カテゴリ:0歳時代・回想録
退院後は実家でしばらく(2ヶ月以上がしばらくかよ!)マンツーマンで母から育児を教えてもらっていました。
歳のせいもあるし傷も痛いしで、産後のひだちは最悪! 一ヶ月検診まではほとんど寝たきり。(そんなぐーたらな人いるのかなぁ…) それに、私はおっぱいの出が悪くて、でもなんとか母乳をあげたくて、母の知り合いのつてを頼って麗子先生(広尾にある「母乳といえば誰もが知っている大病院」で長年婦長さんを務めていらした、とってもチャーミングな助産婦さん。定年退職された後は、大変な思いをしている若いママたちのためにボランティアをして下さっているすごーい志の高い素晴らしいお方♪)に毎日マッサージに来て頂いて少しでも母乳を…にかける日々でもありました。 母乳をあげられないということは、精神的にも肉体的にも(がんばるからさきっぽが傷になっちゃって)かなり辛くて母は「あなたはおっぱいのことだけがんばればいいから」と励ましてくれてもいました。 (結局、すぐ出なくなっちゃったんですけど、おかげさまでやるだけやった!という達成感は残りました。早い時期に母乳はダメになっちゃったけど、悔いはないです!) そういう訳ですることといえば、約三時間おきのミルクとおむつがえだけで実家の家事はほとんど母に任せっきり。りーたんのお風呂でさえも母に担当してもらっていました。 (多分みんなびっくりすんだろうなぁ…。うちは沐浴は一切しなかったんです!いきなり大湯というか湯船ですよ!湯船!後々、おっぱいのマッサージをボランティアでしにきて下さった助産婦の先生もびっくり!してました。ホントは浴槽についているバイ菌の問題もあるから、一ヶ月くらいはダメなんだって。それが原因で病気になる新生児もいるらしい。 くわばら、くわばら。しかし、何食わぬ顔で 「毎日念を入れてキレイに掃除してるから大丈夫よ!」 と豪語するうちの母はかなり豪快だよね…。) 当時の育児日記を紐解くと、きっちーり授乳時間とミルクの量、うんちをした時間が書いてあります。(そーとー暇だった!?それとも記入することに命を燃やしていたのか!?) ミルクの量に至っては、一週間のトータル量まで出してある。 結構な神経質っぷりです。 睡眠時間が取れずつらい日には、夜中のお世話を母にお願いしていたのですが、その時のミルクの量やら何やらも 「絶対メモしてね!」 なんてやっていました。 でもってサイクルが崩れると、前の記録をチェックしてどーだ、こーだと理屈をつけ、やっと納得する…。 なんていう余裕のなさ! 相手は生まれたばかりの「赤ちゃん」とはいえ、「人間」なわけだし、毎日ロボットみたいに規則正しくなくて当たり前なんだだけど、当時はそんなこと全然分からなかった。 「何が悪くていつも通りのサイクルにならないんだろ??」 と、はんこで押したような毎日をりーたんに要求していた気がします。 これってもちろん性格もあるんだけど、いろんなママを見てきている麗子先生によると 「あなたみたいにプライドを持って仕事をしてきている人ほど育児ノイローゼになりやすいのよ。育児にも向き、不向きがあるのよね。」 とのこと。 私は約15年仕事をしてきたのですが、会社自体、日本初の女性役員を出したり、女性が定年まで第一線で仕事をしていける雰囲気のあるところでした。一般職なのに総合職と肩を並べて同じ内容・重さの仕事もしていたこともあります。 けっこうロイアリティも持っていたし、確かにプライドも持っていましたが、それが育児にはマイナスになるなんて…!? でも、今思えば、私に限っていえばまったくその通りでした。 まじでけっこう悩んだりしましたもん。 母の言っていることに疑いを持って、 「そんなの古いんじゃないの?」とか 最新の育児事情を調べて反論したりね。 ママ、ほんとにすみませんでした。産後のぷち反抗期ということでどうかお許しください…。 麗子先生の言う育児に向くってどういうことなんだろ?と考えていた矢先に「母親業が天職」と絶賛されている方のことを偶然本で読みました。 それがびっくりなことに会社にいた時にお世話になっていた大好きなM先輩だったんです! 容姿端麗でいつもにこやか、お客様にはとことん優しく(これが偽善者のそれじゃないんだな、まったく)先輩、同期、後輩にもいつも思いやりを持って接する…私にとっての憧れの存在でした。 その本には先輩のことを「母親業が天職かと思うほど育児に一生懸命で、子供に対しては全く腹が立たないらしいです。いつか保育園を開きたいと言っているくらい」と書いてありました。 「なるほど、あーいう内面から明るくほがらかで献身的な人が育児には向いてるんだ~。じゃ私がどうがんばってもダメじゃん」 と思いましたが、逆になんだかホッとできました。だって、どう逆立ちしたって憧れのM先輩のようにはなれないし、今更突然育児向きな人に生まれ変わるなんて所詮無理な話! なんだか明るく開き直れちゃいました。 でも心底悟れたのはまだまだ先の話。 「ダメならダメなりにがんばればいい…もっとリラックスして自分を追い詰めないようにしないとりーたんが可哀想じゃない!」 そう自然に思えるようになるまでには、半年くらいかかったように思います。 実家にいた期間(0~2ヶ月)は、りーたんも泣くことが多くてあやしても反応が乏しいので、ただただ機械的に世話をして、たったそれだけなのに大変ぶっていた時期でした。 家でりーたんとふたりっきりになったら、どんなに大変になるかということもこのころには全く分かっていませんでした。 うーん、ホントめでたかった。 ふぉっ、ふぉっ、ふぉっ。おぬしまだまだですな。 母の助けもあったことだし、今までの育児を振り返るとこの時期が一番楽ちんでした…。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2004年05月28日 23時00分53秒
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