レクサンド記念公園のある丘から

2018/03/09(金)19:32

徒然草を読もう・第十二段

徒然草を読もう(250)

第十二段 「 おなじ心ならん人としめやかに物語して、をかしき事も、世のはかなき事も、うらなく言ひ慰まんこそうれしかるべきに、さる人あるまじければ、つゆ違(たが)はざらんと向ひゐたらんは、ひとりある心地やせん。 たがひに言はんほどの事をば、「げに」と聞くかひあるものから、いささか違う所もあらん人こそ、「我はさやは思ふ」など争ひ憎み、「さるから、さぞ」ともうち語らはば、つれづれ慰まめと思へど、げには、少しかこつかたも、我と等しからざらん人は、大方(おおかた)のよしなしごと言はんほどこそあらめ、まめやかの心の友には、はるかに隔たる所のありぬべきぞ、わびしきや。」 現代風訳  同じ心の人としんみりと語り、趣味のことや世の無常についても、率直に話して心を慰められれば嬉しいことだろうが、そのような相手はいないわけで、現実に人と向かい合う時は相手に合わせてしまうので、独りでいるのと同じ心地だ。  互いの言うことを「なるほど」と聞くのは有意義であるものの、少し自分と意見の違う人こそ「私はそうは思わない」など言い合い、「それだから、そうなのだ」と語り合うのは、退屈もまぎれると思うが、実際には、ちょっとした愚痴も、同じ心でない人とは、どうでもいい事を話すにはいいのだが、真実の心の友とは雲泥の差があろうと思われ、それが、遣る方無い気持ちになる。 親友、心友、欲しかったのでしょうか。 同じテーマで語り合える人が近くにいるのは幸せですよね。 テーマごとに話せる人がいれば十分かもしれません。 今は、ネットもありますし、ほどほど適切な距離感でうまく交流できそうです。

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