2010/10/28(木)00:36
犬伏さんの思い出
あっしのペンネーム?の 「64ユニ」は、
中田でも石橋さんでもなく先々代背番号64、
犬伏稔昌さんからとったものだ。
今日、ライオンズのブルペン捕手だった犬伏さんと
来季契約が結ばれないというニュースが出ていた。
このニュースに色々と思う所はあるが、あえて書く事は避けようと思う。
むしろもう機会はあまりないと思うので、
あっしの個人的な犬伏さんの思い出について触れておこうと思う。
最近のファンの方はご存じないと思うが、
犬伏さんは1991年から2005年までライオンズに在籍した選手だ。
異様なほどの「左投手キラー」で、
好投している左投手に対して犬伏さんが代打で出ると、
相手チームが慌てて投手を交代するほどだった。
あっしが犬伏さんのファンになったきっかけは、2002年の札幌開幕。なんとなく作った応援ボード、開幕第2戦での活躍、
自然と、ゆるやかに、犬伏ファンになっていた。犬伏さんの代名詞である代打逆転サヨナラ3ラン(2002年6月20日)は、
球場ではなく井の頭線の渋谷駅前でラジオで聴いていた。電車に乗ると中継が聴こえなくなってしまうので、
駅前の閉まった宝くじ売り場に寄りかかり、じっと中継を聞いていた。
まるで変質者だ。
見事に犬伏さんがサヨナラホームランを打った直後、
喜びで号泣し叫びながら、
手から血が流れるまで宝くじ売り場を殴打し続けた。
幸い、通報はされずに済んだ。
2004年のプレーオフの犠牲フライは、現地の福岡ドームで観ていた。豊田が9回にまさかの失点を喫し、
さらにサヨナラ優勝で負けるところを何とか乗り切る。
(ちなみにこのとき9ユニは試合を直視できず、トイレで塞いでいたとか!)10回表に先頭の小関が2ベース、代走高波、赤田が送りバント。
ホセ敬遠で、1アウト13塁。
投手は左の三瀬で、柴田に代打犬伏 (覚えてるなあ)。投手三瀬の時点で、犬伏に打席が回るとは思っていた。
10回はずっと、「猛犬注意」の横断幕を握り締めていた。
だが、こんなチャンスで出番が回ってくるとは・・・・
ファンであるあっしの想いは、なんと「ゲッツーだけは打ってくれるな」。
全然信用していない・・・今思い出しても最悪だ。
時刻はジャスト 10:00 PM。
福岡チャンステーマのイントロが流れる中、初球をセンターへ犠牲フライ。
高波タッチアップから勝ち越しのホームイン。
これが決勝点となり、ライオンズは優勝する。
高波のホームインが間に合ったところまでは見ていた。
「いけーーー!」と叫んだはずだ。
そこから記憶が飛ぶ。
周囲の応援仲間が言うには、
コンクリの床にうつぶせに丸くなって号泣していたらしい。
当時の録画を見ると、「猛犬注意」の横断幕は
あっしがもっていた左端がハラリと落ちている。
気がついたときは、10回表は終わっていた。
「ピッチャー・石井貴」はちゃんと驚いた。
優勝決定後、9ユニと「猛犬注意」の横断幕を持って
レフトスタンド前でファンに挨拶する選手に見せるため
福岡ドームの外野席を駆け降りた。
ガッツポーズを目いっぱい見せると、
犬伏さんは同じガッツポーズで返してくれた。
このあっしに!!
犬伏さんの引退は、山手線の車内で携帯で知った。
おそらく、という覚悟はしていたのであまりショックはなかった。
ただ、もうあの左殺しは観れないのか、と思うとシンミリと悲しくなった。
その後、特定の選手の大ファン!にはなっていない。
犬伏さんは引き続きライオンズにスタッフとして残ったし、
急に他の選手に乗り換える気にもならなかった。
だが、特定の選手の大ファンになり、
選手と悲喜を共にする経験は本当によいものだ。
特に10代~20代のファンは、ぜひ特定の選手にのめりこんで欲しい。
一生の思い出になるはずだ。
今年の夏、あの上本のサヨナラ3ランの直後、
9ユニの奴が分かりやすく壊れていたらしい。
それを聞いて、正直、ちょっとうらやましいと思った。
犬伏さんがライオンズを卒業した今日は、
あっしもライオンズファンとして、別の選手のファンとして、
新しい応援に踏み出すべき日なのかもしれない。