会出場をかけたサウジ戦はまさに死闘でした。酷暑の中東で大会最強と
言われたサウジに対し、選手達は死力を尽くして戦いました。キーパー川口の神懸り的なスーパーセーブや、中田英の奇跡のゴールラインクリア、伊東輝の攻守にわたる活躍など、印象に残るシーンは多々ありますが、この試合は何と言っても前園の活躍に尽きると思います。

キャプテンでもある前園はこの大一番で2ゴールを決め、日本を勝利に導きます。また、果敢にドリブルで突破し、足を削られながらもチームを引っ張りました。この試合により、前園は真のスーパースターとなったのです。

ところが、その後スター前園のサッカー人生は大きく狂います。アトランタ後、スペインへの移籍を目指しましたが、所属チームの反対で挫折します(現在とは状況が全く違ったのです)。その影響か、その後は怪我をしたわけでもないのに嘘のように低迷し、代表どころかJリーグでも全く活躍できなくなりました。注目されなくなった後、ブラジルへ移籍しましたがやはり目立った活躍はできず、以降は韓国やJ2のクラブを流転し、結局表舞台へ復活することなく昨年引退してしまいました。
私は98年はもちろん、2002年のW杯の直前でも復活した前園が活躍するのではとしつこく期待していましたが、やはりというべきかこの時も私の過度の信頼は妄想にすぎなかったようです。

今では前園といえばその鮮やかすぎる転落ぶりばかりが世間の印象に残っているようです。携帯のCMで歌を披露したり、中田英を従えてラーメンのCMに出たりと、短いピーク時に過剰なまでにもてはやされていたので多少は仕方ないのですが・・・
しかし、私にとって前園は日本サッカーの歴史を変えた文句なしの英雄です。絶頂時のドリブルのキレはもちろん、周囲が嘘のように離れていった後も単身ブラジルで再起を目指し頑張っていた姿も私は忘れることはないでしょう。







最終更新日  2006年03月05日 22時40分36秒
コメント(5) | コメントを書く
2006年02月27日
カテゴリ:ランキング


市場も落ち着きを取り戻してきたようなので、中断していたランキングを再開したいと思います(もっととことん下がればいいのに・・・・・外人アマイよ)。



第9位 98-99 セリエA開幕戦 ユヴェントスVSペルージャ(1998年)

中田英寿のセリエAデビュー戦です。
この3ヶ月ほど前には日本が初出場したW杯で3戦全敗を喫しており、悲観の中での世界デビューでした。しかも相手のユーヴェは当時世界最強のクラブで(今も最強レベルですが)、ジダン、デルピエロらのスーパースターや鉄壁の守備陣を擁していました。私自身中田が活躍する姿はまったく想像できませんでした。

試合は案の定一方的な展開で、前半だけで0対3という有様でした。
それでも堂々とプレーする中田に、私は予想よりもずっとよくやっていると感じていました。

しかし、後半になるとペルージャが、いや中田が反撃に出ます。10分過ぎ、ペナルティーエリア右からキーパーのニアをぶち抜くシュートを決めたのです。私はしばし状況が把握できませんでした。ユーヴェから日本人がゴール??これは現実か??
さらに私が呆然としているうちに、中田が続けざまに2点目も決めます。キーパーのはじいたボールが導かれるように中田の前にこぼれ、それを落ち着いてボレーで決めたのです。もはや私の常識ラインは完全に崩壊していました。

結局試合は3対4で敗れましたが、翌日のマスコミは大騒ぎでした。なかにはマンチェスターユナイテッドが40億円でオファーを出したという報道すらありました。

それにしてもこのシーズンの中田とペルージャには本当に楽しませてもらいました。毎週日曜が楽しみで仕方なかったです。相手を弾き飛ばしながら単身ドリブルで突き進む中田の雄姿は今も鮮明におぼえています。
最近は目立った活躍の少ない中田ですが、今度のW杯あたりでもう一度あの頃のような煌きを見せてほしいと切に願っています。



第8位 大相撲夏場所 優勝決定戦 貴乃花対武蔵丸(2001年)

貴乃花が膝の負傷をこらえて奇跡の優勝を飾った一番です。
小泉総理の「感動した!」の相撲と言った方がわかりやすいでしょうか。

この場所の貴乃花は13日目まで全勝といつも通り磐石で、優勝は間違いないと思われました。しかし、14日目の無双山戦でアクシデントが起こります。土俵際で突き落とされた際に膝を脱臼してしまったのです。それは一目で分かる重傷でした。目先の一番のためにまわしを緩め、わざと待ったをする無双山に対し、相撲界全体のことを考える貴乃花が明らかに怒り、強引に攻めたために起きた悲劇でした。

それでも千秋楽の土俵に上がった貴乃花でしたが、蹲踞(そんきょ)すらままならない状態です。案の定、武蔵丸との取り組みは相撲にならずわずか1秒で敗れ、2敗で並んだ両者による優勝決定戦となりました。
誰もが貴乃花は決定戦を辞退すると思いましたが、不屈の意思でなおも土俵に上がります。しかし、仕切りすら困難な状況で、館内にもかつてないほどの悲壮感が漂っています。

そして立ち合い、貴乃花は正面からぶつかり、まるで怪我などしていないかのように寄りたて、ついに上手投げで武蔵丸を倒します。
勝負が決した瞬間の貴乃花の表情は凄まじいの一言、まさに鬼神でした。人間は表情にここまで思いを込めることができるのかと打ちのめされる思いでした。

しかし、これが貴乃花最後の優勝となります。場所後長期休場を余儀なくされた貴乃花は翌年復帰しますが、ほどなく引退することになりました。誰より後悔しているであろう無双山を悪く言いたくはないですが、本当に残念な事故でした。
誰よりもストイックで、誰よりも相撲界のことを考え、八百長一切なしで勝ち続けた貴乃花こそ大相撲史上最高の力士であると、私は思っています。







最終更新日  2006年02月27日 23時11分10秒
コメント(0) | コメントを書く
2006年02月11日
カテゴリ:ランキング



第11位 パリ世界陸上 陸上男子200m(2003年)

「陸上短距離では日本人は世界には通用しない」という限りなく真理に近いと思われた固定観念を「マッハ末次」こと末次慎吾が見事なまでに打ち破ってくれた大会です。世界大会での銅メダル獲得という結果も素晴らしいですが、私が衝撃を受けたのはその圧倒的な「速さ」です。「マッハ末次」という普段の私なら冷笑したくなるようなネーミングもこの時ばかりは全く違和感がありませんでした。
予選では前半だけで勝負を決め、最後は流して次のラウンドに余力を残すという外国のスター選手にはおなじみの光景を日本人選手が見せてくれたのもこの時だけです。カーブでぐんぐん加速し、他の選手を置き去りにしていく走りは美しさすら感じさせるものでした。

しかし、末次が輝いたのもこのときが最後で、以後タイムでも順位でも目立った結果を残していはいません。余談ですが98年のアジア大会の100mで伊東浩二がみせた走りも衝撃的でしたが、これも一度きりのものでした。やはり、短距離での衝撃的なパフォーマンスは天の時・地の利・心技体全てが揃った時のみに起こるほんの一瞬のきらめきにすぎないのかもしれません。



第10位 ウィンブルドン96 女子シングルス準決勝 シュティフィ・グラフVS伊達公子(1996年)

ウィンブルドンの歴史に残る名勝負であり、100年に一人の天才伊達公子が最もグランドスラムタイトルに近づいた大会でもあります。
当時の女子テニス界はグラフが無敵の強さを誇っていて、タイトル独占状態でした。特にウィンブルドンでは抜群に強く、88年から95年までの8年間で実に6回の優勝を飾っていました。フォアの強打とバックハンドスライスを武器とするグラフにとって芝のコートは相性が抜群だったのです。
一方フラットストロークの伊達とイレギュラーの多い芝の相性はいまひとつで、自身も「グランドスラムで勝てるとすれば全豪か全米」と語っていました。
しかし、この大会は絶好調で、自身初の準決勝まで勝ち上がってきました。また、この年のフェドカップではグラフ戦初勝利もあげており、私の期待も高まっていました。

前回の対戦で敗れていることもあってかグラフは最初から飛ばし、第1セットを簡単に先取します。しかし、第2セットに入ると伊達もペースを取り戻し、互角の展開となります。そして2-2で迎えた第5ゲーム、両者のベストショットがぶつかり合う真っ向勝負となります。どちらも譲らずデュースが繰り返される中、私は次第に伊達のバックがグラフのフォアを上回るのを感じていました。そして、実に9回にわたるデュースの末、ついに伊達がこのゲームを奪います。その後は伊達がグラフを完全に制圧し、結局6-2でこのセットを奪います。夕闇のセンターコートで、伊達のウィナーが次々と決まる様は幻想的な美しさをたたえていました。

この展開なら伊達の勝利は間違いなく、優勝も視野に入ってきたと思われましたが、審判はグラフの申し出を受け入れ日没サスペンデットを宣告し、第3セットは翌日に持ち越しとなってしまいました。
そして翌日日本時間夜7時、NHKがニュースの予定を変更して生中継する中、第3セットが行われましたが、再度猛スパートをかけるグラフがスロースターターの伊達を6-3で危なげなく押し切り、勝利します。結局グラフは決勝でも快勝し、7回目の優勝を果たしました。

あの時ボールが見にくいほど暗かったのか、もしも立場が逆だったら審判は申し出を受け入れたのか、今となっては分かりようもありません。また、もしも照明設備のある別の大会だったら・・・という思いもあります。
しかし、そういった運命的な要素があったればこその伝説の名勝負なのでしょう。そして、第3セットのグラフは技術・メンタルともに驚異的に強かった、これは紛れもない事実でした。







最終更新日  2006年02月12日 01時12分00秒
コメント(0) | コメントを書く
2006年02月07日
カテゴリ:ランキング


引き続き張り切ってランキングを発表したいと思います。

第14位 全日本プロレス 世界タッグ選手権試合 
テリー・ゴディ、スティーブ・ウィリアムス組 VS スタン・ハンセン、ダニー・スパイビー組(1991年)


今回のランキングの中でも知名度は最も低いと思われますが、マイベストなので気にせずいきます。
私は中学生時代全日本プロレスが大好きで、3ヶ月に一度の日本武道館大会に頻繁に通うほどでした。この試合は生観戦した数々の名勝負の中でも最高の一戦です。

王者のゴディ・ウィリアムス組はチームワークが抜群で安定感もあり、タッグマッチならほとんど敵なしの状態でした。私は派手さがなく、技の受けも観客受けする試合の組み立てもうまくない二人が大嫌いだったので、しばしば悔しい思いをさせられていました。私の一番のお気に入りはハンセンでした。当時のハンセンのラリアットほど説得力のある決め技を私は知りません。パートナーのスパイビーも好きな選手でしたが、この4人の中では明らかに一枚格下で、なぜかすぐにスタミナが切れます。前回の対戦でもスパイビーがやられていました。

案の定この試合でも中盤からスパイビーがつかまり、集中放火を浴びます。しかし、ハンセンが何度も何度も救出に入りピンチを救います。本来ハンセンは極めて気が短く、不甲斐ないパートナーに切れて仲間割れすることも珍しくありませんでした。そのハンセンが目の前で辛抱強く救出に入り続けています。私はこの試合にかけるハンセンの熱い想いに感動し、既に泣きそうでした。結局スパイビーは10分以上もつかまり続け、私は何度もあきらめましたがどうにか耐え凌ぎ、ハンセンにつなぎます。そしてハンセンは黄金の左腕を振り抜き、逆転勝利をつかみました。

私は声も枯れ、燃え尽き気味でしたが、この日の武道館はまだ終わりません。メインにはジャンボ鶴田対三沢光晴の三冠戦が組まれていました。あまりにも贅沢すぎる興行です。帰宅の途につく時には抜け殻のような状態でした。この時の5000円くらいバリューなものがあれば喜んでお金を使うのですが。


第13位 アルベールビルオリンピック ノルディック複合団体(1992年)

90年代中盤を席巻したキングオブスキー荻原健司とその仲間達の栄光の序章となった大会です。
99%の日本人と同様、私もこの大会までノルディック複合という種目があること自体を知らず、前半のジャンプを見てはいませんでした(そもそもTV放送はなかった記憶が)。しかし翌朝の新聞を見ると、なんか日本がトップに立っている種目があります。しかも断トツで。というわけで日本のメダル獲得を見たいという素人根性丸出しでクロスカントリーの放送にかじりつくことになりました。

にわか勉強により、どうやら日本はクロカンが弱いらしく、2位との2分半程度の差は安全圏ではないらしいこと、5位のフランスには個人戦の金・銀メダリストがおり、クロカンが大得意であることも理解し、昨日まで存在自体も知らなかったくせにドキドキしながらレースを見守りました。

噂のフランス選手達はカマキリのような力強いフォームで、明らかに早そうです。私はこれはすぐに追いつかれると思い、心の準備をしていました。しかし、フランスはなぜか伸び悩み、上位に上がってきません。2位のチームとの差もそれほど縮まらず、にわかに金メダルへの期待が高まってきます。
ところが、アンカーにバトンが渡った時、6位スタートのノルウェーが2分差の2位に浮上していました。ノルウェーとは6分以上の差があったので、2人で4分以上縮められたわけです。ということは単純計算すると抜かれてしまいます。期待が膨らんでいただけに私は大きな衝撃を受け、再度心の準備に入りました。しかし、アンカー荻原が頑張り、差はそれほど縮まらないまま、終盤を迎えます。それでも私は不安が消えず、急にノルウェーの姿が見えてくるのではないかと心配し、下り坂になると荻原が転ぶのではないかと心配しと、心が落ち着く間もありませんでした。
そんな私の心配をよそに荻原は快走し、ラストは日の丸を振りかざしてゴールします。ようやく私が安心したのは旗を手にしたあたりでした(笑)

とにかくこのクロカンは最も心配しながら観戦した試合として記憶に残っています。やはり競技の事も、各選手の力も何も知らないからこその不安だったのでしょう。心の平静を保つには対象のことをよく知る必要がある、投資にも使えそうな教訓です。


第12位 サッカーアジアカップ準決勝 日本VSバーレーン(2004年)

珍しく比較的新しいところからのランクインです。
私は戦術も戦略も感じられないジーコのサッカーが好きではありません。株に熱中していたこともあり、最近は昔のようなサッカー熱を失っています。このアジアカップも当初はあまり興味はなく、見たり見なかったりといった感じでした。

しかし、この大会には一つ異質な点がありました。地元の中国人たちの異様なほどの日本への悪感情です。国歌に対してブーイング、プレーに対してブーイング、相手のよいプレーにはどの国であっても大歓声と、やりたい放題です。おまけにその雰囲気に審判も影響されたのか、はたまた買収か、ジャッジも日本に不利なものばかりです。
あまりのひどさに私はだんだん腹が立ってきました。同時に日本のゴールや勝利の時に沈黙する中国人の様子が痛快になり、気づくと近年になく熱を入れて日本を応援していました。

準々決勝を川口の奇跡的なPKストップで勝ち上がった日本は準決勝でバーレーンと対戦します。序盤に1点先制されたものの、中国人のブーイングにも動じず、日本はペースをつかみ始めます。しかし、前半終了間際、MF遠藤が暴力行為で退場になってしまいます。絶句ものの誤審でした。当然中国人たちは大歓声。
中国人たちの敵意、40度近い気温のなか1日おきに試合という厳しい日程、1点ビハインド、毎試合続く不可解な判定による数的不利と、いつ集中が切れてもおかしくない状況です。おまけに毎試合同じ選手ばかり使い続け、ろくに選手交代もしないジーコ(笑)
しかし、日本は崩れず、後半中田浩と玉田のゴールで逆転します。想像もしていなかった日本選手のメンタルの強さに驚かされました。その後数的不利の中耐え凌ぎますがやはり厳しく、終了5分前にとうとう逆転されてしまいます。それでも私は選手達を称える気持ちで一杯でした。心底よくやったと思っていました。

が、私は日本を過小評価していました。選手達は決してあきらめず、終了間際中沢が最高のヘディングを決めてくれました。叫びました。久々に叫びました。ついでにNHKのアナウンサーの実況もよかったです。民放のようなわざとらしさのない素直な感情の発露が感じ取れました。

結局延長戦を制した日本は決勝で中国に完勝し優勝を飾ります。後半途中で一斉に帰りだす中国人の姿を見たとき、私は最高のエンターテインメントを提供してくれた中国人に感謝していました。見事な物語でした。

なお、私は中国株は買います。安いと思うからです。







最終更新日  2006年02月07日 21時24分29秒
コメント(4) | コメントを書く
2006年02月04日
カテゴリ:ランキング


投資ブログの看板を放棄し、引き続きランキングを発表します。

第17位 第27回全国大学ラグビー選手権決勝 早稲田VS明治(1991年)

最近では考えられませんが、当時は大学ラグビーは大人気で、早明戦・早慶戦ともなるとチケットを取るためには徹夜も辞さずという状況でした。
特にこの年は早稲田に今泉・堀越・増保ら、明治にも吉田・元木など後に日本代表にもなるスター選手が多数おり、両者がぶつかる決勝はまさに黄金カードと呼ぶにふさわしい一戦でした。
私は明治のキャプテンだった吉田義人の大ファンでした。小柄ながら、ずば抜けた身体能力とスピードを誇るウイングで、この年に行われたW杯で大会ベストとも言われたトライを決めるなど、国際的な評価を受けた数少ない日本人選手です。
吉田は稀有なキャプテンシーの持ち主でもあり、猛練習でチームをまとめあげおり、この代の明治の団結力は素人目にも素晴らしいものでした。
試合は互角の展開でしたが、早稲田リードのまま進みます。そして迎えた後半25分、吉田が魅せます。ボールを受けて抜け出すと今泉をハンドオフで振り切り、2人目のディフェンスを体当たりではじきとばし、最後は3人目のディフェンスを引きずりながら逆転トライを決めたのです。結局これが決勝点となり、明治が優勝しました。歓喜の涙を流す吉田の姿はそれはそれは美しいものでした。
吉田の知名度は決して高くなく、名前も知らない方が多いでしょう。しかし、アスリートとしての身体能力、ストイックすぎるほどの自己鍛錬、プロ意識の高さなどどれをとっても日本有数のスポーツ選手だったと思います。

余談ですが、私は野球選手ばかりが優遇され、大したことのない選手でも億単位の年棒を稼ぐ一方(大半の球団が赤字で、親会社が補填しているにもかかわらず)、多くのスポーツではトップ選手でも生計すら立たないという日本の現状に大変不満です。世界の舞台での日本人選手の活躍を真に望むなら、選手の能力・努力に見合った評価が受けられる国であってほしいものです。


第16位 PRIDEグランプリ2000 ホイス・グレーシーVS桜庭和志(2000年)

無敵のベールをまとい続けていたグレーシー一族のホイスを桜庭が1時間49分にわたる激闘の末、完膚なきまでに叩きのめした歴史的一戦です。
グレーシー陣営の再三にわたるルール変更を全て受け入れ、モンゴリアンチョップ、恥ずかし固めなど桜庭ワールドを展開しながらホイスを完封した桜庭の姿は痛快そのものでした。今日も続くPRIDEの隆盛もこの一戦が契機になったと言って間違いないでしょう。
ただ、近年の桜庭はあまりに派手にやられすぎて見ていて怖いものがあります。いつまでも桜庭頼みで彼にきついマッチを組むのはもうやめた方がいいように思います。今後は五味隆典に期待したいですね。


第15位 フランスワールドカップアジア最終予選 日本VSイラン(1997年)

いまや伝説となったいわゆるジョホールバルの歓喜です。
当時の私生活上の都合で感情移入の度合いが低かったため15位にしましたが、W杯出場をかけた大一番であるだけでなく、試合自体も白熱の名勝負であり、試合中にいくつもの物語が生まれたまさに伝説と呼ぶにふさわしい一戦でした。
当時の日本とイランの選手・監督を比較してみて、よく勝てたなというのが率直な感想です。最大の勝因はスーパースター中田英寿の誕生に尽きるでしょう。この大一番で圧倒的なパフォーマンスをみせた中田の技術・メンタルは飛び抜けていました。何より、皆が興奮状態にあった試合直後のインタビューで「これで合宿をしなくてよいから嬉しい」「代表は盛り上がったのでJリーグもよろしく」とシニカルに発言した中田には生来のひねくれ者を自認する私も完全に脱帽だったのをよく憶えています。

この最終予選は山あり谷ありで様々な事がありましたが、中でもカズの叩かれ方はこれまでの日本スポーツ史上最も酷かったのではないでしょうか。ほとんど犯罪者並みの扱いでした。日本にプロなどない時代に高校1年で単身ブラジルに渡り、10年近くかけて現地でブラジルナンバー3のウイングと評されるまでにのし上がってきたカズは私にとって最も尊敬するスポーツ選手の一人でした。自分は大した努力もせず、これほど重圧のかかる場面で戦うことなど一生ないであろう人間達がしたり顔でカズを批判するのに憤慨しつつ、最後にはカズが活躍して全ての批判を吹き飛ばしてくれると最後まで信じ続けていましたが、結局この時も間違っているのは世間の声ではなく私でした(笑)

しかし、あの時カズをこき下ろしたマスコミもファンも最近ではまたカズを持ち上げています。私は多くの一流選手がマスコミ嫌いなのは仕方のないことではないかと思っています。



今日の日記は作成に2時間かかりました。おそらく過去最高記録です。
我ながら自分のやっていることに疑問が・・・








最終更新日  2006年03月27日 22時52分11秒
コメント(7) | コメントを書く

全11件 (11件中 1-10件目)

1 2 >


© Rakuten Group, Inc.