終わりの始まり 始まりの終わり
ご報告が遅れてしまったが、3月下旬に日本に帰国した。アメリカ滞在期間全く帰国しなかったのでまさに86週と1日(603日)ぶりに日本の地に立った。久々の日本の気候は暖かく、空港からの帰り道で8分咲きの桜が我々の帰国を歓迎してくれた。人生は出会いと別れの連続である。人は新しい出会いに胸を踊らせ、そして惜別に涙する。3月に大きな別れを経験し、4月からまた新しい環境で心機一転再出発することとなった。新しい環境といえどもこれまで働いていた職場に戻っただけなのだけれども。しかし、2年近く日本を離れていたためか日常だと思っていた景色の一つ一つが非常に新鮮に感じられる。アメリカの上下スイッチにすっかり慣れてしまって、自宅のボタン式のスイッチに違和感を覚えている自分がいる。いまだに暗闇の中で無意識に指を上下に動かしてしまうのはアメリカでの感覚が体に染み付いてしまっているからだろう。これはただの一例に過ぎない。分刻みにやってくる電車、ゴミが一切落ちていない道、浮浪者がいない駅校舎、日米間でのカルチャーギャップに戸惑うばかりである。きっと日本の生活に完全に戻るまでには暫く心のリハビリが必要になるような気がしている。帰りの飛行機内で家族と過ごしたアメリカ生活が走馬灯のように蘇ってきた。数えきれないほどの困難があったけれども、その都度家族で力を合わせて乗り越えてきた。今回の留学が家族に何をもたらしたのか私にはわからない。しかし、家族で過ごした海外生活がきっかけとなって数年後、数十年後に大輪の花を咲かせてくれることを願いたい。壮大な旅が終わりを告げようとしている。アメリカでの旅を思い返していると気付けば涙が込み上げてきた。アメリカでできた友人との別れの寂しさ、目標としていた修士号の取得の達成感、家族全員で帰国できる安堵感、それともそれら全てかもしれない。涙のわけはわからないが、人生の中でも一番と過言ではないほど忙しく濃密な時間だったことは間違いない。円安と米国内のインフレによって家族に貧しい生活をさせてしまったことだけが大きな心残りだ。旅行の旅先でも朝食はカップラーメンやパンで節約するなど常に生活費を切り詰める日々が続いた。少しおしゃれなレストランで外食をしたら120ドルプラス20%のチップが発生するのだから恐ろしい。外食は結局片手で数えるほどしか行けなかった。日本に戻ってきてご飯の美味しさ、サービスのクオリティ、そして手頃な値段に驚くばかりである。改めて日本はすごいと思った。これだけ高品質のサービスが素早く提供できる国も少ないだろう。先日親族と食べ放題のお店に入ったのだが、息子たちは寿司としゃぶしゃぶを思う存分食べて大満足だったようだ。それと同時に今まで思う存分レストランで食べさせてあげられなかったことに対する申し訳ない気持ちが自然と込み上げてきた。自分で言うのも変な話だが、異国の地のマイノリティの立場で貧困を経験するなんてしたくてもなかなか味わえないと思う。「地を這いつくばってでも生きて帰ってやる」という根性だけは強くなった気がする。アラフォーの会社員が家族を連れて海外に大学院に進学するという無謀とも思える旅は最高に楽しく、そして想像を絶するほど大変だった。帰国はしたもののこのブログは細々と続いていきたいと思っている。終わりは何かの始まりであり、始まりは常に終わりに向かっている。この輪廻転生のようなサイクルを繰り返す中で人は日々成長を繰り返す。旅の疲れがとれたらまた新たな人生のチャプターを一歩ずつゆっくりと歩んで行けたらと思う。それでは今日も良い1日を。きたろう写真:ソメイヨシノ