感動うるうるのお話
今日いろいろ情報を探して偶然みつけました。感動で思わず涙。アントレ養成講座に寄せた内容です。童門 冬二の本は私も好きで読んでいたので感激しました。歴史から大切なことを学ぶこと、多いですね。講師:作家 童門 冬二 「愛情 涙ぐませる 蒲生氏郷」 蒲生氏郷も、岐阜で織田信長の指導を受けた人質少年である。近江国(滋賀県)日野城主の息子だった。独立して父の後を継いだ。若いときから、「氏郷さまはとても部下に温かい気持をお持ちだ」といわれた。日野城は小さな城だ。収入も多くない。しかし氏郷の下には勇敢な部下がたくさんいた。合戦のたびに大きな手柄を立てた。精一杯その手柄に報いようと氏郷は努力するが、なんといっても領土が狭いので十分に報いることができない。「どうしたら部下の手柄にみあった給与をあたえることができるだろうか」と氏郷はいつも悩んだ。あるときこんなことを思い立った。合戦で大きな手柄を立てたが、給与面で十分に報いることのできない武士がいた。武士は別にそのことを不満に思って氏郷に文句をいっているわけではない。氏郷のほうが気にしていたのである。氏郷はその武士にいった。「今度休みの日におれの家にこい」「は?」武士はびっくりした。氏郷は笑いながらこういった。「この間の合戦で、おまえは大きな手柄を立ててくれた。しかしいまのおれには報いることができない。すまぬと思っている。せめてのことに、ありあわせのもので一緒に酒を飲みたい。きてくれるか」「よろこんでお伺いいたします」武士はよろこんだ。休みの日に氏郷の館にやってきた。氏郷は、「酒をのむ前に風呂に入ってこい」といった。武士はいわれたとおりにした。湯船に浸っているとやがて外から声がした。「どうだ湯加減は」武士はびっくりした。声にききおぼえがあったからである。窓から覗くと、氏郷が一所懸命火吹竹を吹き立てて、薪を燃やしている。「殿!」おどろいた武士が声をかけると、氏郷は窓をみあげてニッコリ笑った。「すまぬな。いまのおれにはこんなことしかできぬ。せめてゆっくり湯に浸ってくれ」「………!」武士はなにもいえなくなった。胸にこみあげるものがあり、やがてそれは眼に伝わった。湯が熱いので汗が出る。しかし武士は、汗だけでなく涙も流していた。そして心の中で、(この殿のためには、生命を捨ててがんばろう)と改めて思うのだった。このことがその武士の口からほかの武士たちに伝えられた。ほかの武士たちは眼を輝かせ、互いに、「おれたちも、早くその風呂がもらえるようにがんばろう」と誓い合った。氏郷が部下にふるまう風呂は、“蒲生風呂”と呼ばれるようになった。むかしの武士たちだから、こういういわば、「心から心に伝わる感動」を重くみる。つまり“人生意気に感ず”という気風がまだまだ残っていた。蒲生氏郷はやがて、伊勢の松阪城に移り、さらに会津若松城に移る。このときは、百万石ちかい土地をもらった。氏郷は部下全員に、「いままで自分の立てた手柄を書き出し、それにみあう給与額を自己申告せよ」と命じた。しかし部下たちは、いままで氏郷の温かい気持に接してきたので、決して過大な申告はしなかった。そしてみんなで互いの手柄と申告額とを検討し合ったという。余談だがこれが日本における“予算制度”のはじまりだという。氏郷の愛情は、武士たちの良識をも引き出したのである。