レオナルド・ダ・ヴィンチ

「れおなるど」とはだれでも知っているレオナルド・ダ・ヴィンチ
のことです。

訳するとヴィンチ村のレオナルド。

でもほんとうにヴィンチ村に生まれたのか…
あのモナリザは誰だったのか…
学校には行かなかったのに、なぜ博学?
などなど、テーマは尽きません。

それに詳しいことは本にも学説にも多々あるので、ここで
ちょっとばかり触れても面白くもなんとも無いのですが

まあたまに好きなことを書きます。。

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とりあえず?年譜です。(8月5日)

1452年  公証人セル・ピエーロの息子として誕生する。ヴィンチ村とその郊外で幼少期を過ごす。
1466年  ヴェロッキオの工房の徒弟となる。
1473年  ヴェロッキオの「キリストの洗礼」で天使の絵を描く。
1476年  「受胎告知」を描き始める。
1480年  「聖ヒエロニムス」を描く。
1482年  ミラノのルドヴィーコ・イル・モーロ宮に移る。
1483年  「岩窟の聖母」を描き始める。
1484年  「白貂を抱く女性」を描く。
1495年  ミラノのサンタ・マリア・デレ・グラツィエ教会で「最後の晩餐」を描く。
1499年  ミラノを去り、数ヶ月後ふたたびフィレンツェに戻る。
1502年  チェーザレ・ボルジアに雇われる。
1503年  フィレンツェに戻り「アンギアリの戦い」を描き始める。
1504年  「モナリザ」を描き始める。
1508年  フランスの王ルイ12世に雇われ5年間ロンバルドに住む。
1509年  「聖アンナと聖母子」を描く。フランチェスコ・メルツィを養子にする。
1513年  ミラノを離れ、ヴァチカンのベルヴェデーレ宮殿に3年間住む。
1516年  ローマからフランスへ。フランソワ1世のもとで余生を過ごす。
1519年  アンボワーズ城近郊で死亡。

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★「モナ・リザ」は盗まれた!

世界の名作中の名作、「モナ・リザ」がルーブル美術館から
盗み出されました。
もちろん、昨日今日の話ではありません。

1911年のこと。

犯人はイタリア人の貧しい大工さん(?)ペルージア他二人。
いや、ほんとうの犯人はもっと狡猾な詐欺師だったけれど、
ペルージアは犯行の2年後に逮捕されたとき、自ら単独犯行で
愛国心の故だったとウソの主張をした。

そのため、真犯人はついに罪に問われないまま世を去った。

真犯人にそそのかされたペルージアはもともと、モナ・リザの
ケースの取り付けなどをしたため、ルーブルの展示状況を熟知していた。

そして、閉館後の美術館にこっそりとどまり、休館日の朝にお掃除の
人の格好で、モナ・リザに近づき、持ち去った。。

モナ・リザの指定席にその絵がなくても、最初、警備の人さえ
気にしなかったようです。写真の撮影でもしているのでしょうと・・・

で、モナ・リザが盗まれたというニュースが世界を駆け巡ると
例の詐欺師はアメリカ人を狙って、複数の贋作を、盗まれたモナ・リザ
であると言って売却。。

「盗まれたモナ・リザ」を買った人は、もちろん秘密を全うするから
詐欺師は暴かれない。

しかも複数の人が、自分の買った贋作モナ・リザが本もののモナ・リザ
だと信じている…

なぁんと、それは、喜劇かもしれません。
それにしても、そんな有名な「名画」を盗品と分かって、いや
正確には盗品だとだまされて、買う人って、どんな心境なんでしょう。。

詐欺師にだまされたと分かったペルージアは、何とかモナ・リザを
お金にしたくて2年後に、自らバックに詰めてフィレンツェへ…

そして、哀れなペルージアはあっけなく逮捕されてしまった。。

名画が盗まれるという事件は、フェルメール作品にも、何度も
起きました。。

(8月10日01時)

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