なぜ。斎藤哲夫を尊敬するかというと
なぎらさんのこの本には、哲夫ちゃんのことがくわしく書いてある、とにかく。この本はおもしろい。斎藤哲夫/GOLDEN J-POP/THE BEST 斉藤哲夫1.バイバイ グッドバイ サラバイ 2.今日から昨日へ 3.ねえ君 4.吉祥寺 5.グッド・タイム・ミュージック 6.ハローハロー 7.MR.幻某氏 8.あんたのあの娘に 9.ランランラン 10.さんま焼けたか 11.夜空のロックンローラー 12.僕の古い友達 13.まさこ 14.ヘイ!ドクター 15.思い出のレター 16.旅に寄せて 17.Good Night Mr.Moonlight 18.ラブ・ソング人の歌を歌わないひらがな初期たくろうが「されど私の人生」を、歌い、ヒットし、斎藤哲夫は複雑な思いであった。当初は本人の確認がなく、「うたわれちゃってさー」という感じでしかし、印税が入ると「たすかったんだー」となる.「吉祥寺]この歌もいいですね。彼らがフォークをし吉田拓郎という、流星のような人が現れて初期フォークたちは、アンダーグランド扱いになり、コアなファンがその町のライブハウスに集うようになり。学生たちも多いその町で、ライブを細々と続ける。今の君は ピカピカに光って~この歌が、作詞糸井重里の企画もののあのミノルタのカメラの宣伝。この歌が哲夫氏の、ポップな感じがよかったせいであるが本人は、悩む。自分を応援してくれていたファンを裏切るような歌を、やってしまった。悩み多き者よこの歌が、小田さんのお気に入り2006年のクリ役で、僕は衝撃を受けた。彼の中からあふれる。リアリティ。聞けばどんどん売れなくなり、CDも出せなくなり自主制作でだすも、苦労の連続。夜警のアルバイトとか、運転手とかしながら。音楽を止めずに、音楽をやりとおす。彼の中で、音楽は稼ぐ道具ではなく音楽は生きる道具であるのだ。かっこいいのである。小田さんは、オフコース時代に彼の歌をカバーし、ライブLPに収録。そして30年を経て、また、ライブで・・。小田さんの中では、彼の生き方が感動に値するのであろう。おそらく、ずっと、気にしていたのだ。斉藤哲夫(さいとうてつお、男性、1950年4月4日 - )は、東京都出身のフォークシンガー・シンガーソングライター。明治学院大学卒業。アマチュア時代から、あがた森魚、野澤享司、鈴木慶一、はちみつぱいらと親交を深める。URC から早川義夫プロデュースの「悩み多き物よ」でデビュー。その後ファーストアルバム『君は英雄なんかじゃない』を発表する。“悩み多きものよ”“されど私の人生”が URC 時代の代表的作品。1973年CBSソニー から『バイバイ・グッドバイ・サラバイ』、1974年『グッドタイム・ミュージック』1975年『僕の古い友達』など3作品をリリース。野澤享司のことを歌った、“野澤君”などの楽曲がある。あがた 森魚(あがた もりお、1948年9月12日 - )は、日本のフォークシンガー、シンガーソングライター、俳優。所属事務所はビーボ。本名山縣森雄。上京後、斉藤哲夫、野澤享司、鈴木慶一らと親交を深め、中津川フォークジャンボリーにあがた森魚と蜂蜜ぱいとして参加。春一番コンサートにも同様の組み合わせで参加。林静一の同名漫画を題材とした「赤色エレジー」が話題になりベルウッド初のヒットシングルに(セールス50万枚)。彼は、悩む、落ち込む。この歌を歌うことで過去をおもいおこすだろう。曲のイメージがわかなくなり大麻に手を出し、逮捕される。そして、彼は今も歌う。いまのキミはピカピカに光って