剣の話
先日、鎌倉明月院に紫陽花を見に行った時、パワーストーンショップ「水蓮」さんで見つけた、神剣。 十握剣(とつかのつるぎ)と 布都御魂(ふつのみたま)。…といっても、ミニチュアなんですが。店には、鎧兜や日本刀・弓矢のミニチュアもあって、どれも良くできてます。今回は、四国ワークに使うので、神剣を選びました。岩戸開きのワークではツインソードを使うので、店主の水蓮さんに棚の奥からだしてもらって、二本購入。ネットで謂れを調べたら、やっぱりすごいシンクロが!なんとこの剣は同じ伝説をもっていて、今度行く新潟の弥彦神社の伝説にも出て来るものでした。・十握剣(とつかのつるぎ)は、十束剣(とつかのつるぎ)は日本神話に登場する剣。「十握剣」「十拳剣」「十掬剣」様々な場面で登場していることや、「10束(束は長さの単位で、拳1つ分の幅)の長さの剣」という意味の名前であることから、一つの剣の固有の名称ではなく、長剣の一般名詞と考えられ、それぞれ別の剣であるとされる。しかし、古くは国生みの神、伊邪那岐命(イザナギのミコト)が所持していたことが分かる。--とあって、イザナギの妻、伊邪那美命(イザナミのミコト)は、火の神、迦具土(かぐつち)神を産んだとき、 迦具土神の体から発する炎で陰部を焼かれて死んでしまい、 そのことを嘆いた父伊邪那岐命によって、迦具土神が生まれてすぐにその首を切り落とされたという。 このときに用いられた剣が、この十握剣だとか。やがて所有者はイザナギの息子のスサノオへ。 出雲神話の中に出てくる八岐大蛇(やまたのおろち)退治の話で、素戔鳴尊(すさのおのみこと)が出雲国の奇稲田姫(くしいなだひめ)を救うため、自ら帯びている十握剣(とつかのつるぎ)を抜いて八岐大蛇と戦い大蛇を殺して寸断する。--と書かれていたそうで。 この時、大蛇の尾の中から一本の剣を得て、天照大神に捧げた。この剣が天叢雲剣(あめのむらくも)と呼ばれ、後にヤマトタケ(大和武尊)が使い草薙剣(くさなぎのつるぎ)と名付けられ、三種の神器の一つとして熱田神宮に祭られていると云う。--というのは有名な伝説。その後、タケミカヅチ(鹿島神)らが「国譲り」の神話の中で、出雲の大国主(オオクニヌシ)の前で十掬剣を海の上に逆さまに刺し、その切先にあぐらをかいて威嚇したと言われている。 この時に、鹿島のタケミカヅチと相撲を取って負けたのが、諏訪大社のタケミナカタだという神話もあるし。この剣は後に神武東征の場面において神武天皇の手に渡り、そこには、この剣が佐士布都神(さじふつのかみ)、甕布都神(みかふつのかみ)または布都御魂(ふつのみたま)という名前であると記されているらしい。もう一方の・布都御魂(ふつのみたま)は、「神代より三本の霊剣がある。天十握剣、天叢雲剣、布流剣」(源平盛衰記)という記事がhttp://www9.plala.or.jp/hakarin/dennsetunihon001.htmにあり、「布流剣こそが布都御魂」と書かれていて、建御雷神(たけみかずちのかみ)はこれを用い、葦原中国(あしはらのなかつくに)を平定した。布都御魂(ふつのみたま)は、記紀神話に現れる霊剣。--とのこと。神武東征の折り、ナガスネヒコ誅伐に失敗し、熊野山中で危機に陥った時、高倉下が神武天皇の下に持参した劔がふつみたまで、その剣の霊力は軍勢を毒気から覚醒させ、活力を得てのちの戦争に勝利し、大和の征服に大いに役立ったとされる。荒ぶる神を退けるちからを持つ。--とか、日本神話で、神武天皇およびその一行が、熊野において大熊の毒気に当てられ、その場に眠り込んでしまったとき、建御雷之男神(タケミカヅチ)が天香山命(あめのかぐやまのみこと)の夢枕に現れ、この剣を託した。天香山命がこの剣を神武天皇に差し出すと、天皇はたちまちに目覚め、熊野の悪神たちを切り平らげた。この勢いに乗り、神武天皇は一気に大和を平定する。--という記事が。この剣は実在していて、石神(いそのかみ)神社と鹿島神社に安置されているのだそう。鹿島神宮には、布都御魂剣または霊剣(ふつのみたまのつるぎ)と称する巨大な直刀が伝わっていて、由来は不明で、奈良時代末期から平安時代初期の制作とされる国宝。鹿島神宮の宝物館で展示されている。--とも。 建御雷之男神(タケミカヅチ)が天香山命(あめのかぐやまのみこと)の夢枕に現れ、この剣を託したことになっていて、しかも天香具山(天香山命=あめのかぐやまのみこと)は、新潟:弥彦神社の祭神!日本書紀第三ノ一書には、「其の素盞嗚尊の蛇を断ちまへる剣は今、吉備の神部の許に在るなり」奈良県官幣大社石上神宮御由緒記には、「素盞嗚尊---天十握剣を以て---もと備前の国赤坂の宮にありしが---」--と書かれた記事もありました。---って、あれ? さっき同じ記事を見たような…神武東征で、この剣は布都御魂剣として彼に授けられ、この剣の力を借りて彼は統一王朝の樹立を実現した。--ということは…歴史では…仲哀天皇の熊襲征伐の途次、岡県主の熊鰐、伊都県主の五十迹手がそれぞれ白銅鏡、八尺瓊と共に十握剣を差し出して降伏している。--という記事もあり、「十握剣は何処にいったのかというと2説あります。一つは吉備国のある神主のもとにあったという説。もう一つは石上神宮に安置されたという説です。しかし、「十握剣」と言い伝えられる現物は現在ありません」とも書かれてました。----つまり、この二つの剣は、同じものを指しているということですね。十握剣(とつかのつるぎ)と 布都御魂(ふつのみたま)。どちらにも出て来る名前は、スサノオのミコト、タケミカヅチ、神武天皇…----どうやら、イザナギ白山系の剣で、国神(くにつかみ)出雲ソサノヲ系にあったものが、タケミカヅチに持って行かれて、神武の時代に使われて、その剣を見せられた出雲系の民族は、神武をソサノヲの関係者だと思って従ったということでしょうか。それにしても、剣は二本あるという説だし、壇ノ浦の戦いで8歳で海に飛び込んで死んだ安徳天皇が、草薙の剣とともに沈んだという話や、平家再興の祈願のため安徳天皇の「深そぎの御毛」と「紐劔」を大山祗命の御社に奉納して、以来劔山と呼ばれ…という記述もありました。 明月院の紫陽花