神様の創造-6【神様の創造-6】 『神様は完全無欠?』 ここまでお話してきましたが、不思議なことに気がつきませんか? 例えば、ノアはなぜ箱船をつくって動物の種を助けたのか? 旧約聖書では「神が人間を滅ぼそうとされて、大雨を40日40夜降らされて大洪水を起された」と 書かれています。 せっかく、人間を創っておきながら、それを滅ぼそうとしたのはなぜでしょうか? もしも神様が絶対的な存在であるなら、人間ごとき微小な存在に怒ることが不思議です。 悪をしていることが許せないならば、文明以後の人間の横暴と暴虐と残忍さは、その時を遥かに 凌駕しています。20世紀には戦争の犠牲者数は1億人をこえました。 それでも、まだ人間は神様に滅ぼされていません。 では、人間は神様に見捨てられたのでしょうか? 私はそうは思いません。 神様には多くの種類があったのでしょう。 つまり、神様にもピンからキリまであったと言ったら、失礼でしょうか? 人間を滅ぼそうとしたのは、キリの神様だったのでしょう。 そう考えれば、合点がいきます。 ギリシャの神様は、とても人間的な存在として書かれています。 天の支配者として名高いゼウスは、父・コロノスを殺し、父が飲み込んでいた兄弟姉妹を助けました。 正義を愛し、誓いを守ることを求めましたが、浮気者で多くの愛人がいました。 人間にもピンからキリまでいるのは、創られた神様がそうであったからでしょうか? それとも、神様がそうであってほしいと願う人間の気持ちが、神様を作ったのでしょうか? もし、そうであるなら、「神様を作ったのは人間である」ということになります。 神様にはいろいろいると考えることは楽しいですね。 いままでは、完全無欠の絶対的な存在と信じてきたのですから。 神様にもそのような存在もいれば、落ちこぼれの神様がいても面白いですね。 もちろん宗教では、信仰の対象としての神様が、落ちこぼれとは言えないでしょうね。 なぜ、こんな馬鹿げたことをお話するのかというと、読者の固まった思考を揺さぶる意図があるのです。 信じたことが現実を創造します。信じたことが変化しないなら、現実は変化しません。 ですから、自分が真実と信じていたら、それを信じている間は、あなたの人生はこれ以上の変化は 起こらないでしょう。それで、いつも自分の思考を壊す必要があるのです。 壊すことができれば、必要な新しい思考を採用でき、新しい人生が始まります。 鏡なしでは自分のまつ毛が見えないように、自分を客観的に見ることは至難です。 いま人類は閉塞状態にあります。 人類の文明は、7000年前のメソポタミア文明から始まりました。 18~19世紀の産業革命を経て、科学は飛躍的に進歩しました。 その恩恵を受けて、便利で快適な生活が可能になりました。 ところが、精神的な発展は、まったくと言ってもいいほど進みません。 2400年前のお釈迦様がおっしゃったことの上に、理論を積み上げることができません。 科学や数学が、公式の上に公式を積み上げて、進歩してきたのと反対です。 科学的発展の社会を体とすれば、精神的発展は脳に値します。 巨大な体に、貧弱な脳という、恐竜もどきの存在となってしまったのです。 巨大な消費経済は、大量のエネルギーと資源を消費し、大量の廃棄物を出します。 核兵器は1983年には米ソ両大国だけで、7万発を保有し、核拡散が進んでいます。 このように、巨大な体と貧弱な脳が産んだ現在の世界は、窒息寸前です。 【神様の創造-7】へつづく ジャンル別一覧
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