カテゴリ:【ダンス関連】
こうしてサーファーズ・パラダイス、フリデリックストリート33番にあるフラットで、イギリス人のハワードとルイースとのシェア生活が始まることになった。
ハワードのフラットを金曜に見に行った時、私は条件を質問するなかで彼に「いつからなら入れる?」と聞いた。彼が「いつからでもいいよ」と答えたので、私は冗談半分で「今からでも良い?」というと、一瞬間を空けてから「もちろんさ!」と驚いたように答えたが、私は言いなおして「いやいや、明日からでお願いするよ」と言った。そして次の日の土曜の午後一番でゴードンのアパートから引っ越すことになった。ゴードンのフラットからはバスを使っても移動できたのだが、ハワードがルイースを迎えによこすと言い張るので、私は行為に甘んじることにした。ルイースは土日が休みらしい。 ゴードンは、私がハワードのフラットを決めたと彼に報告した後も、何とか私を引き止めようと、かなりの好条件を提示してきた。「電気代はいらないから」とか、「週に55ドルでどうだ?」とか、「じゃあ週55ドルで、電気代もいらない。ついでにボンドもいらないから」しまいには「好きなだけテレビを見ても良い。夜中でもかまわない」などと、ネイティブでもめったに得られない好条件を提示してきた。だが、逆に言うと、共同利用となるフラットの設備の使用に、安い家賃にかこつけて制限を受けないためにも、ある程度の額は払うのが得策だ。ゴードンはこういった交渉ごとに慣れていないらしく、条件を提示しては私が受けないことを何度か繰り返し、結局私を引き止められないことがわかると、交渉べたな自分を恥ずかしく思っているように照れ笑いを見せた。彼はしつこくはなかった。あきらめたように、「君のような静かなフラットメイトにはもう出会えないだろうな」と、ぼそっとつぶやいていた。私も同感だった。部屋にこもって必要以外まったく音をたてないフラットメイトなど、日本人以外にはいないだろうし、私以外のワーホリメーカーがここに好んで居つくとも思えなかった。 次の日、土曜の午後1時に、ルイースが私を迎えに来る予定なので、私は約束の時間より早く、昨日ハワードが私を拾った道路わきで彼女を待った。ゴードンとは玄関で別れの挨拶をした。彼は苦々しい顔で私を送り出したが、それは私に対してではなく、せっかく決まったと思ったフラットメイトが出て行ってしまうことへの気持ちをあらわしたものだった。たった一度だけ彼の気分を害した私だったが、それ以外では私は理想を超える良きフラットメイトだったに違いない。彼は私に「これからのオーストラリアでの滞在が上手くいくように」、と言ってくれ、静かに送り出してくれた。私は笑顔で彼の手を握り返したが、彼の顔を見るのもこれで最後かと思い、不謹慎ながらほっとしてしまった。 ルイースも欧米人だから、きっと時間通りには現れないだろうと思ってはいたが、しかし約束の時間を30分過ぎてもいっこうに現れる気配を見せない。私は昨日のハワードとの会話で自分が時間を聞き間違えたのかと心配になった。英語で早口に時間を告げられると、一瞬、数字に結びつかないことがある。私はいずれにせよここで待っているしかないなと思い、気長に待つことにして道端に座り込んだ。 ところが、ルイースは2時を過ぎてもまだやってこない。私はいよいよ不安になり、ハワードのフラットに電話しようかとも思ったが、公衆電話を探すためにここを離れたすきに彼女が来てしまうことを恐れ、結局動くことができなかった。 「まだ来ないのか?」 私は突然背後から声をかけられ、思わず飛び上がった。フラットのフェンス越しにゴードンが立っていた。私はきっとルイースが何か急用で遅れているから、ゴードンに電話して私にそのように伝えて欲しいと言ったに違いないと思った。 「電話でもあったの?」 私が聞くと、ゴードンはあっさり「無いよ」と答えた。私は唖然としてしまった。私は本当に何かとんでもない聞き間違いをしたのかもしれないと不安になった。もしかしたら、ハワードは私を迎えに来るなんて言わなかったのかもしれない。サーファーズまではバスで一本だから、そもそも迎えに来るほどの距離ではない。私は自分が待たされたことはどうでも良かったが、もし昨日の会話を聞き間違えて、本当はルイースがサーファーズのどこかで私を迎える予定だとしたら大変だと思った。私が彼女を待ちぼうけさせてしまったことになる。だが、それを確かめようもない今は、とりあえずここでもうしばらく待つしかなさそうだった。私はゴードンがなぜ電話もないのにここに来たのか不思議に思い聞いてみた。「いや、ちょっと心配になってね。しかしルーズなやつだ」彼はそう答えたが、私はそれを聞いて逆に不気味に感じた。本当なら、私は1時の迎えの車に乗ってとっくにサーファーズに行っているはずなのに、わざわざ2時過ぎに道路わきにたたずんでいる私の様子を見に来るだろうか。もしかしたら彼は遠目に私の様子をずっとうかがっていたのかもしれない。私を乗せた車が走り去るのを見届けて、自分はまた新しいフラットメイトを探さなければならないことをしっかりかみ締めようとでもしたのだろうか。 ゴードンは彼の所属しているキリスト教宗派のお祈りの言葉を言って、その場を後にした。意味は良くわからなかったが、なにか「君に幸あれ」、みたいなことだった。その時のお祈りの言葉とまったく同じものを、ハワードのフラットへ移ってから数ヵ月後のある日曜の午後に、とづぜんやってきてにこやかに小冊子を差し出す勧誘員から再び聞くことになるのだが。 結局、半ばバスで行くことを覚悟したころに、ルイースがベージュのフォードワゴンでさっそうと現れた。すでに3時近くだった。彼女は何事も無かったように満面の笑顔で私のスーツケースを積み込むのを手伝い、私に助手席に乗るように促した。私は何の屈託もないその姿を見て、てっきり1時と3時を聞き間違えたんだろうと思っていた。ところが、その夜にハワードから「ルイースのやることはまったく信じられない。君を迎えに行ったのは3時だって?2時間も遅れてきて君は何も感じなかったのか?」と言われ、私はてっきり3時の待ち合わせを1時と聞き間違えたんだろうと思っていたと言うと、「あいつのエアロビ狂いにも困ったものだ。今日も1時に君を迎えにいくはずが、どう考えてもそれに間に合うハズのないクラスに2つも出てからようやく君を迎えに行く気になったらしい」と聞かされた。結局私はハワードの話をしっかりと聞き取っており、つまり1時から2時間も待ちぼうけを食らったのは勘違いでもなんでもなかったのだ。だが、フラットに着いてから夕方ハワードが帰ってくるまで、ルイースは日本人で英語も満足に話せない私との会話をかなり楽しんでいて、それはネイティブとの会話の機会を欲してやまない私にはまたとない英会話実践の機会になったから、今日の彼女のことに関して私はまったく不愉快だと感じなかった。会話の途中で、彼女は自分の勤める語学学校のテキストを持ってきて、私の英語力がどれくらいかをテストしたり、わからない問題があると、先生になったように丁寧に教えてくれた。私はこんなフラットメイトを得られたことは奇跡だと思った。この調子なら、ここで1年も暮らせば相当な英語力が身につきそうだ。多くのワーホリメーカーが滞在期間中にさまざま都市に移り住むと聞いていたが、私は何が何でもここに居座るつもりになった。旅行者のようにどこに行ってもよそ者でいるより、一箇所にとどまって、私がオーストラリアのとあるフラットにいることを近所の誰も不思議に思わなくなるほど溶け込みたかった。そのチャンスがようやくめぐってきたことになる。私は出て行けといわれても行かないくらいの覚悟を決めていた(笑) お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
最終更新日
2005年08月16日 22時01分37秒
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