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ロンドン偏食生活・偏食通信

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偏食の嬢王様

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カテゴリ:偏食旅行記
Hadrianとはハドリアヌス帝のこと。

受験用に勉強していた頃は、「ローマ皇帝の一人」ぐらいの認識しかなく、
名前さえも「暴君ネロ」を覚えるのが精一杯で、

ハドリアヌスまで力が回らなかったが、
きっと世界史の教科書にはしっかり赤線が引かれていたことだろう。


ところが、ヨーロッパに来てみれば、
彼を知らないと恥ずかしいどころか

やばいレベルになっている。


私はイギリスに来たのであって、イタリアやフランスなど
大陸に来たのではない、などと突っ張っていられないほど、
ローマ帝国は今日のヨーロッパに深いつながりがある。


例えば、イングランドとスコットランドの間にある、
ヨーロッパ版「万里の長城」と言われる、ハドリアヌスの壁。


この壁はイングランドだけではなく、ドイツやフランスにも
張り巡らされている。

名前からハドリアヌス帝が作らせたのは明らかである。



彼は五賢帝の一人であり、彼の治世中にローマ帝国は最大の広さを誇った。

Hadrian2

今で言うと

イングランド、ウェールズ、フランス、ベルギー、オランダ、ドイツ、
スイス、イタリア、クロアチア、ボスニア、ヘルツェゴビナ、
ユーゴスラビア、ギリシャ、ルーマニア、ブルガリア、トルコ、
シリア、ヨルダン、イラン、イラク、レバノン、イスラエル、エジプト、
リビア、チュニジア、アルジェリア、モロッコ、スペイン、ポルトガル

の全部または一部を領土とした。


とはいえ、帝国全土に平和が行き渡っていたわけではなく、
特に、今のイスラエルに住むユダヤ人を迫害し、エルサレムを破壊し、

「シリアーパレスティナ」と名前を変え、エルサレムにすむユダヤ人を
難民化させたことは、2000年以上たった今でもまだ未解決の問題として
残っている。



ハドリアヌス帝は、今で言うスペインのコルドバ近くに生まれた。

父は役人だったが、その地方は当時、料理用や薬として珍重された
オリーブオイルの産地だったこともあり、豊かな生活をしていたらしい。

父の従兄弟であるトラヤヌス帝の姉の娘と結婚したことで
彼の人生は変わっていくが、トラヤヌス帝に子供がいなかったことが
一番大きなファクターだったろう。


ハドリアヌス自身も子供に恵まれず、養子をとることにしたが、
慎重なのか、心配性なのか2世代分の養子縁組をした。

さすが皇帝ともなれば、それだけ先のことも考えて
手を打っておくのだなぁと思う反面、


ほっとけばいいのに・・・



ほっておけなかったのは、その時代、男女を問わず、同性愛が
普通に行われていたからだろう。

ハドリアヌスにもアンティヌスという若いツバメがいた。

アンティヌスの死を悼んで建てたらしい像。
Hadrian3


最終日2日前に行った、大英博物館でのハドリアヌス帝展は、混んでいた。


更にその日に限って、大英博物館のネットが朝からダウンし、
とても原始的な方法で入場券が発券された。

Hadrian1

もちろん、現金のみのお支払い。
これで少なくない数の観光客らしき人々が脱落したおかげで、
思いがけず早く入場することが出来た。


というちょっといわくつきのハドリアヌス展。


その中でも特に混んでいたのが、BL(ボーイズ・ラブ)、
つまり男同士の性交をレリーフした銀のカップだった。

熱心にそのカップを研究するイギリス人善男善女を見て、
イギリスにもBLマンガの浸透する余地は多分にあると私は確信した。
腐女子多し?!



ハドリアヌス帝時代のローマはBLやゲイが比較的容認されていた時代で、
若い男の子は必ずといっていいほど年上の既婚男性の愛人となり、
女性との結婚を機に、彼は今度は若い男の恋人を持つほうになる。

「市民」と結婚している人妻に手を出す以外のご法度はなかった
というから、古代ローマ、太っ腹!



ハドリアヌスの銅像は世界に3つしか残っていない。

石像もそれほど多くないらしい。

そのうち2つの銅像と3種類の石像が展示されていたが、
中でも胸像が面白かった。

彼の耳たぶが少し丸まっていることに目をつけた学者が
ハドリアヌスは冠動脈疾患だった可能性が高いとしている。



帝国周辺まで視察すること4度、最後は別荘で62歳の生涯を閉じたが、
時代と職業を考えるとかなり健康で長寿だったのではないだろうか。


彼はその他にもパンテオンというドーム型の神殿を建てた。


現存するローマやパリのパンテオンだけではなく、

ブルガリアの首都ソフィアにも、
トルコのイスタンブールにも

ドームを持った大きな建物が残っている。

この大英博物館の中心も、作られたのはつい最近だが、
ハドリアヌス帝のドームである。

Hadrian4


それにしても、これだけの偉業を成し遂げたローマ皇帝でさえ、
日本の片田舎に住む女子高生にしてみれば「One of them」
でしかないなんて、歴史に名を残すことの、なんと大変なことか。



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Last updated  2008/12/31 10:12:30 PM
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