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れみどりの☆楽・音・食・眠☆     ☆らくおんしょくみん

れみどりの☆楽・音・食・眠☆     ☆らくおんしょくみん

幼児期

わたしが幼い頃は、父はクラシックギターに夢中だったそうで、非常に熱心に練習をし、会社勤めの合間に大先生の下稽古で生徒さんも見ていたようです。

わたしの記憶の深いところに、毎晩眠りにつく枕元で父の練習するギターが子守歌代わりに響いていた音と映像が残っています。「アルハンブラ宮殿の思い出」「魔笛」など、ああ、なんて懐かしい。
会社から帰った後、毎日毎日夜遅くまで何時間も練習していたそうです。
当時は、6畳一間の小さなアパート暮らしで、隣の部屋に音を響かせまいと、父はギターの中にタオルの詰め物をしての練習だったとか。今なら、サイレント楽器も有りそうですけれど…。

その後引っ越しをし、仕事も忙しくなって、父はギターからは離れてしまっていましたが、いつも右手の爪だけは少し伸ばしてあって、ヤスリで整えていました。いつかまた愛用のギターを抱く日を夢見ていたのでしょう。

狭い我が家でしたが、足踏み式のオルガンがあって、母は近所の先生に習いに行っていたそうです。でも家で母がオルガンに向かおうとすると、私が大泣きに泣いたのだとか。オルガンに母を取られるとでも思ったのでしょうか。泣き叫ぶわたしを父が外に連れだしあやしている間に、母は練習したのだとか。歩けるようになると今度は「ダメ」と鍵盤を塞いで邪魔をして、あくまで母をオルガンに向かわせまいとしたわたし。

結局母は、レッスンを断念してしまったのでした。その後、わたしがピアノを始めてから同じ先生のもとで母も再開したのですがソナチネ止まりでした。「あなたがあのとき邪魔しなければ、わたしだってもっと弾けたのに」と、なんども悔しそうに言われました。済みません…(;^^)

父と母は、父が会社で作ったコーラスにも属していて、家にはよくコーラス仲間が遊びに来ていました。わたしはみんなのアイドルで、コタツの上に立っては、流行の歌を歌って聞かせたりしていたとか。赤ちゃんの頃、母が声の枯れるまで歌って聞かせてくれていた童謡のレパートリーも相当持っていたようです。

いつも周りには音楽がありました。ほんとうに幸せな子ども時代を過ごさせてもらったと思います。


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