啓示17章-新・大娼婦が座る緋色の野獣は何を表わすか(22)捕らわれになる洞察力のある者の中に不忠実な者も忠実な者も含まれる
啓示17章-新・大娼婦が座る緋色の野獣は何を表わすか(22)捕らわれになる洞察力のある者の中に不忠実な者も忠実な者も含まれる 緋色の野獣は、北の王が据える「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」と同じです。(ダニエル11:31。啓示17:13)なぜなら、北の王は、「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」を据えると同時期に、キリスト教徒たちを軍事攻撃し、聖なる所を荒廃させます。(ダニエル11:31)緋色の野獣は荒廃をもたらす嫌悪すべきもの そして、啓示の書によると、大娼婦は、聖なる者たちとイエスの証人たちの血に酔っています。(啓示17:6)その上に大娼婦が座っている緋色の野獣は、クリスチャンたちを攻撃する点で、大娼婦とほとんど同じことをすると考えられます。それで、緋色の野獣は、「荒廃をもたらす嫌悪すべきもの」と実体が同じです。バビロンは聖なる者と預言者の血に酔う緋色の野獣は大娼婦が座っているので同じことをする そして北の王と緋色の野獣は、軍事攻撃を生き残った者たちを捕まえて、捕虜にして米国に連れて行きます。(啓示11:7,8)そのようなことを経験するクリスチャンの中には、最初は神に忠実だったものの、不忠実になったクリスチャンも、また、忠実なクリスチャンも含まれているでしょう。 これは、まさに昔エルサレムがバビロンによって攻撃された時の状況に酷似しています。昔、エルサレムがバビロンによって軍事攻撃を受けた時にも、命を失ったのは邪悪な者だけでなく、神の律法を守る義なる者も含まれていました。(エゼキエル21:3,4)また、不忠実な者たちだけでなく、忠実な者たちも捕らわれになりました。(ダニエル1:1,3,6)(1)どのように事態が進展するのか 啓示13章では、北の王は、「野獣の像」を設立することになります。(啓示13:14,15)北の王が緋色の野獣を設立するのは、キリスト教の本拠地に対して軍事攻撃するのとほとんど同時期です。 二人の証人は、「底知れぬ深みから上る野獣」と戦って殺されます。(啓示11:7)「底知れぬ深みから上る野獣」とは、緋色の野獣です。(啓示11:7;17:8)その時には、北の王は、「子羊のような二本の角」を持つ野獣なのですから、外見はキリスト教の様相を呈しています。(啓示13:11) ダニエルの預言でも、北の王が「自分の父たちの神に何の考慮も払わない」ことが預言されています。(ダニエル11:37)そして、背教したキリスト教に「考慮を払う」ことが預言されています。(ダニエル11:30,32)すなわち、北の王はキリスト教に改宗して、自分の父が崇拝していたイスラム教を考慮しないことになっています。(2)神に対する忠実さからそらされてしまうクリスチャンたちが存在する ダニエル書には、「洞察力のある者たち」が、「多くの者に理解を分かつ」ことが預言されています。そのように他の人々に聖書の理解を分かつこと自体は決して悪い事ではありません。悪い事どころか、神のご意志にかなっています。しかし、「彼らは、剣と炎により,捕らわれと強奪とによって幾日かのあいだ必ずつまずきに渡される」と預言されています。(ダニエル11:33)忠実なクリスチャンも戦火を経験することが預言されている それで、効果的に行動し、多くの者に聖書の理解を分かつクリスチャンたちの中に、剣と捕らわれを経験するクリスチャンたちがいます。 しかし、別の記事で述べたように、そのようにするクリスチャンたちの中に、剣をとって戦う、つまり、クリスチャンとして背教してしまうクリスチャンが存在しています。そのために、ダニエルの預言の中には、剣と捕らわれを経験するという預言の後に、「洞察力のある者たちの中にもつまずかされる者がいる。それらの者のゆえに精錬を行ない,清めを行ない,白くすることを行なうため」であると記されています。(ダニエル11:35)それで、精錬と清めが必要なので、そうしたことが生じるようです。(ダニエル11:35)クリスチャンであるにもかかわらず剣をとって戦う者が存在するゆえに清めと精錬が起こる(3)つまずくとは災いによって文字通りに倒れて滅びることや信仰において倒れること つまずくとは何を意味するのでしょうか。つまずくとは「災い」を経験することを意味しています。さらに、「倒れる」ことや「滅びる」ことも意味しえます。(エレミヤ6:15;8:12。イザヤ8:15。箴言24:16,17。レビ26:36-37)また、つまずくとは信仰において倒れることも意味しえます。(ローマ14:21) ですから、「洞察力がある者たち」の中には、最初は神に是認される神の律法を守る立場にありながら、間違った論議に惑わされて「つまずかされる」たちもいるようです。(ダニエル11:35。エゼキエル33:12,13)American prisoners captured by the Wehrmacht in the Ardennes in December 1944…Bundesarchiv, Bild 183-J28589 / CC-BY-SA 3.0信仰においてつまづいた一部の洞察力のあるクリスチャンたちも捕らわれを経験する しかし、やはり、義なる者が惑わされて神の律法を堅持する立場を保たないならば、信仰において倒れる、つまり、忠実の道からそれて神の是認を失ってしまい、不幸なことに災いを経験しえます。(エゼキエル3:20;18:24;33:13)(4)捕らわれを経験する者たちの中には神に忠実なクリスチャンも含まれる 捕らわれになって連れて行かれ、命を失うクリスチャンはすべてが不忠実になって兵士として戦ったクリスチャンだけではないでしょう。その中には、忠実に神の律法に固く付いて兵士として戦うことを避けていながら、捕らわれとなって連れていかれるクリスチャンも存在することでしょう。 それは、昔エルサレムがその全体的な罪のために軍事的な攻撃を受けた時に、義なる者も邪悪な者も共に巻き込まれて命を失う結果になったからです。(エゼキエル21:3,4)ですから、捕らわれとなって連れていかれた忠実なクリスチャンの中には、命を失うクリスチャンも含まれるでしょう。 聖書は、義なる者が義なることを語ることをいやがって口をふさごうとして迫害する人々がいることを述べています。(イザヤ29:11)そうした忠実な者たちの血は神にとって貴重なものとなります。(詩編116:15)神に従うという純粋な理由で、命を失ったからです。 啓示の書には、証しのために命を失ったクリスチャンたちに、白い衣が与えられるという記述があります。(啓示6:9-11)神の律法を守りつつ、証しを行なって迫害によって命を失い、神から義なる立場を持つとみなされるクリスチャンたちが存在するわけです。 神の律法を守っているクリスチャンを迫害し、その命を奪うならば、遅かれ早かれ神からの「血の復しゅう」を経験することになります。(啓示6:9-11)ですから、そのような神に忠実なクリスチャンの流された血が顕わになり、バビロンに二倍を返して復しゅうをするようにという叫びがあがることになるのでしょう。(啓示18:6)Publicity photograph taken on conscientious objectors at the work camp in Dyce, Scotland in 1916.宗教上の理由で戦わないクリスチャンの流された血は神からの復しゅうを招く ですから、クリスチャンが証しの業を行なう時、それに敬意を払いましょう。迫害するべきではありません。とりわけ、それらのクリスチャンが神の律法に忠実であれば、なおのことです。そうしたことを神の怒りを招きます。それらのクリスチャンに敬意を払いましょう。迫害するべきではありません。(5)二人の証人に神に忠実なクリスチャンが含まれる 私は現時点が二人の証人とは、ローマカトリック教会とギリシャ正教会のクリスチャンたちを表わしていると解釈しています。しかし、現在、ローマカトリック教会は、教会として、同性愛者の僧職者を受けて入れていて、はっきり聖書の律法から離れてしまっています。私は、そのような状態で、バプテスマを受けたとして、天的な希望を持っていることを表明しても、神から油注がれた者として受け入れられることはないと思います。 しかしながら、それらの僧職者の中でも、個々の僧職者たちは聖書の正しい理解に付き従っている僧職者たちが存在するでしょう。それは、啓示の書の七つの会衆の中に、どこでも神に忠実な天的クラスのクリスチャンが存在することを示しているからです。(啓示2:24;3:4)生ぬるいラオデキア会衆も悔い改めてイエスから薬を買うならば、征服してイエスの座に座る特権が与えられます。(啓示3:18,21) そうした忠実な者たちのゆえに、米国に捕らわれになっているクリスチャンたちに外部からクリスチャンが派遣され獄から解放されるよう少しの助けが差し伸べられるのでしょう。(啓示9:14,15。イザヤ43:14。ダニエル11:34) それで、神から非とされないようにクリスチャンを迫害しないようにしましょう。