札幌の旅(12):晩飯に食べたホッケとニシン、そして銀ザケの美味かったこと
札幌に行って、いつも楽しみにするのは、大きなホッケやサケの塩焼きだ。 ウニは、高級寿司店に行けば食べられるから、特に安くもない札幌の寿司屋では食べない。海鮮丼も捨てがたいが、今回の札幌では食べる機会がなかった。◎札幌では脂ののったホッケが1300円以上 東京で、僕はホッケを食べない。それは、ホッケという魚の属性が関係している。 どういうことかと言うと、ホッケは高級魚ではない。だから一流和食レストランでは、そもそもメニューに無い。一般の居酒屋に行けば、置いてあることもあるが、値段を大衆向けに抑えるためか、小さくて脂ものっておらず、ケソケソ。つまり美味くない。 だから、東京では食べないのだ。しかし北海道に来たら、一般の店でも、脂ののったホッケが食べられる。ただし値段は、1300円を超す。僕の行った札幌都心の店では、一品料理としてはこれが一番高かった。その代わり、脂がのり、とても美味い(写真)。大きいから、これでかなりお腹も満たせる。 さらに超厚切りの銀ザケの塩焼き(写真)。これも、美味かった。 もう至福の時だ。◎大きなニシンの塩焼き この店には、翌日も行った。さすがにこの時は、別のメニューにした。 東京ではめったに食べられないニシンの塩焼きだ(写真)。ニシンと言えば、小骨が多いが、注意深く食べれば、気にはならない。 このニシンも大きく、しかも脂がのっている。 ニシンは、かつて昭和の初め頃までは、北海道の最大の漁獲量を誇った魚だった。 江戸時代には、出稼ぎの「ヤンシュウ」が、江差や積丹の網元屋敷に集まり、それこそザルで掬うように産卵のために浜辺に押し寄せてきたニシンを獲った。浜辺は、ニシンのオスの放精で白く濁った(こうしたニシンの大群の到来を「群来(くき)」と言った)。◎開拓の村で観たニシン御殿 網元は、豪華なニシン御殿を建てた。例えば札幌郊外の「開拓の村」に行くと、「旧青山家漁家住宅」が復元されている(写真)。青山家は、小樽の祝津にあった三大網元の住居で、その広壮さには目を見張る。 また最大の漁場の1つだった江差のニシン漁の繁栄ぶりを指して、「江差の春は江戸にもない」と言われた。江戸時代、ここで漁獲されたニシンは身欠きニシンという干物に加工して、北前船で関西に運ばれた。にしんそばは、当時の高級料理だった。 また小さい個体は、肥料にされた。ニシンの肥料は、とても貴重なものとして珍重された。 しかし乱獲と海流の変化で、北海道日本海岸から一時、ニシンは消えた。◎復活しつつあるニシン それが1980年頃から、北海道の水産関係者の育苗放流の努力が実り、ニシンが戻ってくるようになった。時には、「群来」も見られる。 その大きなニシンの塩焼き。これは、ホッケよりも美味かった気がする。(この項続く)注 所用のため明日の日記は休載します。昨年の今日の日記:「ワン株買付の手数料無料という魅力」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202207280000/昨年の明日の日記:「新規感染者世界1となった武漢炎パンデミック「BA.5」亜型第7波、ただこれまでとは違う現実」https://plaza.rakuten.co.jp/libpubli2/diary/202207290000/