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あたしは物心ついたときから、母に連れられて様々なお稽古事を習いに行った。
バレエ、水泳、体操に新体操、 ピアノ、バイオリン、お琴、、 脚を骨折して、リハビリで死ぬ思いをしている間も、 習字、お絵描き、英会話、 なんとか膝が曲がって床に座れるようになるとすかさずお茶にお花と、 母は年端もいかない愛娘に容赦なく習い事を受けさせた。。 大抵のことはそつなくこなせた。 覚えが人一倍早く、どの先生もあたしを誉めそやしたのを覚えている。 さらにいうと、最初は意識的にセーブして、たまにはわざと失敗などをして見せ、先生の指導のあとには上手くできました的な演出もしてみせた。 そしてどの習い事も始めて1ヶ月を過ぎた頃からは本気モードで真剣に頑張って、始めて半年、1年の年上の子たちをあっさりと抜き去っていった。。 しかしどれもこれも半年も続けずにやめてしまった。 同じ繰り返しで飽きちゃうというのもあるが、それ以上に大人の先生がガキであるあたしがやめるのを本気で残念がるのが楽しかったのだ。 上手いだのよくできましただの、いくら誉めようがちやほやしようが、しょせんは親の金と、優秀なお嬢様の生徒がいる教室という宣伝効果を継続したいがための下心に過ぎない。 それを失う先生の慌てっぷり、引きつった表情での必死の引き止め、それが叶わないと理解したときの落胆具合、、 大人の打算が小さい子供に過ぎないあたしの気まぐれで崩壊するのは痛快だった。 だれがオマエの思い通りになんかなってやるもんか、ざまあみろ! そんな屈折したカタルシスを得るために、やりたくもない習い事を半年間続けるというのを繰り返していた。 ホント、、イヤなガキだ。。。 そんなあたしを母は叱るでもたしなめるでもなく、やめてしばらくするとまた違う習い事をあたしに当てがい、、粛々と送り迎えを繰り返した。 最高では週に6つ、曜日によっては1日に3箇所を車でぶっ飛ばして習い事のハシゴをしてたこともある。 考えてみれば恵まれた環境ではあった。 どれかひとつでも素直に続けていれば、それなりにものになっていたかもしれない。 しかしすべては後の祭り、習った内容の大半は忘れてしまい、現時点で人に自慢できることといえば、ロンダードからのバック転がキレイにできることくらいだw また母はあたしが幼い頃から、毎朝どんな夢を見たかを聞いてきた。 曖昧な答えや、夢を忘れたというのは許されなかった。 いわゆる仕事で大事なホウレンソウの要領で、5w1hを事細かに述べさせられ、小学生になってからは自分で詳細に記録をつけるよう教えられた。 リビドーやらアーキタイプやら、占い並みに科学的根拠に乏しい古典的な心理学がもてはやされた20世紀初頭ならいざしらず、 夢の内容にはなんら意味がないことが大脳生理学的にほぼ判明している現代において、夢日記を書く価値がどれだけあるのか甚だ疑問に感じるのだが、、 染みついた習慣というのはなかなかやめられないもので、日記帳からPCに記録メディアは変わったものの、夢日記は今でも継続して綴られているw そんなこんなで、今のクソ生意気な小娘のあたしからは自分自身でも既に想像できない遠い過去w 小さい頃のあたしは周囲から天才だ神童だと散々もてはやされたもんだ。 また同時に生来の意地の悪さと相まって、疎外やイジメの対象にもなってきた。。 ではあたしは本当に天才なのかというと、実際は頭の働きがそれほど優秀というワケでもなく、 ていうか集中してないときはむしろ天然だし、ボケ~っとしてることが多いw じゃあなんでそんなに色んなことが短期間で人並み以上にできるんだ? と問われると説明に窮するのだが、、 それはまた、この次に書いてみることにしよう。。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
Last updated
Sep 20, 2009 08:35:17 PM
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