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カテゴリ:うつ病と自殺その他の精神病
聖書は苦難の時に自殺するのではなくエホバ神に助けを叫び求め続けるように勧めている (1)自殺に関する聖書の見方 聖書の中では、また、自殺をした人は、神に不忠実になったサウル王やイエスを裏切ったイスカリオテのユダなどですから、自殺は望ましくないことだとされています。(サムエル第一31:4,5。マタイ27:3-5)さらに、聖書の中で、「命の源」はエホバ神で、命はエホバ神からいただく貴重なものです。(詩編36:9) 0saul king death 神に不忠実なサウルは自殺をした これは自殺が望ましくないことを示している 0judas iscariot イエスを裏切ったイスカリオテのユダも自殺をした 自殺が望ましくない事として聖書は描いている 人の命を奪うことを神は是認されません。(創世記9:5,6)ですから、当然、自分の命を故意に終わらせることを神は是認されません。 リベカは息子のエサウが異教の娘をめとったことがストレスになり、ヤコブまで、異教の娘をめとったらどうなるだろうかと心配しました。それで生きていくのがいやになりました。(創世記27:46)でも、リベカはそれで自殺をするのではなく、また、黙っていることもありませんでした。夫のイサクにその気持ちを何度も説明しました。イサクは、対策を取って問題は解決しました。 ですから、悩みを配偶者や知り合いに言うことは問題の解決になるかもしれません。 ヨブは、生きているのがいやになったと言ったことがありました。(ヨブ10:1)彼は、あまりにも自分の生活に災いが次々と起きすぎて、しかも、三人の友人たちから、隠された罪があるのだろうと指摘されたからです。 でも、ヨブは、自殺をするのではなく、自分の状況をエホバに訴えました。その結果、エホバ神は、ヨブに答えて話をされ、ヨブに実際的な助けを差し伸べられました。ヨブは最後には祝福され、災いが起きた前より、物質的にも恵まれ、再び大勢の子供たちにも恵まれました。ヨブのエホバ神に対する信仰は、自分の感情に対処する助けになりました。 ヨブは苦しみに直面して自殺するのではなく自分の言い分をエホバ神に訴えてエホバから助けられた しかし、日本にはそうしたキリスト教的な考え方は伝統的にありませんでした。そのため、物事がうまくいかないとすぐに落胆して、その苦しみを終わらせてしまうという傾向があります。また、目に見えない神を信じてはいないので、苦しい状況になると、孤立無援に感じ、すぐに絶望してしまいます。 物事に対処をするのではなくて、すぐに、自分が責任をとって死んで、それによって問題を終わらせるという考え方があります。しかし、失敗の責任をとって死んでも、そこにある問題は解決されずに依然として残るでしょう。生きて対処をしていき問題を解決していく方が賢明でしょう。 (2)聖書はある場合は敵国に降伏することを勧めクリスチャンには殺人を認めなかった 聖書は崇拝に関してはすべての物の創造者エホバを崇拝するように命じています。そして、政府に従うことを勧めていますが、人間の支配者を崇拝することは禁じています。 (ローマ13:1。出エジプト20:4,5) 0bright sun 自然界を含め万物を創造されたエホバ神だけがわたしたちの崇拝にふさわしい 聖書の中で、預言者は、ある場合は、敵国と戦って自国を防衛することを勧めたこともありました。しかし、ある場合は、軍事強国と最後まで戦って死ぬのではなく、降伏して「生き続け」ることを勧めました。(エレミヤ27:12,13)そして、敵国に降伏した方が、国土が焼かれて荒廃することを免れ、生き続けられると王に助言したことがありました。(エレミヤ38:17,18) 0jeremiah warned the destruction 預言者は世界強国と戦うのではなく降伏して生き続けるよう勧めたこともあった イエスも戦って敗北するよりも、敵国と和平することを勧めました。(ルカ14:31,32) さらに、クリスチャンは、エホバ神を愛し従い、隣人を愛するのであれば、剣をとって戦い「殺人」することを絶対に避ける必要があります。(マタイ22:37-39。啓示21:8)悔い改めずに殺人を行い続ける者は、「第二の死」を受けます。つまり、復活がないということです。 また、戦時中の特攻隊も、実質は、自殺テロだと言えると思います。特攻隊は、日本が太平洋戦争中に敗北が続き戦争に負けそうになった時に、苦し紛れに取られた戦法です。いさぎよく負けを認めて降伏するのではなく、戦って死んだ方が美しいという儒教の考えの影響がやはりあったのではないかと思います。 特攻隊で死んだ若者が生きて、戦後、日本のために働いてくれていた方が日本の発展のために貢献したでしょう。命の無駄遣いでした。貴重な才能と資産を失ってしまいました。 0kamikaze pilots 特攻隊で死んだ若者たちが生きて日本のために働いた方が日本にとって良かったでしょう (3)創造者はご自分に従って命を落とすとしても再創造してくださることを約束してくださっている もちろん、聖書は神を崇拝し従うためには、命を捨てることになっても、政府や国家への崇拝を避けることも勧めています。つまり、命を失っても、神にしがって愛を実践したり、殺人を避けることの方が勝っていると教えています。 つまり、殺人を絶対避けるために、政府から処刑されることになったとしても、聖書の神に従うようにと勧めています。 イエスは次のように言われました。「体を殺しても魂を殺すことのできない者たちを恐れてはなりません。むしろ,魂も体も共にゲヘナで滅ぼすことのできる方を恐れなさい。」(マタイ10:28) 聖書の神エホバは、わたしたちを滅ぼすことも、死んだわたしたちを再創造することはしないようにすることによって、わたしたちの存在を歴史から抹殺することもできます。それは、ゲヘナで滅ぼすということを意味します。 反対に、神に従って命が失われるとしても復活があります。(啓示20:4)でも、命が危険になっても、神に従うということは自殺することではありません。危うい局面をエホバ神は助けてくださるかもしれません。そのような意味で、命を危険にさらすことを聖書は認めてはいますが、自分で故意に命を捨てることは認めていません。 聖書は、将来、天に霊者として復活する場合と、地上に人間として復活する場合があることを示しています。(コリント第一15:42-29)エホバ神は死んだ人と同じ人を無から再創造してくださるのです。同じ人格と記憶を持つ人を再創造されるので、同じ人物です。 そして、神からいただいた貴重な命を故意に奪うことは、自分の命であっても、神に受け入れられません。聖書は、神に不忠実になった人が自殺をしたことを述べています。 (4)生きている限りあきらめないで神に助けを祈り求め対策を講じるように聖書は勧めている 生きている限り、あきらめないで神に助けを祈り求めるように勧めているのですから、聖書は自殺することを勧めてはいません。 詩編は、このように述べています。「わたしは苦難の中にあってエホバを呼び求め,わたしの神に助けを求めて叫びつづけた。すると,その神殿からわたしの声をお聞きになり,み前で助けを求めるわたしの叫びが,ついにその耳に入った。」(詩編18:6) 0prayer20 聖書は苦難に遭う時あきらめて自殺するよう勧めずエホバ神に助けを叫び求め続けるように勧めている 愛ある全能の神エホバに助けを求めましょう さきほど説明しましたが、リベカもゆううつの理由があった時、エホバ神に祈ったに違いありません。そして、対処をして問題は解決しました。ヨブもエホバ神に自分の状況を訴え、結局エホバの答えを聞き、エホバの助けを得ました。ふたりとも、苦難に信仰をもって対処しました。 それで、わたしたちは苦難の中にあってエホバ神に助けを求め叫び続けましょう。神が存在されるという信仰を持ってあきらめることなく、助けを求めていきましょう。そして、エホバ神が苦しい状況を打開するために教えてくださる知恵は、なんでも実行していきましょう。 何かの策がうまくいかなくても、さらに、エホバ神に相談して、次の策を行いましょう。そして、五番目、六番目の策を行い続けましょう。生きている限り、対策を講じていきましょう。 わたしたちは孤立無援なのではなく、私たちを謙遜に顧みてくださる方エホバ神が存在します。ですから、貴重な命を捨てて自殺するのではなくキリストの贖いの犠牲に基づいて、罪の許しを願い求めつつ、神に依り頼みましょう。
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