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ポストにあの人のきりえ葉書が届いた。あの人の手跡・足跡展…。
あの人とは、横山礼子さん。初めて出会ったのは…たぶん一昨年。 岡山弁協会の近藤さんからの紹介でした。 横山さんは、その頃ちょうど瀬戸町に越してきたばかりで、近藤さんの友人であり、きりえ作家であり、岡山弁協会発足のきっかけにもなったという、建部町ではちょっとした有名人と聞いた。 会うなりいきなり「ババババーっ」と矢継ぎ早に話しかけられ、さすがの私も圧倒されるくらいだった。 驚いたけど、屈託のない笑顔と人を惹きつける話しぶり、天才的な気配りに、ハートを打ち抜かれた。 次に会うのを楽しみにしていたら、「きりえ展を開くので遊びに来てね」と言われた。「ホイホイ」とすぐに行った。 この人には、人のハートを打ち抜き、夢中にさせる「何か」があった。 2010年5月、中国電力エネルギアプラザで開催されたきりえ展で「きょうこちゃん」と声をかけられた。今どき私を「きょうこちゃん」と呼ぶ人は少ない。振り返ると、私の実家のすぐ近所のI夫婦がおられた。「おじちゃ~ん!おばちゃ~ん!どした~ん?なんでここにおる~ん?」「横山さんとむか~しからの登山仲間なんよ~」「え~!?」 本当に驚いた。礼子さんと運命的な「縁」を感じた。うれしかった。 2010年9月、仕事中にI夫婦の奥さまから電話があり「きょうこちゃん、横山さんが亡くなったんよ」と言われた。60歳の誕生日を山で祝い、高速バスで帰ってきてエコノミークラス症候群で亡くなられたそうです。 言葉を失った。もっと会いたかったのに、もっと話がしたかったのに、もっと仲良くなりたかった。何で?2回しか会ったことのない人なのに何で?と思う人もいるかもしれない。そのぐらい礼子さんは人を夢中にさせる。 スゴいヒトだ、あの人は。私のハートを打ち抜いておいて、大好きにさせといて、サラッといなくなってしまった。 横山礼子「六十年の手跡・足跡展」2011年10月17日(月)~23日(日) エネルギアプラザにて開催 シンフォニーホール 8月にご家族、友人たちが制作した「山に還る」が出版されました。 礼子さんにハートを打ち抜かれた大勢の人たちが、最後のラブレターをよせています。 私も失恋したような気持ちで書かせていただきました。丸善で発売中です。 お気に入りの記事を「いいね!」で応援しよう
ありがとうございます。
(2011.10.13 01:09:29)
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