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夜空の星を眺めて・・・

(ゼロ歳から保育園まで)

(お誕生から、保育園まで)

息子が生まれたのは、6月。翌年の3月31日まで『育児休暇』を取った。産休は、誰もが取るが、当時『育児休暇』は、すべての人が取るわけではなかった。でも、私は、「制度」があるなら、使うべきだと考えていたし、先輩の教員の中には、

「私たちの頃には、そんなものなかったわ。それにあったとしても、取らなかった。。。」

と言う人も居たが、私は気にしなかった。

娘の時には、実家で出産して、1ヶ月は実家に世話になった。
当時、夫は、実家の近くの定時制高校に勤務していたから、都合も良かったし。夫にとっては、最悪の1ヶ月間だっただろうけど(苦笑)
私には、初めてのお産で疲れを取るには、最高の環境だった。

息子の時は、前にも書いたように、妹と出産時期が重なって、とても、母に甘えることはできなかった。
しょうがなく、こちらの病院で出産して、そのまま夫の家で。
義母は、悪い人ではないけど、気がきかず。。。
産後の私の神経を、かなり疲れさせてくれた(苦笑)
近所の人は、無神経で、、、田舎にはよくあることだが。

私が疲れて寝ていても、どかどかと、家に上がってきては、息子の顔を見にくる人も。。。
これには、正直、参ってしまった。

産後の肥立ちも悪く、最悪の数ヶ月間だった。

でも、息子は、元気よくすくすくと育っていった。
お乳の飲みっぷりも、良かった。
あまりに良いので、間に合わなく、結局、数ヵ月後にはミルクも足さなくてはならなかった。

お乳をあげながら、ちっちゃな足をなでてあげるのが私は好きで、よく、足をくすぐったりしたわ。
気になることは、あまり無かった。
強いて言えば、泣き声が凄く「ハスキー」だったのね。
赤ん坊にしては、ガラガラ声と言うか。。。
気管が弱いのかしら?と少し心配した。

教科書どおりの発育だったような気がする。
ハイハイの時期が長かったかしら?

その、ハイハイ。
普通は、足も、動くのに、うちの息子は、腕の力だけで動いているような感じだったわ。家族は、皆、笑っていた。
それが影響しているのか、良い肩をしていて、スポーツテストのボール投げは、距離がかなり出る(笑)

息子が10ヶ月で、私は職場に復帰した。

娘とは4歳離れていて、職場に復帰後、「じじ・ばば」は大変な思いをしたと思う。夫の方針で、保育園には預けないと言っていたから、幼稚園前の娘とゼロ歳の息子の世話は、大変だっただろう。
娘は、家で遊ぶのが好きだったから、あまり外には出なかったようだが、息子は、とにかく外が好きで。。。
実家に買ってもらった、乳母車に乗せて、近所を回っていさえすれば、ご機嫌だったようだ。

「じじ・ばば」は、農業をやっていたから、子守をしながらの作業、結構、乳母車に乗せたまま放っておかれたこともあるのではないだろうか。。。

ま、それはいいとして。

1枚の写真がある。
乳母車に娘と息子が乗っている写真。
娘は、もう、乳母車に乗るには大きいんだけれど、弟と一緒に乗って、にんまりしているの。息子は、顔の部分だけしか出ていなくてね。

あ~~、こんな時期もあったのね。

二人の面倒を家で、「じじ・ばば」が見るのは、大変だってことで、3歳から、息子は保育園に行くことになる。
「じじ・ばば」が言うには、本人が「行きたい、行きたい」と頼んだとか?
本当かどうかは分からない。

後になって、
「俺、そんなに行きたがったのか?」と息子が言う。
息子は、保育園の印象が悪いのか?
寂しい思いをしたのか?

そんな事ないと思うけどなぁ。

保育園の入園式の写真がある。
保護者の中に白髪の女性が。。。
うちの、「ばば」だ。
私は、仕事を休むことなく、息子の入園式を欠席した。
「ばば」は、早くに白髪になってしまったので、若いお母さんたちに混じって1人だけ、目だっていた。

今思うと、仕事休んで行ってあげればよかったかなぁ、、、

だって、息子の顔、1人だけ、「ぶそ~~~~」っとしているんだもの。
幼心に、「どうして、僕は、お母さんが来ないの?」って思っていたかもしれない。。。

保育園に入ってからは、元気よく、生活していたようだったが、送り迎えは、すべて「じじ」の仕事だった。
延長して、預かってくれなかったからだ。
フルタイムで働いていると、とても、その時間は無理だった。

「じじ・ばば」には、本当に二人とも世話になったのよねぇ。
感謝、感謝。






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