【毎日開催】
15記事にいいね!で1ポイント
10秒滞在
いいね! --/--
おめでとうございます!
ミッションを達成しました。
※「ポイントを獲得する」ボタンを押すと広告が表示されます。
x
X

カレンダー

フリーページ

2010年12月30日
XML
カテゴリ:カテゴリ未分類
いよいよ激動の2010年も終わろうとしています。
皆さんはいかがお過ごしでしょうか?

私は、今年一年は「学び」の年でした。
出逢いを含め、知識や経験はもちろん、色々な感情を得て、ただただ人生を学ぶ年。
来年は、今年得た学びを通して、賢く、聡明に生きたいと願います。

過日、父が急に、この世を去りました。
それは本当に急で。
さっきまで、そこにいた父が、ちょっとそこまでの距離で、そのまま、帰ってくることはなかった。
救急車、警察、検死に回され、その間に色んな人に連絡をして。
あの日の一分一秒、全てを覚えている。
必死に救急車を追い掛けたこと。ひとりひとりに電話で伝えたときのこと。
人って、こんなにすぐに死んじゃうものなのか?と、何だか異次元にいる気がして。
色々な感情が溢れ出して、ずっと、脳みそと心臓が、口から今にも出てきそうな、無言の慟哭。
どうしても、泣いちゃいけないと思って、泣けなかった。

兄さん達が次々駆けつけてきて、皆、あの巨体(2m×100kg超)で号泣していた。
それを観ている私が辛くて。でも、やらなきゃいけないことだらけで、泣いていられない。

葬儀は、我が父ながら、圧巻だった。
あんなに大きな葬儀は初めてだ。
私の仕事関係者達は、父の事や兄さん達にただただ驚いていたけれど、
たくさん参列してくれて、見えるたびに、ありがとうと声を出して言っていたら、
隣に座った葬儀委員長が『安心した』と言っていた。
遺影の写真を選ぶのが困難で、昔の写真から何からひっくり返したら、色んな表情の写真が出てきたから、せっかくだからとスライドショーにして式場で流したら、また、大男達が号泣をしていた。

でも、不思議なことに、ほとんどの人たちが、何故だか、ちょっと前から、久々に再会をしたり、連絡を取ったりしていた。
そうして、実は彼なりに、皆に、最期の挨拶をしていったのではないだろうか。

あの日から、人生が一変した。

私は、仕事を辞めて、家(業)に入った。
姉が、家を継いだ。
兄さん達が、全力で今まで以上に支えてくれる。
父のお仲間の皆さん、お仕事関係の皆さんも、今まで以上に支えて下さる。
どれだけ、人様とのご縁に感謝したかわからない。
人は一人じゃ生きていけないと言うけれど、
一人で生きていなくて良かったと、思う。

信頼関係が、長い年月の上に成り立っているものだとしたら、
初めて会う皆さんも、父と皆さんが歩み築き上げた長さ深さがそのままスライドして、
私達家族と接してくださっている。

前職では、ありがたいことに、テレビや新聞、ラジオ、雑誌等々に取り上げて頂き、
それなりにキャリアを積んでいた私。
でも、この新しい環境に身を置き、自己嫌悪の日々。
ただただ空回りをして、使えない身にもどかしく。
初めての「民間」で、しかも、特殊な環境で、今までのキャリアなんて、何の役にも立たず、気だけは強くて、全てを否定された気分。
挙句の果てに「私だって好きでここにいるわけじゃない」が頭の中によぎり、そんな自分にますます辟易とする始末。
こんな姿を、遠くから見守っている父はきっと、私の不甲斐なさに、悔し涙さえ流しているんじゃないか。

でも、「自分が何でここにいるのか?誰かに教えてもらわなきゃ解らない?」、
「自分の居場所くらい、自分で見付けなさい」の言葉に発奮し、
「手放したものが大きければ大きいほど、人は、頑張れるものじゃないか?」に涙して、
私は、この道を選んだんだと、覚悟を決めた。

今までの様に、世間様から、立派だと、憧れだと、尊敬されるほどの仕事ではないけど。
今までなら、酷評も噂も付きもので、はいはい、と聞き流し、ぶっちゃけ、同じように批判をしていたことも
今は、絶対に、愚弄する者は許さないと、誇りを持つ自分に、ちょっと笑顔がこぼれる。

もうおばちゃんなのに、若いから、と相手にされず、女だからと見くびられ。
それなのに、支えてくださる皆さんの肩書き、人脈を知って擦り寄ってくる。
ぴーぴーうっせーなー、ちっちぇーなー、と心の中で毒づきながら、
笑顔で対応するのは、勝ちでも負けでもない、私なりの戦力(勝負)外通告。

正直、悔しいことばかりで、ストレスフルで、イライラしてばっかりで。
それでも、いや、それだからこそ、ちょっとしたことで、happyになれて、感動もする。

人生をサボっていた私へ、父からの最後の試練。挑戦状。
「ほら、やってみな」と。

確かに、決して、家族にとっての“良い夫”、“良い父”ではなかったけれど、
いつでも、全力で、私たち家族を守り抜いてくれた。
いつでも、私の決断に全力で背中を押して、何かあれば、必ず、迎え入れてくれた。
何があっても、必ず、私の味方でいてくれた。

絶対に泣いちゃいけないと誓って、姉にも母にも、親戚や兄さんたち、友人たちにも、泣いている姿は見せられなかったけれど、
夜中、2人きりになって、父の亡骸を前に、大人になってから初めて、すがっておいおい泣いた。
私こそ、決して、良い娘じゃなかった。
悪いこともたくさんした、孝行らしい孝行もしてあげられなかった。
父が思い描いた、理想の娘じゃなくて、懺悔することだらけで、
ごめんね、ごめんね、と、あれだけ泣いたのは初めてだ。

でも、ふと、きっと父は、言えなかった色んなごめんなさいも、色んなありがとうも、
そんなの全部お見通しだったんだ。
それを受け入れてこそなお、全力で私を愛してくれた父に、心から、感謝している。

2人で、憎み合って、傷つけ合って、助け合って、衝突しながらも、生き抜いた日々。
全力で、戦って良かったと心から思う。
これから起きる、全ての苦しみや悲しみ、不幸の全てを背負って、父はこの世を後にしたんだ。
私は、その後を、精一杯生きることで、恩返しと、愛情を示したい。

「味方も多いけれど、その分、敵も多い」は、誉め言葉。
色々な人が、それぞれなりに、父の、死に様を含めた生き様を評すけれど、きっと父はただただにっこり笑って聞いているだろう。

「59歳という短い生涯を、熱く、太く、深く生き抜いた、日本武士に、心から拍手を送りたい」
という、父の友人からの送辞が胸に残る。

一人の人間として、素晴らしい男だったと、心から思える今、
私も、一人の人間として、自律して立っているんだと、ようやく自覚する。
それは自身のこともしかり。
今までのキャリアを改めて見直し、ようやく、"見掛け"ではない、
自分が蓄えた社会人たる躾に感謝出来るようになった。
自分が愛する人たちに愛されているという誇り。
一生懸命生きてきた人生。
全てに感謝し、誇りをもって、生きていける、純粋な覚悟を、
彼からの、最後の愛情として、与えられた。
こんなに悲しいことが世の中にあるのかと思うほど、辛かった、
今でも確かに悲しいけれど、でも、大丈夫。
ありがとう、おとうさん。


ところで、そういう風に思える親がいて、いいねぇ、私なんて…とか、
私のときはこうで…とか、色々なことを、言われたけれど、
感情や環境は決して、誰かの状況とcompareできないものだと、私は思う。
だからこそ、人生なのだ。

先日、私は、新たに、会社を継ぎ、当主を襲名した。
もう、ブレない。
今は、知識を入れなくてはと、毎日インプットの時間だけでアップアップ。
そんな中で出会った素敵な言葉を胸に、私も頑張りたいと心から思う。

友よ みだりに人を羨むな
友よ みだりに嘆き給うな
人と生まれ 人と生きる
それぞれの道にそれぞれの苦しみ
それぞれの道にそれぞれの悲しみ
だが友よ しかしみんな歩いてきた道
君ひとりだけ嘆き給うな



これを読んでくれる、いつも支えてくれる、大切な友たちへ。
心からのありがとう。
そして、皆様にとりまして、来年も、素晴らしい年でありますように、心から祈念いたします。







お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう

最終更新日  2010年12月31日 11時24分18秒


PR

プロフィール

りるちゅら

りるちゅら

お気に入りブログ

もこっぺでいきてく… ★もこっぺ★さん
Japanese South Side… ★Thunder★Bunny★さん
CRIB Lil' Kikiさん
Honey in America mhoney22さん
ヴァカンス移住 ~ … aloha makaniさん

© Rakuten Group, Inc.