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2010.06.11
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講談社「赤毛のアン」全10巻 訳:掛川恭子

アン・シリーズ10巻

 

新潮文庫「赤毛のアン」全10巻 訳:村岡花子

新潮文庫

 

『赤毛のアン』

今、新潮文庫の「村岡花子」と講談社文庫の「掛川恭子」の訳の読み比べをしています。

村岡花子訳は完訳ではなく、省略しているところがあるという噂があります。 

ネットで村岡訳はどこの箇所が抜けているのか検索してみましたが見つからず、私のように知りたいと思っている人が多いことがわかりました。

そこで今回、読み比べをしてみることにしました。

結論からいうと「アンの青春」「アンの愛情」「アンの夢の家」「炉辺荘のアン」「虹の谷のアン」関しては省略されている箇所はありませんでした。

他のアンの本に関してはまだ調べているところなのでわかり次第ここで書きたいと思います。

 

さて、これから「赤毛のアン」を読もうとしている方の中には誰の翻訳を読んだらいいのか悩んでいる方も多いと思います。

村岡訳は1950年代に訳されたものなので言葉使いや言い回しに少し古さがありますが、マリラのぶっきらぼうの話し方と女性に思いを寄せる男性の描写やプロポーズシーンなどロマンティックさに関しては村岡訳の方が上手だと感じました。

 

掛川役は現代風で読みやすく、村岡訳では少し直球ストレートな表現がやんわりと訳されています。特に子どもの話し方が年齢相応で読んでいてしっくりきます。

 

今日は「虹の谷にアン」の両者の訳の違いについて書いてみたいと思います。

☆ロマンティックなシーンについて。メレディス牧師がローズマリーの家に訪れる場面です。

掛川恭子訳 1999年訳 講談社文庫 P311

メレディス牧師とローズマリーはエレンがいることをまったく忘れてしまうことさえあった。ふたりの話や選んだ歌が、ほんのわずかでもエレンにとって男と女の火遊びに思えるような方向に傾くと、エレンはたちまちその傾きをつぼみのうちに摘み取って、それからあとずっと、ロースマリーを抹殺してしまうのだ。それでもどんなに恐ろしいドラゴンでも気がいいドラゴンなら、他人が目や微笑にそれとなく思いを込めたり、黙っていることで多くを語ったりするのをやめさせるわけもいかないものだ。そういう、ことでメレディス牧師のローズマリーに対する気持ちもまがりなりにも進行していった。

 

村岡花子 1959年訳 新潮文庫 P293

時として二人はエレンの存在をまったく忘れることもあった。ところが、二人の話や二重奏で選ぶ曲がほんの少しでも親しすぎるを思うときは、エレンはその芽を摘み取るかのように、たちまち話を自分の方に向けて邪魔をして、その後はずっと、ローズマリーをすっかり追いやってしまうのだ。しかし、エレンがどんな冷酷なお目付け役であっても根は優しいので、二人は交わす目配せや微笑、沈黙にこめた思いまでを妨げることはできるものではなかった。そのような交流を重ねて、牧師はローズマリーへの自分の気持ちをようにか伝えていった。

 

村岡花子訳には「ドラゴン」という表現ではなく「お目付け役」と訳されており日本人には自然に受け入れやすい訳になっております。実際には掛川訳のように「ドラゴン」とモンゴメリは書いているのかもしれませんね。(*^_^*)

 

☆やんわりと表現しているシーンについて。

「虹の谷のアン」

掛川恭子訳は日本のことを「異教徒の国」 村岡訳は「野蛮な国」と訳しています。

原文を読んでみないと真相はわかりようもないのですが、モンゴメリは「野蛮な国」とかいていたのでしょうか?真相はどうでも掛川さんの「異教徒の国」の方がやんわりしていいですね。(~_~;)

 

☆やんわりシーン その2

デイビス婦人がメレディス牧師に腹を立てながら牧師の子どもたちに悪態をついて帰ってゆく場面。

村岡花子訳 新潮文庫 P200

「あんたたちのお父さんは馬鹿者ですよ。それに、あんたたち三人みたいな悪たれは、ぐうの音も出ないほど鞭で打たれればいいんですよ」

「ちがうわ、お父さんはそんなんじゃない」フェイスが叫ぶと、男の子たちも「僕たちだって、ちがうもん」と続けた。けれども、デイビス婦人はもう立ち去ってしまった。「なんだよ、気でも狂ってんじゃないの!それに悪たれってなんのことだよ」ジェリーが言った。

 

掛川訳 P214

「おまえたちのお父さんは大ばかです」デイビスの奥さんはいった。「それにおまえたちのような害虫は、徹底的に、鞭でひっぱたいてやらなくてはなりません」

「ちがうもーん」フェイスがお父さんはかばって叫んだ。「ちがうよーだ」男の子たちは自分のことをいった。けれどデイビスおくさんは行ってしまったあとだった。

 

掛川訳には村岡のようなアンダーラインを引いた箇所がありません。

もともと無い物なのか、削除したのか、付け足したのかわかりません。これも原文を読まないと真相はわかりませんね。

 

☆ナゾの表現

フェイスが口が悪い金持ちのノーマン・ダグラスに援助願いに行ったシーン。

 

村岡花子 新潮文庫 P232

「これから、あなたと見るたびに、しかめ面してやるから。アタシが後ろにいる時には、用心しなさい。お父さんは、悪魔の絵のある本をもっていらっしゃるから、あたし、家へ帰ったらすぐ、その下にあんたの名前をかいてやるから。あんたは吸血鬼だ。疥癬でも持ったらいいでしょう

フェイスは吸血鬼が何やら、また、疥癬がどういうものだか、知らなかったが・・・・・・(続く)

 

掛川恭子 講談社文庫 P248

「これからは、おじさんに会うたびに、あっかんベーしてやるわ。これからわたしに背中を向けたらどうなるか、気をつけた方がいいわ。お父さんの書斎にある本に悪魔が載っているから、家に帰ったら、その絵の下に、おじさんの名前を書いてやる。おじさんなんて、吸血鬼よ!そろばんずくのけちんぼよ!」

フェイスは吸血鬼というのがなんだか知らなかったし、そろばんずくのけちんぼというのがなんだかも知らなかった。

 

・・・・・「疥癬」と「そろばんずくのけちんぼ」 原文はどうなっているんでしょうか?

どっちにしろ「???」となる表現です。。。(~_~;)

 

『虹の谷のアン」に関してはこのような違いですかね。

 

ざっと数冊アンシリーズを読んでみましたが、第1巻の「赤毛のアン」でマシューが無くなったあとのマリラとアンの会話が村岡花子さんは省略されていたようですね。

2008年に赤毛のアンは100周年となりました。

そこで村岡さんの娘さんの村岡美枝さんが欠落していた部分を翻訳し改訂版として新たに新潮文庫から出版されました。

掛川訳に劣らず、村岡花子訳もほぼ完訳であるのではないかと思われます。

 

私はあえてどちらの訳が好きとはいいません。

好みは人それぞれなのでネットでの好き嫌い情報は慎重にしたい為、あえて書きませんね。

日本語は英語より表現する単語が多く繊細な言葉なんです。

訳者によってちがう表現が楽しめることは英語を母国語としない日本人の特権であると思います。

 

これからも、海外文学の読み比べを楽しみたいと思いますハート(手書き)

  

 

 

 

 

 






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Last updated  2010.06.11 23:24:46
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