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テーマ:今日の出来事(292626)
カテゴリ:北京
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17年前の今日も月曜日・・・その日・・・ です。 いっとき日が陰ったが・・・ 1時間も経たないうちに、またもや 強烈な陽射しが部屋に入ってきた(~`~) 暑”い・・・(~`~) 壊れたエアコンが恨めしい~~~(~`~) この時間34度だそうだが ピークは35度を超えたかも・・・ そうなると北京はもっと暑いだろ・・・と あちらの絵を見ると・・・何と23度・・・ 何事が起きたのかと思うような涼しさである そう言えばと・・・アルバムを見てみると 17年前の今日も月曜日・・・(^@^) その日初めての中国行きで北京にいた(~`~) 40歳を前にした年。7月第1週の金曜日・・・ 長年の懸案だった中国語会話の勉強を始めた 仕事以外の時間の殆どすべてを費やしていた 芝居と日舞を活動の中心から外し 余程の場合の手伝いだけとした そして1年後・・・93年7月17日・・・ 学習の成果を試すと言う口実で 中国初上陸である(~`~) 勿論成果はNG ・・・(^@^) 全く聴き取れない(^@^) それから17年・・・年数の割に 語学力の進歩はないが・・・ それでも会話が成立するようになり 気楽なひとり旅を重ねて行く内・・・ 北京は奥地に入るための通過都市 経由地の一つとなってしまった・・・(~`~) この当時でも朝陽区を初め三環路の外は 開発が始まり埃っぽかったが キンキラビルが建ち並び 落ち着いた街並が消えた町に 何の魅力も感じなくなり 北京離れが始まったのは 2000年頃だったろうか・・・ IMG_0060 posted by (C)りゅうLONG この1993年は・・・ 梅原龍三郎の北京が残っていた 最後の年だったのかもしれない(~`~) さて・・・そんな北京の顔といえば故宮・・・ 日本の城に登れば眼下に町の全景を 一望できるが、故宮ではちょっとした 高台に上がっても故宮内に有る建物の 屋根しか見えなかった 溥儀が下界の様子に疎かったというのは 納得出来る話である そう言えば後に名君と称される康熙帝も 当初は市井の事には全く無知だったが 側室の話からお忍びで 市井を徘徊するようになり 初めて、民人の飢えや暮らしの実情を知り 倒れかかった清朝を立て直した という話がある 何時の時代でも為政者と市民の乖離は 両者に不幸をもたらし 市井の聲に耳を傾ける為政者は 両者に幸いをもたらすという話であろう(~`~) さて17年・・・ 時の過ぎるのは早いものである(~`~) にほんブログ村 にほんブログ村 内モンゴル&チベット鉄道 ディレクターズカットニューバージョン 310枚はこちらから・・・・(^@^) CIMG5543A posted by (C)りゅうLONG CIMG6554A posted by (C)りゅうLONG CIMG8073A posted by (C)りゅうLONG CIMG0200A posted by (C)りゅうLONG お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
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