大島紬、おりひめの現実
先日このブログで紹介した”究極の島暮らし”に登場してくださったWさんから、同期の大島紬専門学院卒業生のMさんを紹介したいとの連絡を受け、仕事場にお邪魔してきました。石川県からWさんと同じ4年前に島にIターンしたMさんは、高校、短大で、染織を学んだ後、京都の和装小物の会社に就職したものの、機織りをやりたいという思いを募らせていました。そんな折、短大の同期生で、京都の紬問屋さんに就学した友人から、”大島紬の織りの後継者がなかなかいない。”という話を聞き、”それなら、私がなる!”と、問屋さんの仕入れ元の紬屋さんを訪ねて、奄美へ。”本気でやる気があるなら、まずは学校へ行きなさい。”との言葉で紬学院に入学。卒業後、現在は、名瀬の紬屋さんの工場で機織りをしています。成績優秀だった彼女は、難しいとされる9マルキや12マルキの織物を織れるほどに・・現在彼女が仕事で織っている織物は、これ。現在発売中の着物雑誌”美しいキモノ 2009年冬号”にも掲載されている9マルキの大島紬。市場価格は、1反200万円くらいだとか・・これを織りあげるには、相当な技術が必要。けれども彼女に入って来る織り賃は、7万円。かかる期間は、毎日8時間休まず織って、1カ月から1ヶ月半。1か月の家賃が、3万円で、残りは4万円。これでどうやって生活しているの?と聞くと、毎日ほとんど家と工場から出ず、ひたすら機織りして、お金はできるだけ倹約し(食費はひと月1万円なのだとか。)、それでも足りない場合は、今までためてきた貯金を崩してなんとか暮らしているのだそう。彼女はまだ20代後半。普通なら、いろいろお金も使いたい年頃なはず。けれども、”機織りが何よりも好き。”という彼女は、今のところ、ほかの仕事をする気はないそうです。昨年は、デザイン、染め、締め機、織り、すべての工程を自分でやって見ることにチャレンジ。そしてれが、まだ制作途中の彼女の作品。香道の遊びのひとつ、”源氏香”の図柄を紬に仕立てたもの。自分で作ったデザイン画も見せていただきました。お金が続くなら、ずっと機織りしていたいという彼女。紬学院を卒業しても、それでごはんが食べられず、ほかの仕事に変える人が多い中、なんとか頑張っている彼女のような”おりひめさん”たちが、せめて普通に暮らしていけるような方法を考えない限り、大島紬は、次世代には残らないかもしれません。貴重なお話を聞かせて下さったMさん、Wさんありがとうございました。