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カテゴリ:herald
改めて、正式バージョン第一弾。。。
母はかなりのど田舎にあった、とある廃村の出身だ。 いや、正確には母が生まれた時点でその村は既になかったので、祖母がその村の出身なのだが、、 そこには他の村にはない、風変わりな特徴がいくつかあり、あたしも少なからずその影響を受けて育ったといえる。 いわく、元々は時の権力者の為に存在した出雲の国にいた人たちを、幕府が東にもそういうのがほしいってんで、半分ほど引き抜いてきたとか、 いわく、明治になるまでは、ほとんどの人がその村の存在すら知らなかったとか、、 母からはそんな話しを断片的に聞かされ、幼い頃にはその村に伝わる風習があたしの日課となっていた。 村にまつわる事柄の真偽や存在理由など、詳しいことはよくわからない。 おそらくは母も、祖母や叔母達に聞かされたことを受け売りであたしに話して聞かせ、 自らが受けた教えを同じようにあたしに施しただけなのだろう。 なんとなく秘密めいてるし、あたしのルーツでもある場所なので、少なからずその村に興味はあるのだが、、 祖母が母を生んで数年後に亡くなっているので、当然あたしが生まれた時点ではこの世におらず、話しのディティールを確認する術がない。。 大叔母(祖母の妹)は、あたしが中学生のときまで存命で、幼くして親と死別したあたしの母の育ての親であり、村の風習や歴史を母に教えたのも彼女だ。 そして彼女の娘2人、あたしにとっては叔母さん、あたしの母にとっては姉妹同然の従姉妹は、どちらも若くして亡くなっているため、 母は大叔母にとって、たったひとり残った娘同然の存在だった。 今にして思えば、彼女にもっと詳しく話しを聞いておくべきだったのだが、遠方に住んでいるため頻繁に会うわけにもいかず、 あたしが物心ついた頃には病気がちで伏せっており、更には多少認知も進み、話しの内容は確実性に欠けていた。 ただ、あたしがまだ小学生の頃に一度だけ、母親が実家(既に村はないので大叔母の家)に里帰りしたとき、 母を含め家の人がみんなで買い物に出かけ、病床の彼女と、当時杖なしでは歩けなかったあたしの二人で留守番をしたことがあった。 8月の暑い昼下がり、枕元にある洗面器でタオルを湿らせ、時折彼女の汗を拭くことと、喉が渇いたら冷蔵庫の麦茶を飲ませることを言いつかったのだが、、 大叔母はそれはいいから話しをしようと、あたしに座布団を敷いて自分の布団の隣に寝転がるよう言った。 当時は大怪我とその原因となった出来事、リハビリの苦痛で、あたしはネガティブで妙に醒めたイヤなガキだった。 しかしその分、利発で鋭く、大人の会話の行間も読み取れて、知識の量を除けば傲慢になった今よりも人の心理を理解する能力に長けていたように思う。 しかしそんなあたしでも、大叔母の意図は理解できなかった。 彼女は母があたしになにをしているか、そしてその結果を聞き、さめざめと泣き出した。。 当惑したあたしは、彼女に言葉をかけることができず、 ただ、みんなが帰ってきたときにおばあちゃんがまだ泣いていたら怒られるんじゃないかと気が気ではなかった。 しかし彼女は、 「ごめんねぇ、ごめんねぇ、、」 と何度か繰り返し、すぐに泣くのをやめ、 「りっちゃんは大きくなったらなんになりたいの?」 と、あからさまに話題を変えた。 大叔母が本当はなにを知り、なにを言いたかったのか、、 あたしがそれを知るのは高校生になってからのことだった。。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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