過去分詞と受動態過去分詞とは?英語においては(たぶん英語以外でも同じでしょうが)「同じ形のものは同じものである」というのが原則です。使い方は多少異なっていても、基本のキモチは同じです。ということは、「受動態」で使われる「過去分詞」も「完了形」で使われる過去分詞も実は同じキモチのものだということになります。 そもそも「『過去』分詞」というのがそういう名称であることは、基本の意味を思うと、若干違和感があります。ましてや、「現在形―過去形―過去分詞」などと3つ並べて「go-went- gone」などと覚えされられると、まるで過去分詞は過去よりもっと遡った過去のことを言うもの、みたいについ思えてしまいますが、そんなことはありません。 過去分詞の基本のキモチは「なされてしまった状態」ということです。 「なされた」という部分に注目すれば受動態になるし「しまった」という部分に注目すれば完了時制になるのです。 いささかややこしい言い方になりますが、例えばgoneなら「『行く』ということがなされてしまった状態」です。だから He has gone.といえば 「『行く』ということがなされてしまった状態(gone)が、彼についてある(He has)」 (すみません、こう書くとニホンゴとしてほとんどイミ分かりませんが…) というのが意味の土台なのです。 そして、「なされてしまった状態(過去分詞)にある(be)」と言えば受動態になるわけです。 This camera is made in Japan. (このカメラは、日本において作られてしまった状態にある) 受動態の形が「be+過去分詞」であり、意味は「~される(た)」である、と覚えることは簡単だし、とりあえずそうやって覚えなければなにも始まらないのですが、少し慣れてきたら「どうしてそうなっているのか」を考えるのも決して無駄ではありません。 そう考えると、受動態も結局 I am a student. I am sleepy. I am in the room. などと全く同様の、be動詞の文~つまり「~である・いる」文の一種であることが分かるでしょう(ってあたりまえっちゃあたりまえですが)。 もちろん「進行形」のI am reading a book. とかも同じことになります。 ちなみに、be動詞の「キモチ」は「存在」ですから、I amは「私がいる」という意味です。そしてそのあとに、どういう「状態」でいるのかの説明を付け加えるのがbe動詞の文です。 I am a student.「私がいる…学生として」 I am sleepy.「私がいる…眠い状態で」 I am in the room.「私がいる…部屋の中に」 I am reading a book. 「私がいる…本を読んでいる最中、という状態で」 そして受動態なら I was taken to the hospital「私がいた…病院に連れて行かれた状態で」(^_^;) もちろんいちいちこんな風に考えていたらかえってややこしいのですが、こういう考え方から基本の「キモチ」に迫ると、あとになって応用がいくらでも利くのです。 受動態自体のキモチ さて、文の構造や成り立ちの問題は別として、それでは、受動態はどういうときに使うのでしょうか。 日本人が英語をしゃべろうとするとき、必要以上に受動態を使いたがる傾向があります。それは、基本的に主語がないため、発想のはじまりにはいつもむしろ「目的語」にあたる語のほうがあり、それをそのまま口にしてしまうために、受動態にしてつじつまをあわせざるを得なくなるせいでしょう。 それに中学などではしばしば「書き換え問題」として、受動態←→能動態の書き換えが出題されたりします。ですが、受動態と能動態はおおまかな「意味」が同じでも「キモチ」はかなり違います。 基本的に、多分日本人の感覚よりは英語で受動態を使うほうがいい場面は少ないような気がします。 今までにもしつこく書いているように、英語では文の先に現れる要素ほど重きがあります。 いや…それはちょっと誤解を招く言い方かな。重要性がどうの、というより、英語的には、先に頭に浮かんだこと(つまりそのとき一番注目していること)から言い始めていけばいいのです(ただし主語が基本的にない日本語の発想で日本人が、まず頭に浮かんだ「目的語」から話を始めようとしてしまうのはちょっと違う)。 そして、そのあとに新たな「情報」を付け加えていきます。 気持ちの焦点・視点の中心は移り変わっていくのです。 だから (1) Murasaki-shikibu wrote “the Tale of Genji”. と (2) “The Tale of Genji” was written by Murasaki-Shikibu. ではキモチが違ってきます。 (1)では、まず「紫式部」ということに注目があり、さて彼女の作ったのは、と意識が移ります。(2)では逆に、「源氏物語」がまず頭にあり、それを書いたのはだれかというと、と意識が移ります。 まあこう書いてしまえば、書くほどのこともないくらいあたりまえなのですが、キモチを無視して英語の形ばかりにとらわれると、あたりまえのことが分からなくなるものです。 ましてや、中学高校などの英語授業で、たとえば「後ろから前に訳す」なんてことをやってきてしまっていますから、語順によるキモチの焦点の違い、なんてことはぐちゃぐちゃになってしまいます。日本語をしゃべっているときは日本語なりの仕方で当然発想の順番にしゃべっているはずですが、英語についてはますますそうなのです。このことについては、別の項目でまた書くでしょう。 また内容によってはby~によって行為者(文法的にはagentと呼ばれます)を明示する必要がないときも多いのです。そもそもそちらにはそれほど重きがないとき、言うまでもなく自明であるとき、あるいは逆にそれがはっきり分からないとき、に使われるのが受動態なのです。 English is spoken in many countries. My camera was stolen! ですから逆に言えば、by~によってagentを明示する場合は、agentにもそれなりに重きがある、ということになります。構造上は本来なくてもいいことをわざわざ出してくるわけですからね。 I heard this song was composed by a 6 year-old girl! この歌は6歳の女の子によって作曲されたんだって! それでもやはり「6歳の女の子がね!」と言い出すより 「この曲ってね」聞いて驚くなよ!なんと!「6歳の女の子によって~~!」 という意識の流れがありますよね。 ちなみに、日本人的には「動作主がはっきりしないじゃん」と思えるような場合でも、無理矢理に(??いえ、本当はちゃんとキモチがあるはずですが)youとかtheyの主語をたてて能動態にしたがるのが英語なので、やはりたぶん日本人の感覚よりは受動態は少ないと思います。 前へ 次へ |