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梨 緒

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 ハオー@ ひとりだとお?^^ FFまだ終わりません。
 梨 緒@ 過去は 過去です。 悔やんでも変えられないモノ…
 梨 緒@ そそ! すべては奇跡、 もう世の中奇跡の塊だよ…
 ひげぱわー@ だから 当たり前と思って適当に生きてきた過去を…
 春斗1129@ そらそうですよ!! つかさ~今この世に存在してる時点で奇跡…
 梨 緒@ ふふ、、 ありがと☆ でも、ふたつ間違ってる点が…
 梨 緒@ まあね、 でもやっぱ彼には感謝してるんだ☆ イヤ…
 春斗1129@ いつ読んでも 心臓縮まるわぁ~(泣) でも~あたし…
 春斗1129@ ぶううううううううw くたばりやがれですなw
 梨 緒@ 鋭い、、 切様って、、 やっぱ慧眼の持ち主ですよ…

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カテゴリ:shadowy past
何度か以前にもちらほらと書いたコトあるけど、あたしは子供の頃、脚に大けがを負った。

そこらへんを書いてみようと思う。。。
とりあえず最初にひとこと、、、長いよw


まず、なんでそんな大けがしたのかいうと、
小学校に入って間もなく、親戚の家の2階の窓から庭へ落下したのがその原因だw

落ちたところにちょうど庭石があり、右の脚をぶつけて大腿骨を複雑骨折。
膝と骨盤も折れてしまったのだ。

ついでに右手の小指が折れて、右の頬骨には小さい穴があいていたのだが、それらは大したコトもなく、微かな傷あとは残ったがすぐに完治した。。


しかし脚の骨折はかなり酷いもので、治るまでには相当な期間を要した、、

2年生の2学期までの1年間以上は車椅子での生活。
それ以降も、3年生の最初の頃までは松葉杖。
ようやく普通の杖1本だけになっても、右脚には金属の付いたすごいギブスというかコルセットというか、そんな補助器具がはめられたまま。。
調子の良いときに補助器具と杖なしでなんとか数分程度歩けるようになったのが4年生のときだった。。


小さいあたしにとって3年以上続いたリハビリはかなりキツいものだった。
曲がらないヒザに体重を支えることのできない脚。
普通の人なら普通にできる歩行訓練や屈伸運動が、そのまま拷問のようだった。。

毎日毎日、棒につかまって、一歩20cmもないような歩幅でほんの数歩歩いてはこけ、立ち上がってまた歩き、、
それが終わると、曲がらない膝でしゃがんで立つ練習。
あまりの激痛にできないと泣き叫ぶと、ベッドに寝かされ、数人の大人にはがいじめにされて、強引にかかとがお尻にくっつくまで膝を曲げられた。

いったい何度病院に行きたくないと泣いたかわからない、、
でもリハビリをやめてしまうと、膝が曲がらなくなって一生まともに歩けなくなるので、親もそれだけは決して許してくれなかった。。


そういやあの頃は毎日死にたいとずっと思ってたな~、、
子供だったから、具体的に自殺するって発想はなかったけど、
なにか隕石みたいのが落ちてきて直撃するとか、
ビルが倒れてきて下敷きになるとか、
あたしの周りだけ地面が陥没して地底にまっさかさまに落ちていくとか、、
あり得ないような、痛くなくてラクな死に方ばっか考えてたっけw

ママも一人のときにこっそりとよく泣いていた。。
気丈な彼女のそんな姿を見るたび、子供心にすまない気持ちでいっぱいになって、あたしも部屋にこもって泣いたもんだ。。


いかん、、すっかりクラい話しになっちまった、、(汗)

そんなこんなで、、ようやく足を引きずらずに普通に歩けるようになった小4のときからは急激に回復しだした。
あいかわらずリハビリはキツかったが、6年のときには軽くなら走れるようになり、中3のときには運動会の競走で1着になり、高校時代は陸上部の短距離の子よりも足が速かった。


今でも痩せ型女子としては規格外の強靭な足腰と腕力をほこるうえにかなりの俊足で、しかも痛みにはめっぽう強い。

そんなあたしを見て、
「運動やってた? それも格闘技かなんか」
と聞かれるコトがたまにある。

「いやいや~、運動どころか子供の頃は車椅子の生活してたことがありますよ~」
と言うとみんなびっくりするのだが、
おそらくは並の男性より発達してるであろう体幹筋肉と痛みへの耐性は、過酷なリハビリで培われたものだろう。


ちなみに、意外とウブなクセに家ではかなりの裸族だったり、他人に裸見られるのもわりと平気だったりするのも、
長期間にわたってシモの世話を人にしてもらわなければならなかったコトに起因してるんじゃないかと自分では推測しているw

え? そりゃちがうって? そ、、そうですか、、(笑)



でも、こんな話しを懐かしい思い出として書けるのも実は奇跡的なコトだったりする。。

なんせ大腿骨は遊離して皮膚から飛び出す寸前までいってたし、骨盤はポキっと折れて内側へひしゃげ、膝は半月板やら十字筋やら色々と断裂してた。。

そこらへんをプレートやボルトで固定しいの、筋や血管も縫い合わせえので、状態としては割れたガラスをガムテープでとりあえず補修しときました~、、
ってのにほぼ近いというか、子供心にも、こんなの治るのか? って感じさせるほどにボロボロだった。

骨の内部には免疫機構がないので、繋がる前に菌が骨髄に入って感染するとなかなか治らず、何度も手術することになり、それでも治らなければ最終的には切断しなくちゃならない。。
そうならなかったのがまず奇跡といっていいほどの重傷だったのだ。


後から聞いた話しだが、担当医は両親に、最悪の場合は脚を切断しなければならない。
うまくいけば杖を使って歩けるようにはなるだろうが、完全に回復する見込みは1割もない。
まして走ったり運動したりは絶望的なのであきらめてください。
と言ってたらしい。。


今は寒い日にシクシク痛む程度で、そんなときも一人心の中で、年寄りくさっ、、と笑えるようにもなった。

つかまあ、それよりなにより、頭から落ちて死ななかった時点で奇跡っつうか超ラッキーだよなw

ホント、あたしの強運と回復力と日々の素晴らしい行いに、、
って冗談はおいといてw

丈夫に生んでくれた両親と、あの絶望的な状況から最後まで治るコト以外は考えずに治療に尽力してくれて、ゼッタイにあきらめるなと何度も厳しく優しく励ましてくれた先生に感謝しなくちゃいけないな。。。


そして、、なぜあたしが窓から落ちたのか、、
それはとても長くなるので、書く機会があればまた書いてみよう。。。


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Last updated  Nov 11, 2009 12:13:48 PM
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