|
カテゴリ:徒然草を読もう
第百七十段
さしたる事なくて人のがり行くは、よからぬ事なり。用ありて行きたりとも、その事果てなば、とく帰るべし。久しく居たる、いとむつかし。 人のむかひたれば、詞(ことば)多く、身も草臥(くたび)れ、心も閑ならず、万(よろづ)の事障りて時を移す、互ひのため益(やく)なし。いとはしげに言はんもわろし。心づきなき事あらん折は、なかなかそのよしをも言ひてん。同じ心にむかはまほしく思はん人の、つれづれにて、「いましばし、今日は心閑(しづか)に」など言はんは、この限りにはあらざるべし。阮籍が青き眼、誰もあるべきことなり。 そのこととなきに人の来(きた)りて、のどかに物語りして帰りぬる、いとよし。又、文も、「久しく聞えさせねば」などばかり言ひおこせたる、いとうれし。 現代風訳 さしたる用事もないのに人を訪問するのは、よくない。用があって行っても、その用事がすんだら、すぐに帰るのがよい。長居するのは、たいへんわずらわしい。 人と応対すると 、言葉数は多くなり、体もくたびれ、心も落ち着かない。あらゆる事に差しさわりが生じて時を過ごす。互いになんの利益もない。不愉快そうに話すのもよくない。気の進まない事がある時は、かえってその事情を言ってしまおう。しかし同じ心で向かい合っていたいと思う相手が、しかも自分が退屈な時に、「もう少し、今日は心静かにご一緒しましょう」などと言うのは、この限りではないだろう。阮籍(げんせき・中国三国時代の人物で、気に入らない人物に対しては白眼で対応し、気に入った人物に対しては青眼で対応したという逸話があることから「白眼視」という故事成語が生まれた)の青い目の話は、誰にもある。 特に用事もないのに人が訪ねて来て、のんびりおしゃべりして帰るのは、実にいい。又、手紙も、「長い間ご無沙汰しておりますので」などという具合に言いよこしてくるのは、実に嬉しい。 『自分が誰かを訪問する時は、用件のある時で長居はしない。それでも、退屈している時に、気のあう人が訪問してくれたり、当たり障りのない手紙が届いたりす流のは嬉しい。』 孤独を愛しつつも人恋しい・・・。 人の心持ちは、色々と複雑です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2018.08.04 07:00:18
コメント(0) | コメントを書く
[徒然草を読もう] カテゴリの最新記事
|