インド日記 13 ~最終回 デリーから日本へ
いよいよ帰国の日。ジャイプールのホテルを出発し、バスで空港のあるデリーへ。もうこれでインドとお別れ・・そう思うと窓の景色も違って見えます。道は、牛も人も犬も、一緒に歩いている。道路は、車もバスもトラックも自家用車もタクシーもリキシャも一斉に走る。埃の中の景色に最初は仰天したが、今はこれがインドの風景なのだと。途中休憩をしながら、ジャイプールからデリーまで6時間ほどで到着。インドでの最後の昼食も中華(笑)。野菜のスープが美味。ここデリーは、インド北部の大都市圏であり中心部。人口は2,099万人(2010年)で世界第四位。街はニューデリー(新市街)とオールドデリー(旧市街)に分かれています。ニューデリーには、高層マンションや高層ビルが多い。一方のオールドデリーは、昔ながらの街並みが残っているそう。飛行機の出発までまだ余裕があり、オールドデリーの街を歩くことに。そしてその雑然さと騒然さに驚く。人が多く、牛が歩く隙間がないからか牛もいない(笑)。しかしこれははぐれると、大変なことになる。心の中の危険警報が点滅した。少しでもスケッチ・・と思っていた仲間の夢も砕く人の渦。もう写真を撮るだけでも精一杯。並んで二列で歩くこともできず、一列になり素早く細い道を通りすぎる。荷物を抱えて守っているだけで精一杯。私はカメラをしまい、周りの風景をしっかり見ておこうと思った。その時・・。ある二人組みの視線を感じた。振り向くと、見覚えのある顔。そう、先ほど大きな通りに立っていた二人組の少年。彼らの視線の先を追うと、前に歩く仲間のカメラを見ている。「スリだ!」反射的にそう思った。そこで急いで、後ろに歩くツアーディレクターに言う。彼女は素早く前の方に走り、カメラが狙われるので注意するようにと。首からカメラを提げても、バンドを切って持ち去ることもあるそう。彼らは気づかれたと感じたのか、消えていった。でもふと思う。インドの年収3年分もする交通費をかけて、インドに来る観光客達。※JAL往復30万の場合。インド人の平均年収は10万から12万。逆に計算すると900万くらいかけて、日本に来る観光客を見ているようなものだ。彼らに、私たちはどんな風に写るのだろうか。帰りは人力車そっくりのリキシャに乗る。添乗員さんが到着場所を告げ、ちゃんと着かないとお金を払わないと運転手を脅かす。2人ずつ乗り込んだが・・まあこれが怖い怖い。車やバスの間を、猛スピードで走る。やっとここまで無事にきたのに・・と思いながら、横のポールにしがみつく。↑根性で写真を撮りました(笑)。そしてバスに乗り換え、デリーのインディラ・ガンディー国際空港に到着。飛行機のチェックインを済ませ、出発20:20まで1時間ほど時間あり。そこで空港内のカフェで、熱いコーヒーを飲みました。いろいろスケッチをした。いろんな人にも出会えた。体調も崩した(笑)。私の描いた似顔絵2枚は、インドに残る。実はこれ、かなり嬉しい。手元には100ルピーの紙幣。日本円だと180円くらい。インドの紙幣ルピー全てに、インド建国の父マハトマ・ガンディー氏の顔が印刷されている。ルピーは国外に持ち出せない。日本にいれば、ルピーは写真でしか見れない。インドは1858年から1945年まで、87年間イギリスの植民地の時代があった。マハトマ・ガンディーの活動は、イギリスのインド支配を大きく動揺させる。そして1945年9月第二次世界大戦後、疲弊したイギリスはインドを手放す。しかし彼は1948年、狂言的なヒンズー教徒に暗殺されることになる。彼は宗教に関係なく、今も多くのインド人の中に息づいている。「あれ?」・・・ふと思い出したことがあった。インドの話も全くなかった10月中旬、出会った言葉。なんとなく感じ入るところがあり、言葉を付箋に書いて洗面台の鏡に貼った。そして時々眺めて、いろいろ考えていたあの言葉。「今日が最後の日だと思い生き 永遠に生きるのだと学びなさい。マハトマ・ガンディー」紙幣のマハトマ・ガンディーが、一瞬笑ったような気がした。終わり