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カテゴリ:shadowy past
結局、窓から落ちたときの音でさすがに下にいた親たちも気付き、あたしは庭で倒れているところを発見され、救急車で病院に運ばれた。。
姉とはその後、何度か会ったが、 あたしの怪我が姉のせいだという記憶が戻ってからは一度も会っていない。。 記憶がないというのはちょっと不思議な感覚で、姉の部屋から落ちたコトも、普段から虐待されてたコトもわかってるのに、 姉に殺されかけて窓から落とされたところだけが抜け落ちてて、この2つの事柄を繋げるコトができなかった。 記憶が急に戻ったのは中3の3学期のとき、、 長年かかっていた整形外科の先生に、膝になにか障害が出ないかぎり、もう定期的な検診も来なくていいと言われて数日後のコトだった。。 おそらく怪我が完治したコトで、記憶を封印しておく必要がなくなったと無意識が判断したんだろうけど、、 実際にはかなりのショックで、その後、軽いパニック症状にも何度かみまわれた。。 確かに姉には虐待を受けてきたし、とても好きだなんていえない、、 でも家庭の事情で離れ離れになってるけど、彼女は半分は同じ血を受け継いだ、この世にただ一人の実の姉なんだ。 その姉があたしを殺していたかもしれないという事実がどうしても受け入れられなかった。。 客観的にみれば、どう考えても姉が悪いし、したことは決して人として許される行為じゃない。 頭ではわかってるのに、このコトを考え出すと、 姉はなぜあんなコトをしてしまったんだろう? なにかあたしの方に原因はなかっただろうか? と、自分を責めてしまい、どんどん気分が鬱になっていった。。 夜は眠れず、食事もほとんど喉を通らない状態で、 進む高校は決まってたけど、入学早々不登校が続き、小学校入学以来ずっと学年トップだった成績もガタ落ちになり、夏休みは家から一度も出ずに引きこもっていた。。 特に、今までは治っただけでも奇跡なんだから感謝しなくちゃいけないと、前向きに考えて特に気に留めなかった脚と頬、それと指の傷痕が、 生理的にどうしても耐えられなくなり、発作的に包丁で削り落とそうとして母親に止められるというコトが一度あった。 包丁を取り上げられた後もあたしは気が狂ったように泣き叫び、この傷を取りたいと、延々と訴えつづけた。。 その日の夜、父が帰ってきてから部屋に呼ばれ、そんなに悩んでいるんだったら傷痕は治した方がいい。 今なら安全で綺麗に治せる方法もあるだろうし、一緒に医者に行こうと言われた。 今までかかってた整形外科の先生と両親、カウンセラーの先生も交えて相談して、 身長も止まっていたので特に支障はないということになり、形成外科を紹介してもらって傷痕を治すことになった。。 頬と指の傷はそんなに大きなもんじゃないし、常に外に出てる場所だから、元からなるべく跡が残らないように処置してくれていた。 だからこれを治すのはわりと軽いもんだったけど、脚の傷はかなりの広範囲を切開してたんで、けっこう大変だった。。 まるでマンガの魚の骨みたいというか地図の電車の路線みたいというか、 そんな縫い傷が3カ所、一番長いのは20cm以上あり、身体も成長してるので、幅もかなり広がっていた。。 ソレを傷痕に沿ってきれいにレーザーメスで切り取り、縫うとまた同じなんで絆創膏で固定して、ずれないように安静にしておく必要もあったりで、1週間の入院治療になった。。 現金なもんで、傷を治してからは元気を取り戻し、2学期の中頃には学校を休むコトもなくなり、成績も元に戻った。。 手術跡は紫外線を浴びると黒く変色するので、最初は毎日強力な日焼け止めを塗ったり、極力スカートは避けてパンツを履いたり、 切り取った分は引っ張って貼り合わせてるワケで、皮膚がつっぱる感覚が常にあったりと、結構デメリットや手間もあった。 それに傷痕は完全に消えたワケでじゃない。 今も右の太股と右の頬にはうっすらと細い筋が残ってるし、小指はよく見るとなんだか一旦ちぎれたのをつなぎ直したような感じだ。。 太股の傷は深いので、残った筋に爪を立てると傷に沿ってビリビリと電気が走るように痺れる。。 でも、逆にそういう手間や皮膚感覚が、傷が治ったのではなく、自分で治したんだという実感を常に得るためのアイテムになってる気もするんだ。。 相談したときにいたカウンセラーの先生が言った言葉は、正直印象に残ってないけど、 長年あたしのリハビリを看てきた整形外科の先生が言ってくれた言葉は今でも鮮明に脳裏によみがえる。。 「今から言うとくけど、傷は完全に消えるワケやない。綺麗にはなるけど多少は残るよ。しかし、それは問題やない。りっちゃん、君が自分の意志で傷を消したいと思って、それを実行するのが大事なんや。多少傷が残っても、それを見て、ああそんなことがあったな~と懐かしがるくらいになりなさい。君はあれだけつらいリハビリを頑張ってこれたんや。それぐらいは簡単にできるはずや」 今は病院が変わられて会う機会もないけど、なにか落ち込むことがあるたび、あのときの先生の言葉を思い出す。 脚の傷痕をなぜて、これに耐えれたんだ! と思えばなんとか頑張れるんだ。 その後、姉は歳を重ねるごとに奇行が増えていき、今では精神科への入退院を繰り返すようになってしまったと聞く。。 そしてあたしは、お風呂に入ってるとき、ときたま太股の傷を見て姉のことを思い出す。。 今は25歳のはずだ、、 でもあたしの中では最後に会った19歳のままなので、 姉といいつつ、あたしの頭の中ではとうとう同い年になってしまった(この文執筆時)。。 とても綺麗な人だったので、今は大人になってもっと綺麗になっているのか、それとも精神を病んでいるので、やつれて幽霊みたいになっているのか、、 夢に出てくる姉は子供の頃のままなので知るよしもない。。。 現実にもう一度姉と会うコトがあるかどうかわからないが、、 彼女はあのときのことを、今はどう捉えているのか、、 ソレが気がかりではある。。 あの頃のまま、あたしを人とも思わず、まったく反省もしていないのなら、それはそれでいい。。 でも、もし罪の意識に苛まれ、それが原因で今のような状態になってしまったのだとしたら、、 恨んでいないといえば嘘になるけど、、 あたしはもうあの頃を振り向かないで前に向かって進んでいます。 だからあなたも、これからのコトを見て人生を歩んでほしい。 きっとうまくは言えないと思うけど、ソレだけは伝えたい。。 長いわっ! このコトを詳細に思い起こしたのは久しぶりだ。。 ま~悲惨といえば悲惨な過去です。 でもどんな過去だって、糧にするか毒にするかは今の自分だから、 このことのおかげで、小娘にしては意外に根性あるヤツになれたと思えば、感謝しなくちゃね。 てことで、ケガと姉の話しはこれでおしまい。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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