(小学校低学年)[小学校時代(低学年)]小学校の入学式。 今でも覚えている。 私は、こともあろうに、欠席しようとしたからだ。 息子が小学校へあがる年、私は、勤める学校の1年生の担任をすることになっていた。 今思えば、ちゃんと考えて、管理職と相談すれば良かったのに。 後悔しても、始まらないが。 一番大事な、小学校入学。 親子共々、初めてのことだから、いろいろ神経を使う。 なのに、私ったら、仕事を優先させようとしていた。 教頭に相談した。 『あのぉ。息子の小学校の入学式と、私の担任する1年生の入学式が重なってしまうのですが。入学式を欠席させていただいて、息子の方に参加させてもらってもよろしいでしょうか?』 答えが返ってくるまで、どきどきした。 『Sachikoさん。それは、おめでとうございます。息子さんの小学校入学式は、一生に一度のこと。職場の1年生担任は、何回もあること。息子さんの方へ行ってあげなさい。副担に任せておけばいい。ベテランの先生だし。』 正直ホットした。 だめだ!!って言われると思ったからだ。 実際、「だめだよ」と言う管理職もいるし。 理解ある管理職でよかった(ほっ) 翌日、職場では、 『Sachikoさんのクラスの副担のH先生。入学式の呼名、間違いだらけだったわよ』と言われ、ちょっと嫌な気がした。 息子が1年生にあがったとき、娘が同じ小学校の5年生だった。 が、二人目とは、言え、やっぱり緊張した。 ちゃんと学校へ行ってくれるだろうか。。。と。 最初は、結構スムーズに行けた。 幼稚園からのお友だちも多いし。 体も大きい方だったし、片道20分の道のりを、おねえちゃんと一緒の登校班で、元気に通った。 1年生の後半だったか。 突然、学校へ行きたがらなくなった。 今だに理由は分からない。 本人自身も分からなかったのだろう。 いろいろな事が重なって。 今思うと、きっかけは、算数の「つまずき」だったと思う。 私は、自分が担任しているクラスに夢中で、息子のことはあまり面倒みてなかった。 だから、学校からの宿題もやっていたのか、いなかったのか。 忘れ物があるのか、ないのか。 分かっていなかった。 熱心な母親ではなかった。 息子は当時のことを克明に覚えてはいないだろうが、それでも、断片的には覚えていると思う。 最初、泣いている息子を無理やり連れていった。 でも、泣いて飛んで帰ってくるのだ。 夫と相談した。 不登校のことは、職業柄勉強をしていたが、実際に自分の子供がそうなるなんて、思ってもいなかったし。 どういう風に対処していいのか、子供によって違うし。 夫は決心した。 息子がちゃんと登校するまで、職場に遅刻していくことを。 でも、結果的には、それも効果なし。 約3週間、1~2時間遅刻をしての勤務だったが、それも限界があった。 止む無く、普通に出勤に戻した。 夫婦で、毎晩、話をした。 何が悪かったのか。 これからどうしていくのか。 そして、結論。 学校がすべてじゃないし。 少し様子を見ようじゃないかと。 そして、私たちは普通に出勤するようになり、あとは、「じじ」にお願いした。息子が行きたいっていう時間に、小学校まで連れて言ってもらうように頼んだ。 快く引き受けてくれた。孫を心配する祖父の気持ちは、やっぱり、親と同じくらいのものがあるんだなぁって思った。 担任の先生とは、連絡を密にして、いくことに決めた。 そのときの担任の言葉に、どれだけ救われたか・・・ 『Sachikoさん。息子さんは一時的なものだと思いますよ。結構あるんです。1年生のうちは。そのうち元気に登校して、「あの子、1年生のとき、不登校だったの!!」って言われるくらいになりますよ』と。 私はその言葉を信じて、待つことにした。 でも、そういう時って、悪いことが重なるもの。 2つの出来事が。。。 また、次回、書きます。長い文章を読んでいただいて、ありがとうございます。 |