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カテゴリ:日々の出来事
4月7日月曜日。今日は新任校の着任式と始業式の日だった。
習志野二中は習志野一中とほぼ同じ伝統校でおよそ78年の歴史がある。つまり私の年齢と同じということだ。新しい体育館のアリーナに入って着任の一言を述べ、始業式でも紹介された。その最後に二中校歌が吹奏楽で演奏された。 その途端にすっかり忘れていた30数年前が蘇った。 この3月末まで勤務した習志野一中は創立当時から音楽教育に力を入れており、その校歌は大木淳夫作詞・堀内敬三作曲というその当時最高のドイツ文学者と音楽家の手になるものであった。更に混声4部合唱という全国でも類をみない格調高く重厚な響きを持つ校歌であり、私は誇りをもって10年間指導し続けた。その後は七中に転勤し、新設校だったため、校歌も当時の若い音楽教師二人の作詞作曲によるものであった。そのシンプルであっけない校歌には目からうろこではあった。 更にその後に赴任したのが4月から着任したこの二中である。校歌は作詞が平井康三郎さんではあるものの斉唱なので何とも簡潔平明であった。そしてその校歌を7年間指導してきたのだった。 30数年ぶりにその校歌を耳にした時、忘れていた記憶が戻ってきた。あまりにも不意だったのでなつかしさと感激のあまり、涙がにじみそうになった。あの時代の苦闘生活が思い出された。そうだ、この二中で私は指導困難な生徒の担任として力量を試され、私生活では幼子や学童期の子どもを養育しながらの生活で日々、戦い状態だった。 そんな人生の宝ともいえる時代が校歌とともに蘇った。胸に熱いものがこみ上げ、ジーンときた。 今の私は年老いて知力・体力・気力が落ちてきていることは疑う余地はないが、私はここまで頑張って生きてきたんだ。自信を取り戻せ。誇りを持つんだ。卑屈になるな。 ![]() ![]() 習志野一中、七中、二中の校歌を合わせて合計24年指導してきたことになる。普段は水面下に潜んでいるが校歌は私の音楽教師としての歴史を語っている。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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