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家族留学奮闘記

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2025.01.20
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テーマ:☆留学中☆(2580)
カテゴリ:留学情報
授業4:Sociolinguistics in Education
日本語に訳すと「教育の中での社会言語学」という科目名になる。春学期の授業の中で一番苦戦を強いられた授業かもしれない。予備知識の蓄えもなく、いきなりsociolinguisticsの世界に放り込まれたようであった。内容も非常に抽象的な内容が多くコンセプトを理解するのに大変難儀した。すでにうろ覚えになってしまっている部分もあるが、簡単に振り返ってみたいと思う。
Week 1 Course Overview
課題なし。
この週はシラバスの確認をして終わってしまった。授業は予定より大幅に早く終わり拍子抜けしてしまった。
Week 2 The Speech Community
論文3本。
Pratt(1991), Gumperz(1968), Silverstein(1998)の論文を3本読んだ。Prattのペーパーはカードゲームの例え話も含まれておりまるで小説を読んでいるかのようだった。どんなにグローバル化が進もうとも異なる文化やコミュニティが衝突するcontact zoneがあるらしい。Gumperzのspeech communityも社会言語学を学ぶ上で土台となるタームらしい。
Week 3 Space, place, and globalization
論文2本。
Spitulnik(1997)とJohnstone(2004)の論文を読みんだ。Globalizationによる方言の多様化やメディアが方言に与える影響などについて議論した。
Week 4 Diversities
論文2本。
マイナー言語が動物の絶滅危惧種のように扱われているのが興味深かった。メジャーな言語とマイナー言語のパワーバランスや絶滅に瀕している言語の保護や普及も社会言語学の守備範囲であることを知った。現に教授もシカゴ大学でPhDを取得された方なのだが、アメリカの先住民族の言語を研究をされていた。私は中学校から英語を学び、EFL下での英語教育に興味を持って勉強してきたが、私が思っていた以上に言語の研究対象は広いことに驚いた。日本の英語教育を社会言語学の視点から研究してみるのも面白いかもしれない。(どんなに多角的な視点から眺めても結局受験に行き着いてしまいそうな気もする。)
Week 5 Variationism I:(Martha’s Vineyard)
論文1本。
社会言語学を語る上で必ず登場する人物がいる。そう、Labovである。この人の修士論文がThe social motivation of a sound changeという1963年に書かれた論文だ。LabovがMartha’s VineyardというNYのリゾート地で行った実験はのちにこの学問分野に多大な影響を与えた。教授はLabovが社会言語学の研究手法の礎を築いたと仰っていた。非ネイティブの私にはMartha’s Vineyardの人とそれ以外の地域の人の微妙な発音の差があまりよく分からなかったが、この小さな小さな発音の差がGumperzが主張するimagined communitiesを形成するらしい。なんとなく教授のレクチャーはわかるのだが、論文は非常に難解で常に消化不良を起こしている。これからやってくるであろう課題に戦々恐々としている自分がいる。
Week 6 Variationism II:(New York City)
論文2本。
社会言語学の大家Labovが執筆したもう一つの有名な論文を読んだ。こちらの論文はNYのデパート?で実施されたMartha’s Vineyardよりも規模が大きい実験となった。現在では倫理的に実施はできない研究だろうと教授は仰っていた。発音の違いとsocial class(社会階級)を恐らく初めて実証的に研究した論文ではないだろうか。
論文を書くには勿論先行研究を読み込んだりして相当な知識量が必要になるわけだが、新たな知識を生み出すためには誰も歩んだことのない道を一人で歩むだけの労力と時間が必要が必要になることもこの論文を通じてわかってきた。研究はコツコツと愚直に進み続ける根気が必要になりそうだ。研究分野の最前線で日々活躍している研究者に対して尊敬の念が湧いてきた。さて、自分も彼らのようにひたすら歩み続けることができるだろうか。
Week 7 Beyond Variationism
論文3本。
Labovの影響を強く受けた研究者が出版した論文を3本読んだ。研究地域が米国国外になったり、調べる言語がteenage languageだったり社会言語学の研究対象が広がりを見せていることを学んだ。社会言語学でいうindexical feature(s)がこの週のポイントだったような気がする。つまり、ある方言がindexとなって聞き手に地域の民族性を想起させる。我々が出身地を聞かずとも大阪弁や博多弁を聞いた際に「ピン」とくるあの感覚だろうか。そして、関西弁を聞くとその地域の人柄や性格、民族性が自然と浮かび上がってくる。
Week 8 Ethnography of communication
論文2本。
Communicative Language Teaching(CLT)の基本概念であるcommunicative competenceを提唱したDell Hymesも元々は文化人類学者、社会言語学者であったらしい。CLTのTheoretical backgroundを学ぶたびにHymesの名前は必ずと言っていいほど登場する。今回が1972年に書き上げた有名な論文を読んだ。この論文がのちにSwainやLongなどのSLAの学者に及ぼした影響は計り知れない。
ものすごい数の引用数を誇る論文だが、原文を読んだことはなかったので読む機会に恵まれ大変ありがたかった。そして、私が考えるコミュニケーションとHymesが当時捉えていたコミュニケーションの間に大きな隔たりがあることもわかってきた。確かに1972年と2024年のコミュニケーションの概念が一致するわけがない。社会が変わればそれに応じてコミュニケーションのあり方も変化する。さて、文部科学省が学習指導要領で述べているコミュニケーションややりとりといった用語は一体何を指しているのだろうか。答えは誰にも分からない。
Week 9 Ethnography of Communication in education
論文2本。
Alptekin (2002)の論文は痛快で読んでいて非常に面白かった。特にネイティブスピーカー至上主義への警鐘は非常に重要な視点のように思えた。また、Alptekinが述べたELT教科書への指摘も興味深かった。
Week 10 Interactional sociolinguistics
論文3本。
Rampton (2017)の論文を中心に合計3本の論文を読んだ。
Week 11 Interactional sociolinguistics in education
論文3本。
学校教育現場に焦点を当てた社会言語学の研究論文を3本読んだ。Jaspersが著したLinguistic sabortageという現象が非常に興味深かった。特に若者の
Week 12 Language ideologies
 論文2本。
Week 13 Language ideologies in Education
論文2本。
Week 14 Voice and Gender
論文3本。
Inoue (2006)の”An echo of national modernity”という論文が非常に面白かった。いかにして”schoolgirl speech”が広まっていったのか社会言語学的側面から考察した論文である。女子の通学率が当時低く男性中心の風潮の中、この”schoolgirl speech”が批判の的となる。ラジオ、新聞、雑誌といった当時のメディア媒体を通じて”schoolgirl speech”が卑しき言葉というラベルを貼られる異なる。
最初のレポートは点数が低く単位が取れるか一時心配になったほどだが、後半巻き返すことに成功し最終的にはAをいただけた。概念的な部分が多く、正直自分の研究対象とするのは難しいように思えたが、言語と社会は密接に結びついており言語を研究する上で社会の影響を無視することはできない。特に言語とアイデンティティー形成は文献を読みながら何度も頷いた。結局、言語の獲得は単なるスキルの取得ではないのだ。話し方や方言によって話し手、聞き手が持つ印象は非常に異なる。話し手も話す相手によってうまく言葉を使い分け、言葉という仮面をつけたり外したりしている。聞き手も相手の言葉から話し手の意図を汲み取り、相手がどのような人物なのか常に理解しようとする。ただただ「スタンダード」な英語を教えることが正解ではないことを学んだ。そもそもこのスタンダードな英語のスタンダード(基準)自体非常に大きな危険を孕んでいる。一人一人が話す言葉が個性だとすれば、スタンダードなど人々に作り上げられた虚構(フィクション)であってこの世には存在しないものなのかもしれない。同様に我々が時に使う「ネイティブ」「純ジャパ」といった言葉もある特定の一部の人々によって作られたイメージに過ぎない。教授もよくwhat is often called "native"と言っていて、ネイティブという単語を使う際はかなり慎重になっているようだ。巷でよく見聞きする「ネイティブ」には十分気をつけなければならないとこの授業を受講しながらふと思った。









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最終更新日  2025.01.22 01:13:00
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