"Leg godt"

2014/08/31(日)22:00

氷が融けたような。

今日は母親の通っている教会について行ってみた。 こちらの皆さん、僕がオーストラリアに行っている間、その身の無事を祈っていて下さったのだ。 そのお礼を言いに行った。 知り合いの息子とはいえ、ほとんど見ず知らずの人間のために心から祈る。尊いことだと思う。 不勉強なのでキリスト教の考え方はよくわからないが、神様の視点から見て物事を判断するということらしい。 自分の欲をかかず、合理的な視点から物事を観るということだろうか。 正直、最初は行くのが億劫だった。 というか、人と話すことが面倒だった。怯えていた、という方が適当かもしれない。 ものすごいストレスだったのだ。脳がよく回らず、言葉もうまく出てこない。半思考停止状態に陥っていた。軽いうつ状態だったのかもしれない。 なんだか頭がずーっともやもやもやもやとしていた。 キリストの力で頭のモヤモヤが晴れたとは思わない。 ただ、教えを信じて行動していた人々と会話をして、変なストレスから解放されたのは事実だ。 月並みな言葉ではあるが、「神の前では皆が平等なのだ」ということの意味を、少しは理解することができた。 オーストラリアを走っていた時の自分。人間として最高だったし、最低だったともいえる。 ただ、心境はどうあれ、僕はオーストラリアをたった一人で自分の力で走ったという事実は、まぁ事実に違いない。 バタバタとパースを出発し、スローパンクと慣れない寝床、身体を鍛えながら走ったグレート・イースタン・ハイウェイ。 ノースマンで万全を期し、最高の走りをしたナラボー平原。 達成感から緊張が解けて苦しい思いをしたポート・オーガスタまでの道。 新たな冒険に心を躍らせながら出発し、砂漠気候の厳しさと美しさを体感したスチュアート・ハイウェイ。 向かい風と赤い砂のレスター・ハイウェイを突き進んでたどり着いた、中学生のころから憧れであるエアーズロック。 ウルル編をなぞりながら帰ったグレンハウンドバスの旅。 二つの砂漠を超えて緩んだ兜の緒を締めなおして出発したポート・オーガスタ。 美しい街と美しい家族に囲まれて過ごしたアデレード。 平坦続きの脚にはとてもきつかったオールド・プリンセス・ハイウェイ。 半分走ることに飽きていたデューク・ハイウェイ。 ビクトリア州に入って道の両脇に牧場が増え、道も綺麗で走りやすくなったウェスタン・ハイウェイ。 ついついYHAに泊まってしまったバララト。 都会的な雰囲気の中過ごし、レ・ミゼラブルを観て最後まで頑張ろうと思えたメルボルン。 おお、意外だね。やはり街の数だけ書くことがあるのかね。 記憶としては、砂漠地帯の道の記憶が圧倒的なのだけれど。 砂漠地帯を表現する言葉が僕には足りないということなのかね。いやいや、そんなことはない。 道の記憶、道に対する覚悟、道との戦い、道への感謝。 寒さに凍えながら走ったヒューム・ハイウェイ。 高速道路の路肩は素晴らしく走りやすく、そして走りにくかったぜ。 やんちゃな友達と過ごしたキャンベラ。 ラストラン300kmもしっかり走った。 チェンさんの家で過ごした完璧な日々。 大して観光もせず、ただひたすら街中をふらふらとしたシドニーの日々。 オペラハウスの到着は意外とあっけないものだったなぁと感じた。 しかし、旅は終わったと思っていたけれど、実は終わってはいなかったんだ。 それは日本に帰ってきてもそうだった。 旅の終わり。それはついさっき感じた。 写真を見直して、まとめて、チェンさんとルエラとルイズにメールをして。 就職活動をして、就職を決めて。それが本当のオーストラリア自転車横断の旅の終わりだ。 旅の終わりは、新たな旅の始まりだ。 旅を人生にはしたくはない。根を張って生きたい。 しかし、人生は旅だという考え方に、今は少なからず賛成できる自分がいる。 明日は専大鋸南の飲み会らしい。オーストラリア自転車横断のお疲れ会もしてくれるらしい。 ちょっと楽しみで、ちょこっと怖い。胸を張って行きたい。胸を張って行こう。 綺麗な言葉を使うのは恥ずかしいことではない。 夢を見るのは恥ずかしいことではない。 四年間の氷は、確実に融け始めている。

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