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カテゴリ:現代史
ロシアの劉暁波氏とされるロシア反体制派のアレクセイ・ナヴァーリヌイ氏(47歳=写真)が、その経過をなぞるかのように16日、極寒のロシア北極圏ヤマロ・ネネツ自治管区の収監先刑務所で死亡した。 ◎直前まで元気だった 死因は公表されていない。刑務所当局が伝えるのは、ナヴァーリヌイ氏が散歩後に「気分が悪く」なり、すぐに意識を失った。「施設の医療スタッフがすぐに到着し、救急隊を呼んだ。必要な蘇生措置は全て行ったが効果はなく、死亡が宣告された」ということだけだ。これで、西側にもロシア国内にも知名度と影響力のある反体制派指導者は、ロシアからいなくなった。 しかし、発表どおりに受け取るのは、西側諸国の人々には皆無だろう。前日の15日に面会した家族の撮った画像では、ナヴァーリヌイ氏の元気そうな姿が映っていたからだ。来月のロシア大統領選挙を控え、万一を考えたプーチンとその取り巻きが暗殺した疑惑が濃厚だ。 プーチン圧制下のモスクワでは表だった抗議行動はできなかったが、ナヴァーリヌイ氏の死の伝わった夜、モスクワのスターリン時代の粛正の犠牲者を記念するメモリアルの碑の前に、追悼の意を示す無言の市民が大勢並んだ(写真)。 ◎プリゴジンのように刃向かう者には死を!、か 大統領選挙では、ウクライナ侵略に反対するボリス・ナジェージディン元下院議員の出馬が必要な署名を集めていたにもかかわらずあらゆる難癖をつけられ、今月却下された。プーチンの他に出馬を予定する3人は、ウクライナ侵略に反対しておらず、プーチンの圧勝は間違いない情勢だ。 それでも、疑心暗鬼になっているプーチンとその取り巻きは、少しでも不安要素はこの際、排除したいと思っていたに違いない。昨年に反乱を企てた民間軍事会社ワグネルの指導者のエフゲーニー・プリゴジンが「乗っていたヘリコプターの墜落事故」の名目で暗殺されたのと同じだ。 ◎3年半前、危うく暗殺されかけたナヴァーリヌイ氏 ナヴァーリヌイ氏は、2020年8月にもプーチンの差し金で情報機関FSBにより猛毒のノビチョクをもられて暗殺されかけた(20年9月9日付日記:「ロシアの闇、またしても:反体制活動家のナヴァーリヌイ氏に猛毒神経ガス、ノビチョクかけられ一時危篤に」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202009090000/を参照)。氏は、西側諸国の尽力で安全なドイツの病院に移送され、命を取り留め、回復した。 しかし翌年1月、周囲の反対を押し切ってロシアに帰国後、すぐに逮捕され、再び投獄され、今回の「謀殺」に至った(表)。 ◎死を覚悟しての帰国は先人に習ったか ナヴァーリヌイ氏も周囲も、氏がロシアに戻れば、暗殺に失敗したFSBにより再び消されかねないことを分かっていたはずだ。 それでもナヴァーリヌイ氏が帰国したのは、西側に亡命すれば、ロシアでの発信力・影響力を失うことを危惧したからだ。 亡命によって安全を得る代わりにロシアでの影響力を失うことを恐れたのは、ソ連時代の反体制派物理学者のアレクサンドル・サハロフ氏(写真)や作家のアレクサンドル・ソルジェニーツィン氏らも同様だった。両氏とも、ソ連の変わることを期待し、抑圧下のソ連に留まり続けた。ただしソルジェニーツィン氏は、ソ連崩壊前の1974年にソ連を追放された。 ◎いつか民主国家に変わることを確信して獄中で生きたナヴァーリヌイ氏 その不屈の闘いに、1975年にサハロフ氏にノーベル平和賞が、その前の1970年にソルジェニーツィン氏がノーベル文学賞を授賞された。 サハロフ氏はソ連崩壊前のペレストロイカの1989年に亡くなったが、ソルジェニーツィン氏はソ連崩壊を目にし、唯一の民主化の時代の94年に帰国した。 ナヴァーリヌイ氏も、いつかロシアが民主国家に変わることを確信し、獄中を生きた。 しかしその影響力を恐れたプーチンとその手先は、ロシアの変わる前に永久にナヴァーリヌイ氏を葬り去ったのだ。 昨年の今日の日記:「江戸時代のキリシタン禁教下に静かに信仰に生きた九州筑後の潜伏キリシタンの300年を描く『守教』(前編)」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202302180000/ お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
2024.02.18 06:19:04
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