「キモチ」が大事!★なぜキモチ(イメージ)が大事か?言葉は当然ながらコミュニケーションの手段だから、そこにはキモチが入っている。たとえ科学論文のような文であっても、キモチは入っている。たとえば、こちらのほうがあちらよりもっと重要で強調すべきことである、とかいうキモチが。 キモチはもちろん、ひとつひとつの単語それぞれにも入っているし、それが組み合わさったフレーズになればまたそれなりのキモチになるし、文型などにもちゃんとそれなりのキモチというものがある。 よく中学や高校で、「書き換え」問題なるものがあり、受動態を能動態に書き換えよ、とかやるのだが、本当は、書き換えた文のキモチはそれぞれ違ってしまうのだ。それを単純に「同じ意味」として書き換えさせたりするから、いつまでたってもキモチが分からない。前置詞とかの使い分け、冠詞が入るか入らないか、とか、そういうこともいちいち「ややこしい」と感じるだけになってしまう。キモチまで至らないから、「カタチ」だけを問題にされても、面白くも何ともない。 だから「文法嫌い」(私もそうだった)が生まれてしまう。 けれど文法というのは、実は、あとから人工的に決めたルールなんかではない。キモチから生まれてきた言葉がどうなっているのか、を、ちょっと整理してみただけのことである。整理しておいてくれて実はとても有り難いのだ。膨大な言葉の海から、自分でその法則を見つけだせと言われたら途方に暮れてしまう(とはいえ、母国語を覚えている途中のコドモは無意識にそれをやっているのだが)。大人になってから、母国語でない言葉を習得するに当たっては、コドモのような特殊能力を維持している人でもない限りは、文法という有り難いものを参照して知性で補っていくしかないのである。 だがそこに「キモチ」の視点が欠けていると、いつまでたっても文法は味気ないままで、自分のキモチにちっともよりそわないままになってしまう。 さて、自分の「キモチ」を表すときには普通コトバを使う。だが、そのコトバ自体を学ぶためにキモチを考えるときは、コトバを媒介としているだけでは限界がある。いや、もちろんいずれにしてもコトバを媒介とするしかないのだが、それを一度「イメージ」に変換してみる必要がある。 例えば。「on」を「上に」と「訳す」と、合っている場合もあるが、合っていないときもある。on=上に ではないのだ。辞書を引いてみると、onの訳語はそれこそゴマンとある。書籍版の辞書で言えば数ページに渡ってonの意味だけが載っているかもしれない。それを全部覚える? 冗談じゃない。だがイメージを媒介とすれば、onはたしかに、「ひとつの」コトバでしかないのだ。 onは基本的に「接触している感じ」を表している。「接触している感じ」というのはコトバだが、それを私たちはイメージに変換できる。壁に貼ってあるポスター、天井のライト、カレンダーの日付に書き込んである予定。あるいは、チェーンスモーカーが前のタバコの火がついているうちにまた次のに火をつけてしまうのも「接触」というイメージになりうる。onには継続という意味もあるのである。電源のスイッチがonであるということは、電気の回路が「接触している」ことだ。 そのように、コトバを媒介としつつ、イメージに変換して英語と日本語の「キモチ」の橋渡しをする。 そして、「キモチのこもった、生きた」コトバとして英語を習得なければいけないのである。 以上のようなことは、例えば、留学したり海外居住したりして、日常的にその言葉を使う環境に飛び込んでしまえば、もしかしたらそれと意識しなくても自然にやることかもしれない。だが、前にも言ったが、とりあえず留学も海外居住も予定がなく、日常的にもそうそう英語に接する機会がない人のほうがまだまだ多いだろう。そういう人が少しでも英語・英会話を身につけるためには、こういう意識が不可欠だ、と私は、自分の経験からつくづく思う。 以上のようなコンセプトに基づいて、では具体的にそれをどのようにすればいいのか、これからいろいろ詳しく書いていこうと思う。 前へ 次へ かつてすでに発表したのはこちらこちらのページに飛んでください 少しずつちゃんと引っ越してきます。 |