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前門の虎、後門の狼 <年子を抱えて>

前門の虎、後門の狼 <年子を抱えて>

躾について考える

「躾について考える」 (2004.7.7)

 ランはとても魅力的な花である。しかし、育てるのはとても難しい。以前、義母にランをもらったことがあるが、残念ながら枯らしてしまった。上手に育てるためには、温度、光の加減、鉢の大きさなどに気をつけなければならない。また、ランは土や肥料に敏感で、すぐに病気になったり虫がついたりするのだ。ところが、ところが…。子育てはそれより100倍くらい難しい!

 私は学生時代にスーパーでアルバイトをしていた。レジで清算する際、子どもは、お菓子を自分の手に持っていることが多く、そういう子どもには、バーコードを読み取ってから店のテープを貼って手渡していた。「○○ちゃん、お姉さんに渡しなさい」と母親に言われ、素直に渡してくれる子もいれば、強情でなかなか離そうとしない子もいた。母親が無理矢理奪って私に渡したため、泣き出してしまう子もいた。そういう光景を見るたびに、小さい子どもに言って聞かせるのは大変だなぁと思っていた。

 開いた口が塞がらないこともあった。まだ清算が済んでいないのに、箱をかじってしまってバーコード部分がボロボロになり読み取りが不可能な状態であったこと。もっとひどいのは、中身を食べてしまって箱だけになっていたこと。母親は、「すみません、食べちゃったんです」と一言。子どもを連れての買い物は一苦労、お菓子を持たせておけばおとなしいのだろうが、清算前のものを食べさせてしまう神経が到底理解できない。それとも、食べてしまうまで気づかなかったとでもいうのだろうか。

 あれから10年以上が経過した。私は買い手としてスーパーに訪れる主婦となり、今度は売り場での光景が気になるのだ。

 チョロチョロと動き回りたい盛りの2歳くらいの子どもを連れての買い物はさぞ大変だろう。しかし、肉のパックに指で穴をあけたり、買ってもいないお菓子の袋を破ったりしているのに、母親は注意しない。それどころか、母親どうし「触らせておけば機嫌がいいから」などと言ってお喋りに夢中だったりする。見かねたお年寄りが「僕たち、ダメよ」と注意したら、「ほら、怖いおばちゃんに怒られるじゃないの」などと言うではないか!

 冗談じゃない。叱る意味そのものがまちがっている。いたずらをしてはいけないのは、おばちゃんに怒られるからではない。そういうことをするのは悪いと、どうして注意できないのだろうか。自己の責任において叱らなければいけないのに、他人に押し付けるような言い方…。誰も怒らなかったら、やっていいというのか。それに、怖いおばちゃんだなんて失礼だ。まるでお年寄りが悪者みたいだ。うちのいたずら坊主を注意してくれてありがとうくらいの殊勝な気持ちになっても罰は当たらないのに!

 ところ構わず走り回っている子どもも多い。私は妊婦(臨月)の頃、走ってきた子どもにぶつかられてヒヤッとした経験がある。大きなお腹では俊敏な動きがとれず、瞬時によけきれなかったのだ。スーパーなど人がたくさんいるところで走り回ったら危ないということを親がきちんと教えなければならないし、常に見張っているべきだと思う。

 ほかにも、靴をはいたまま電車のシートに立つ子ども、レストランではしゃぎ回っている子ども等々、数えあげたらきりがない。

 これらの実例は、家庭で子どもの躾ができていないことを如実に物語っているといえるだろう。自由な雰囲気のなかで子どもを育てるべきだと考えて、子どもの好きなようにさせる親が多いようだが、「のびのび」と「わがまま」は違う。紙一重だが、まったく違う。

 私の娘はまだ歩けないので、おとなしくベビーカーに乗っていてくれるが、もう少し大きくなったとき、いたずらをする可能性は多分にある。他人に迷惑をかけない、善悪の判断ができる子どもに育てたいものである。そのためには、親である私が模範となるような行動をとらなければならない。言葉と行いの面で模範を示さずに、娘に細々と指示を与えるだけなら、娘はすぐに、お母さんは偽善的だと決めてかかるだろう。そして私の言葉は効力を失う。

 礼儀正しい話し方ができる子に育てたいなら、まず私自身が気をつけなければならない。子どもは親をよく見ていて、すぐに親のまねをする。無作法な言葉は慎まなければならない。

 正直な子に育てたいなら、私自身が正直でなければならない。例えば、親が電話に出たくないとき、子どもに「母は留守です」と言わせるのはよくある話だが、言わされる子どもはきまりの悪い思いをし、当惑する。しかし、やがて自分が困った状況に陥ると、やましさを感じることなく嘘をつくようになるかもしれない。

 子どもを取り巻く環境はかつてないほど悪化しており、犯罪の低年齢化が叫ばれて久しい。こんな世の中で子どもを育てていくのは生半可ではないが、だからこそ親がしっかりしなければ!何であれ、人は自分の蒔いた種を刈り取ることになる。子どもに高い道徳基準をもたせたいと願うなら、自分自身がそのような基準に従って生きていることを示さなければならない。娘の誕生日を目前に控え、誓いを新たにした。




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