2015/03/02(月)12:41
ヨシュア20章・大患難の前に大いなるバビロンから逃げてくる人をどのように扱えますか
ヨシュア20章・大患難の前に大いなるバビロンから逃げてくる人をどのように扱えますか ヨシュア20章は、昔モーセの律法下で、誤って人を殺してしまった人が、避難都市に逃げたことを示しています。過去の避難都市の取決めは大いなるバビロンから逃げてくる人をどのように扱うかに関して洞察を与えます。(啓示6:15,16;18:4) 聖書は、北でもない南でもない国々を「日の出の方」と言っているようです。そして、その地域は、大患難後も存在しています。(ダニエル8:9;11:44) 「日の出の方」とは東アジアを中心にした諸国家かもしれません。(民数記3:38)また、「北」も大患難後に存在しています。(ダニエル11:44) 昔、殺された人の親族と考えられる「血の復しゅう者」が意図的な殺人者を殺すことが許されていました。(民数記35:19-21) それで、将来、南の王に対して北の王は、「血の復しゅう者」の役割を果たすことになるのでしょう。北の王の軍勢は、南の王の土地と、南の側につく国家の土地に対して、総攻撃を加えます。それは三度にわたりますが、一度目と三度目は北の王が成功します。(ダニエル11:25,40-42) 南の王と共に軍事行動をとることが習慣になっていれば、北の王と南の王の抗争の時、南の王と共に戦うことになるでしょう。そうすると、そこは、北の王に敗北することになります。(ダニエル40:41,42) しかし、大患難の前に、神の民のコミュニティが主に日の出の国の山間部に、またおそらく北の王の山間地にも存在しているでしょう。(ダニエル11:45) 昔のモーセの律法の取決めでは、避難都市に逃れてきた意図せずに人を殺してしまった人を血の復しゅう者に引き渡してはいけないことになっていました。(ヨシュア20:5)
(refugecity7 )避難都市ヘブロン―意図せず人を殺した人が血の復しゅう者から逃げることのできる避難都市が定められていました―北の王から逃げる避難所が存在する必要があります 昔の避難都市の取決めを考えるならば、神の民は大いなるバビロンから逃げてくる人々を受け入れて、それらの人々が北の王の軍勢によって命を失わないように取り計らうことが求められていると思います。 しかし、昔の避難都市の取決めでは、昔、避難都市に逃げた人は、後で、いわば裁判にかけられて調べられたようです。(ヨシュア20:6。民数記35:24) それで、現代でも、大患難の時に大いなるバビロンから逃げてきた人についてふさわしい時に事情をよく調べて、流血の罪とりわけ神の民に対する流血が意図的に行われていなかったか調べ、流血の罪があるなら、コミュニティに受け入れるのを拒絶するでしょう。 しかし、大いなるバビロンに属する人は、流血の罪を犯すなら、血の復しゅう者の北の王に手に陥る可能性があることを覚えておくべきです。 大いなるバビロンと共に流血に罪にあずかることによる結果を考えるならば、大いなるバビロンと共にその罪にあずからないように早くそこから出ることが賢明であることを示していると思います。(啓示18:4)
Aero Icarus (losangels4)大いなるバビロンに属する人はできるだけ早くそこから逃れるようにお勧めします
北の王の側に立つのではなく、南の王について軍事行動を行なうこともしない日の出の国家が存在することが必要です。 大いなるバビロンの人々は、他の国家が自国と共に軍事行動をしないのは、不満に思うかもしれませんが、日の出の国が多くなった方が、自分たちの逃れる場所が増えることを覚えておかれるようにお勧めします。