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2021.10.02
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カテゴリ:人類学
​ 地球の3分の1を占める広大な太平洋を、まだ六分儀も海図も持たない先史ポリネシア人が驚くべき遠洋航海を行い、各島に植民していったことは、人類の持つフロンティア精神を実証する真の驚きである。

​◎まずサモアから出発​
​ これまで考古学証拠や古植物学の知見などからその拡散の様子が復元されていたが、今回、スタンフォード大のA.モレノ=エストラーダ(写真)らは、太平洋の主要な21島に住む現代の島民430人から抽出したゲノムに基づき、次のような移住経路を描き出し、イギリスの科学誌『ネイチャー』9月23日号に報告した。



 ポリネシア各島への人類の移動は、サモアから始まり、9世紀にクック諸島を通って広がり、11世紀にはソシエテ諸島、12世紀にはオーストラル諸島西部およびトゥアモトゥ諸島へ、最後にいずれも巨石像文化を持つ、北はマルケサス諸島、南はライヴァヴァエ島、そしてポリネシア諸島最東端のイースター島(写真)まで広がった。​



 イースター島への人類の定着は、1200年ごろにマンガレヴァ島を介した航海によってもたらされた。

​◎アメリカ先住民とのコンタクトも​
​ この研究成果発表で思い出されるのは、昨年同じ『ネイチャー』7月8日号で、先史ポリネシア人とアメリカ先住民との混血のあった証拠が、現島民のゲノムからマルケサス諸島のファトゥ・ヒバ島(写真)で1150年~1230年頃になされたという報告であった。​



 そしてそれより200年くらい新しい時代にはイースター島でも先史アメリカ人との接触のあったらしいことも分かっている(20年7月19日付日記:「南米大陸からのポリネシアへの植民は、マルケサス諸島で1150年~1230年頃になされた」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202007190000/を参照)。

◎先史アメリカ人のもたらしたサツマイモが起こした食料革命
 キャプテン・クックの訪れるずっと前に、ポリネシア諸島とニュージーランドでは広くサツマイモ栽培がなされていた。クック諸島のマンガイア島(写真)から、年代測定で11世紀と出た南米原産植物であるサツマイモ炭化物が発見されている(18年1月2日付日記:「海図も六分儀もない時代に南太平洋を往来した先史ポリネシア人がもたらしたサツマイモの革命」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/201801020000/を参照)。


 南米西海岸を漕ぎ出した先史アメリカ人は、航海に際し食料として、貯蔵の利くたくさんのサツマイモを積んでいただろう。そして行き着いたポリネシアの島で、そこで先に渡ってきていたポリネシア人にサツマイモを渡したのだ。見返りに得たのは、南米にいなかったニワトリ、あるいはブタだったかもしれない。
 先史アメリカ人にもたらされたサツマイモは、栽培・貯蔵のしやすさという優れた特性で、瞬く間にポリネシア諸島に普及した。こうして先史ポリネシア人はサツマイモを持ってニュージーランドに植民し、西にはそのサツマイモがニューギニア島にも届き、高地人の重要な食資源となったのだ。

昨年の今日の日記:「東証システム障害で1日取引停止と日本郵政の3兆円余の巨額減損処理」​





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Last updated  2021.10.02 05:27:31



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