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mayuzou Beya

mayuzou Beya

時々、読もう。備忘録

愛するというのは必ずしも相手と接近することを意味するのではなく、相手には私の好き嫌いと関わりなく、その人独自の価値があると認めることと言ってよい。

客観的価値に敬意を払う心を持ち、少なくともその価値を否定しないことである。

○共感 ×自己主張
相手の気持ちをそのまま受け入れてあげることが大切。友人が「私、海外旅行に行って来たの」といえば、「あら、私もよ」と相手の出鼻をくじいたり「どこへ?誰と?」と訪ねたりする前に「そう?!旅行してきたの」とオウム返しに言葉をそのまま繰り返して相手と共感することが相手への真の優しさとなります。
私達はとかく自分本位になりがちで共感する前に自己主張をしがち。
「の」の字の哲学。



「しっかりと立つ」
私達は皆、多かれ少なかれ、他人との間にぶつかりあいを持って生きています。母親同士・職場・家庭・自分と異なる他人の心とぶつかることがあるものなのです。
体をぶつけられた時しっかり立っていないと、よろけたり倒れてケガをしたりするように、心同士がぶつかった時も自分がしっかり立っていないとダメなのです。立っているとは自分の世界をしっかり持っていて他人によって安易に振り回されたり流されることの少ない自分である、ということなのです。

「心から願うことをやりなさい。
 そうすれば、不満を感じることもなく、
 妬むことも、となりの芝を青く思うこともない。
 新しく自分が手に入れるものに感動し、
 打ち震えることはあっても。」
幸福を得るのに必要なのは「物」ではなく「もの」
精神を満たしてくれるもの。平穏、時間、活力、友情、いい会社、健康、人生をかけた取り組み、打ち込める仕事・・・。そんなものではないでしょうか。

「生きるためには働かなくてはならない」と人々が信じ込んでいるというのは、私たちが生まれながらに持っている、「存在、意識、幸福、創造力、愛、思いやり・・・」それらのかけがえのないものを失うことだとは思いませんか?
「生きるのにお金は必要ない。私たちは生まれたときからもう生きているのだから」

「楽しく生きるには、長生きすることよりも、笑いながら生きることが大事である。」

「自分から変えようと思わぬかぎり、何も変わらない。そうやって、なにごとも変わってきたのである」

束縛から解き放たれるためにわがままになるのは、そんなに悪いことなのでしょうか。
わがままになれば、人は、
「これをしたら何と言われるだろう」
「これをしたら人はどうするだろう」
「嫌われてしまうのではないだろうか」
「受け入れてもらえないのではないだろうか」
「愛してもらえないのではないだろうか」
などと、考えなくて済みます。

「何を仕事に望むのか」
「人生をなににかけるのか」
「自分はどうなりたいのか」



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