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らぶふみ

らぶふみ紹介頁其の二

らぶふみ賞に選ばれたらぶふみ、最終選考の候補に残ったらぶふみを皆様にご紹介するページ、第二段です。

らぶふみに記された色んな人の、様々な想いを味わって頂ければ幸いです。
(受賞者・応募同意の上、イニシャルでおおくりします
なお、この文章の無断転載(一部抜粋・加工も含む)を禁じます
また、各らぶふみについていますタイトルは、応募者がつけられたもの、私達が勝手につけたものとがあることを記しておきます。)



第五番目に紹介しますのは、最終選考の候補に選ばれたらぶふみ「ボランティアで」です。


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 Tさんへ

10年前に君は「春にはまたここにきます。Yさんは」と聞いてきたので僕も必ずくるよと答え「また会いましょう」と笑顔で別れたのが最後でしたね。あのとき東京に帰った僕は日々の仕事や生活に追われ、再び芦屋へ行くことはできませんでした。
いつしか震災の記憶もボランティアへ行ったことも、君のことも忘れかけていました。
でも昨年おきあ新潟中越地震をきっかけに最近になって君のこともあのときの出来事もよおく思い出すようになってしまいました。今、君はどうしているのだろうか・・・・・
僕が会社から5日間という期限で休暇をもらい、芦屋市へボランティアに行ってから二日目に君に会いました。
始めて君に会った印象は、笑顔が可愛かったのと、高校三年生で福島から一人でボランティアへ来たと知り、女の子が一人で被災地に飛びこんでくるなんて、その勇気と行動力に驚きました。
女性ボランティアは数多くいましたが、みんな少なくても二人か三人くらいできていて、君みたいに一人で来ている子はいませんでした。
今思うと、君のことを守ってあげなきゃという気持ちもあったのかもしれません。いつも一緒にいましたよね。
今思い出しても、僕らがやっていた活動はかなりきつかったと思います。二月上旬の氷点下近い気温の中、朝六時に起き七時から夕方五時頃まで一日中外で水びたしになりながら給水活動をしました。
給水車が水をとりに行ってから帰ってくるまでに一時間近い時間がかかってました。その時間を利用して二人一組になって家を回りながら何か困っていることや必要な物資はないかと聞いて回りましたよね。僕らはそのことをローラーと呼んでました。僕が君と一緒にローラーをしているときに、とても寒い気がしていたら小雪が降りはじめました。僕が気を紛らせようと冗談ぽく「なんだかボランティアらしくなってきたぞ」といったら君はクスクス笑ってましたね。あのときはやたら寒くてきつく感じただけですけど、今は雪が降ってくる中での君の笑顔は僕の中の宝物です。
一日の活動が終わって市役所へ帰るときに、君と一緒に歩いていたら一階の部分が完全に倒壊したアパートがありました。忘れませんよね、あのときのことを。花が供えてあって線香が立ててありその横に「みなさんありがとうございました」と書かれた紙がはってありました。僕たち二人手を合わせました。
僕がボランティア活動をして四日目の夕方頃から急に悪寒を感じ始め、気分が悪くなりました。ふだんほとんど風邪などひいたりしないので薬など持ってきてませんでした。被災地を甘く見すぎていたのかもしれません。
ボランティアの仲間、みんなが僕のことを心配してくれて、君は僕に薬をくれましたね。心配そうに僕のことを見てました。
ボランティア活動五日目の最後の日、みんな僕は今日は休んでくださいと言ってくれましたが、今日は最後までみんなと、君と一緒にいたいと思い、みんなと一緒に活動しました。
一日の活動が終わって仲間一人一人と握手し、君とも手を握りました。そしたら君は「わたしは春にまたここに来ます。Yさんは」と聞いてきたので僕も必ずくるよと答えたら君は「またお会いしましょう」と笑顔で送ってくれました。
それから僕は荷物をまとめて帰ろうとした時、S小学校の門の前に君がいました。声をかけようと思ったらその時君は持っていたクッキーの箱を小さな女の子に渡してました。それから君は僕に気づかず市役所へ行ってしまいました。
あれから10年、思い出すのは街はひどい状態だったけど、街全体が善意にあふれていました。家を失ったり変な思いをしているのに明るさを失わず、前向きだった被災した人達、その人達を一生懸命ささえようとしたボランティアの仲間達。
そして君の笑顔・・・
今君はどうしているのだろうか。だれか素敵な人と出会ってしあわせだったらいいと思う。
また会いましょうと言った約束を守れなくてごめんなさい。
あのとき君に出会えて本当によかった。
君の笑顔は僕の心の大切な宝物です。


              Y


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第六番目に紹介いたしますのは、最終選考の候補に選ばれたらぶふみ「坊主頭のラブレター」です。


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(応募者の同意の上、イニシャルでおおくりします。
なお、この文章の無断転載(一部抜粋・加工を含む)を禁止します)




突然の手紙をお許しください。
この度の私の断髪が貴方への失恋の結果との社内の風評を呼び、大変ご迷惑をおかけした事を深くお詫びいたします。
人の噂は実に無責任なもので、何故そんな噂を生んだのか私には全く理解できません。私が坊主頭になったのは、特に深い理由がある訳ではなく、変化のない惰性の生活に変化を求めたかったからにすぎません。その結果が思いもかけない風評となって貴方に迷惑をかけるとは想像もしない事でした。
最近、女性社員の私への態度が心なしか優しくなったような気がします。振られた哀れな男への母性本能の故なのでしょうか。その反面、私を振った筈の貴女への女性社員の風圧が厳しくなったのではないかと心配しております。
そのような根も葉もない風評を消し去る事は出来なものかと考えました。そして唯一つ方法に気がつきました。気を悪くなさらないでお聞き下さい。それは私と貴女が交際を始めることです。そうすれば、貴女が私を振った訳でもなく、私が失恋した訳でもなく、社内の風評は間違いであった事になるのじゃないでしょうか。
こんな事を言えば、恐らく貴方は立腹されるか、馬鹿馬鹿しいと笑われるかもしれません。田舎に生まれ育った私には、貴方のような都会人とは趣味も、価値観も異なる対象外の人と思っていました。併し、今回の風評がそのような違和感を払拭してくれました。
貴女の腹蔵のないご意見をお聞かせ下さい。厭なら率直に言って貰って結構です。噂で既に貴女から振られた男になっている訳ですから、全くお気使い無用です。
最後に色々とお掛けしたご迷惑に改めてお詫び致します。



(時は流れ、彼女は既に還暦を過ぎ、好々婆となっている私の妻である)

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第七弾、最後を飾るらぶふみは、最終選考の候補に選ばれた「思い出のラブレター」です。


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(応募者同意の上、イニシャルでおおくりします
なお、この文章の無断転載(一部抜粋・加工を含む)を禁じます)




その手紙は私が大阪へ旅立つという前日に何の前ぶれもなく我が家に届けられました。分厚い封筒なので、狭い郵便受けの中だと少し窮屈そうでした。


(以下、ラブレター本文)

突然お手紙をさしあげます。僕は中学と高校の時、君の一年上だったTです。現在K大学経済学部に通っています。
先日、所用で母校に行った折、廊下に張り出されていた大学合格者の中に君の名前を発見しました、その名を目にした途端、長年思い続けていた感情が押えられなくなり、勇気を出して伝えることにしました。
君のことが気になり始めたのは、僕が中学三年になった頃でした。友達と笑顔で話しながら理科室の前を通り過ぎていく君を初めて見た瞬間、胸がざわめきました。そしてこのざわめきこそが初恋なのだと実感したのです。
当時は高校受験を控え、三年生は全員、放課後補習授業がありましたよね。先生に気付かれないように、教室の二階の窓から下を通る君を見つけるのが毎日楽しみでした。大きな楠の下を通って、夕陽を背に帰って行くセーラー服姿の君を見るだけで、僕は幸せで受験勉強も苦になりませんでした。
一年後、無事志望高校に合格。
そして中学の卒業式当日驚きました。何と在校生総代で送辞を読んでくれるのが君だと気がついた時の喜び!君の読み上げる送る言葉は、一言一句僕の為に読んでくれているように思い感動しました。
それから又一年。君は必ず僕と同じ高校を受験するはずだと確信し、合格発表の日、気になって見に行きました。その中に君の名を発見。あー、これで又二年間、君の姿を見つける楽しみができたと喜んだものです。
その二年の間、遠くから見るだけで声をかける勇気もないまま卒業してしまい、大学生になりました。
大阪の短大へ行くんですね。
もしかして一年後、同じ大学に入学してきてくれたらな、と淡い期待も持っていたので残念です。もう学校内で君を探す楽しみは望めなくなりました。しかし、勇気のなかった僕が、こうして思いを手紙で伝えることができるようになっただけ成長したように思います。
どうか大阪へ行ってもお元気で、有意義な学生生活を送って下さい。

                 昭和○○年三月末


もう四十年近くも前にもらったラブレターですし、いつの間にか失ってしまったので全文を記憶しているわけではありません。きれいな文字が印象的でした。直接告白されないまま長い間思い続けてくれた人がいたんだと、感慨深くもあり嬉しくもありで胸が熱くなりました。
現在だと、もしかして、ストーカーだとかきしょいとかいう言葉で片付けられてしまうかもしれません。その当時は、これが青春なんだ、と思えるまだのんびりとした時代でした。
ここでTさんの名誉のために申し上げておきますが、実際の手紙の内容はもっと表現が豊かで美しく、文章力があったのです。私のペンで書くことによりレベルダウンして申し訳なく思っています。
その後、Tさんとは三ヶ月余り大阪、四国間で手紙のやりとりをしました。
短大一年の前期を終え、夏休みに帰省する途中、Tさんの大学のある高松で初めて会うことになりました。中学二年間と高校二年間同じ学校に通っていたとはいうものの、一年先輩の上お互い団塊の世代、とても人数が多かったので顔を見てもはっきりとは思い出せませんでした。
二人で緑の美しいK公園を歩きながら、各々の話をしました。Tさんは文章から想像していた通り誠実な感じの人でした。ただ、しばらくしてから将来の夢を語り始めた時、早くも
(あー、この人とは付き合っていけないわ)
と思ってしまいました。

「僕は大学を卒業したらブラジルに移民したいんだ。コーヒー園にも興味があるし、むこうには大きな夢を持たせてくれる何かを感じるんだよ」

ごく平凡な、普通の十八歳の女の子だった私は、
(ブラジル?移民?エッ、とんでもない。日本が大好き、家族が大好き。この人の夢について行く自分にはとてもなれない!)
手を振って予讃線の急行列車に乗った私の表情は、一時間前より少しこわ張った作り笑顔になっていたかもしれません。
その後、Tさんから届く手紙に返事を書くことができなくなりました。心の中で(移民)という言葉が重くのしかかり、私の気持ちをなえさせたのです。やがて、むこうからも届かなくなりました。

あれから随分長い年月がたちました。
私は優しい夫に恵まれ幸せな日々を過ごしています。
夫には悪いのですが、時折あの時のラブレターを思い出すことがあります。最近では、K公園で熱く語ったTさんの夢を、どうしてもっと真剣に聞いてあげられなかったのかとちょっぴり後悔しています。
「いっしょにブラジルに行こう」
と私を誘ったわけでもないのに、勝手に自分にあてはめて想像してジ・エンドにしてしまった未熟さ。
何年かに一度の割合で届けられる高校の卒業名簿のTさんの住所はいつも空欄です。もしかして夢をかなえてブラジルに渡り、成功してむこうの生活を楽しんでいるかもしれません。空欄がそれを物語っているようにも思えるのです。




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以上でらぶふみ紹介は一応、終了です。
如何でしたでしょうか?
七通のらぶふみにそれぞれ込められた想い、読んでくださった皆さんが少しでも感じて下されば幸いです。
ご応募してくださった方々、ブログの掲載を快く了承してくださった方々、そして、ここまで読んでくださった方々、本当に有難う御座いました。




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