片付けのNGワード
夕方、妹が遊びに来た。姪(あと3日で生後半年)が、まだ寝返りをしない、しそうな素振りもないというので「体重のある子は遅いかもしれないね。坊もそうだったよ。寝返りが始まったら いよいよ目が離せなくなるから、のんびりでいいでしょ。それより、姪が動かない今のうちに、早く家の中を片付けちゃいなよ。子どもが成長するとどんどん物が増えるから 今やらないとずっとできないままだよ」「まぁね」。妹の口癖である。何か言われるとすぐ「まぁね」と答える。これは肯定なのか否定なのか、それとも適当にはぐらかす意味なのか。とにかく、あまり聞こえのいい受け答えではない。片付けたいけど時間がない? Wii をやる時間はあるくせに?本当に時間がないわけではないんだね。時間がないというより、片付けをする心の余裕がないんだね。「物が多すぎるってお母さんに言われた。お姉ちゃんもそう思っているんでしょ」「思ってるよ。あれは明らかに収納に対して容量オーバーでしょ」「もったいなくて処分できない。いつか使うかもしれないし」私は、とにかく物を持たなければいいとは思わない。たとえば、バッグが大好きで本当に愛している人なら、いくつ持っていてもいいだろう。(極論すれば、使わなくなっても大切に手入れして、眺めているだけでも構わない。眺めて愛でることが、その人にとって幸せならば)これに対して、押入れの隅にぐちゃぐちゃに置いてあるバッグを高かったから、ブランド品だからというだけの理由でとっておく人がいるとしよう。実にもったいない話だ。本当にもったいないと思うなら、こよなく愛して使うだろうに、何年も放っておいて、いざ捨てようとすると「もったいない」と言い出す。使わないほうが100倍もったいないとは思わないか?妹は、消費社会の使い捨て文化の中で育ってきたにもかかわらず、親世代の「もったいない」という言葉だけを引き継いでいる。そこに「もったいない文化」は ない。言葉だけが虚しく残っているのだ。「いつか使うかもしれない」というのは片付けにおいてNGワードである。そこが、妹が捨てられネーゼである所以なのだが…。確かに、整理収納の中で 捨てることほど難しいことはない。それは物の整理にとどまらず、生き方の整理だから。シンプルライフへの道は、増えてしまった物と向き合うところから始まる。